第34話 権六勘づく、凄まじき嗅覚
清洲城 織田信長
1561年秋
「帰蝶よ、今帰ったぞ」
「お帰りなさいませ」
一色政孝と会った後、サルと馬を走らせて清洲へと戻ってきた。
城内ですれ違う者らの驚いた顔といえばまこと愉快である。
「如何でしたか?一色様とやらは?」
「面白い男であった。その者の家臣もなかなか骨のある男であった」
「殿にそこまで言わせるなんて。よほどいい殿方なのでしょうね」
“ホホホ”と帰蝶が笑うが、俺自身もここまであの者を気にかけてしまうとは驚きであった。家臣の者らの中にも出来る者は多い。そして俺の力になれる者もまた多くいる。
しかし政孝はそうではなかった。あれは家臣という器では無い。一国を治めても不思議で無いほどの力量を感じた。
「あぁ、いい男だった。思わず俺の家臣になれと声をかけてしまったわ。もし頷かれていたら元康の立場が無くなってしまう。やってしまったかとも思ったが、俺の誘いに乗っては来なかった。あれは忠臣という言葉が似合うな」
「そうでしたか。そのような御方でしたら私も一度お会いしたかったのですが・・・」
「そう気を落とすでないわ。わからんが、またあの者には会える気がする」
それが敵なのか味方なのかは分からんがな。いゃ、味方と言うことはあり得んな。俺と氏真がわかり合える日など決してこん。そして一色は今川という船が沈んでも共にすると言い切りおった。
やはり次会えるとすれば戦場であろうな。
あまりに惜しい。三河も失いつつある今川が俺や元康に勝てることなど無いだろう。甲斐の動きも不穏だ。そのこと氏真は気がついているのか?
同盟という不確定なものを信じすぎると痛い目に遭うぞ?
「殿、大丈夫で御座いますか?」
「あぁ、問題ない。ところで何か言いたげだったが如何した?」
「殿が岡崎へと向かわれた翌日に、五郎左と権六が私の元へやってきましたよ」
やはり来るのであればあの2人と思ったわ。それにサルも俺についてきておったでな。そういうときの権六の嗅覚は侮れん。
「何と?」
「分かっておいででしょう?殿が城にいなくなった。どこにいかれたのかご存じないかと、特に権六は鼻息荒くして訪ねてきましたわ」
「であろうな。俺の行動を知るのは間違いなくそなただ。むしろ翌日では遅いくらいか」
「殿が城を出られたのは夜も遅い時間でした。私の部屋で過ごすなど言われれば誰も殿のお近くに控えることなどあり得ぬでしょうし、私が許しません」
「おかげで上手くいったのよ。帰蝶よ、礼を言う」
「私は殿が楽しそうなら何でもいいのです」
舅殿には感謝せねばならんな。これほどまでに俺に尽くしてくれ、これほどまでに相性の良い妻を俺に掛け合わせてくれてな。
俺自身自覚しておる。普通では無いのだ。
帰蝶はそんな俺を、俺個人を尊重してくれる。
「殿、お時間ですよ?みなを心配させたのです。存分に詫びられよ」
部屋の外から足音が聞こえてきた。音は複数ある。
間違いなくこの部屋へと向かってきているのが分かる。そうか、折角帰蝶と過ごしていたのだが、もう終わりか。
「また来る」
「はい、お待ちしております」
部屋から出るとすぐに大男に捕まった。
「殿!一体ここ数日どこにいかれていたのか!我ら家臣一同真に心配いたしましたぞ」
「どこに行っておったのか、帰蝶より聞いておるだろう。それより広間に行くぞ。家臣らを集めよ」
「一体何をされるおつもりですかな?」
権六と共に来ておった五郎左が尋ねてくる。
「軍議である。三河の元康は当分心配せずともよい。よって尾張国を統一する。それから美濃の斎藤だ」
「ついに犬山城を攻められるのですか」
「あぁ、俺の中にあった霧が晴れた。今ならば何でも出来る気がするぞ」
「では家臣らを集めて参ります」
五郎左は早足で俺の前から離れていく。しかし権六は動かない。
「如何した、権六よ」
「はっ。殿が岡崎に向かっておったのは奥方様に聞いておりました。しかしその目的は知らぬと・・・。岡崎城には一体何用で?」
「元康との婚姻関係の話であるとは思わぬのか」
「思いませぬ。元康殿が三河で独立したというのはワシも存じております。しかしまだ殿と対等な関係にあるかといわれれば、そうは思えませぬ。もし婚姻の話であれば元康殿が清洲に、いや清洲とまでは言わずともいくらか殿に遠慮されるはず」
ふむ、良く気がつくな。しかし五郎左は今回の失踪の真実を勘づいておったであろうに。あの男もなかなか悪い。
「確かに他に目的はあった。しかし事が事故な、あまり大事にできなかった。いずれ権六にも伝える日が来よう。そう遠くない日になりそうだであるがな」
まだ聞きたそうにしておるが、今は無用なことだ。まだその時ではない。目下邪魔な犬山を攻めねばならん。
俺の家臣らが一色を警戒するのは、本当に敵対することが決定的になったときで良いのだ。
※柴田勝家・・・権六
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