第20話 椿姫の隠し事

 大井川城 一色政孝


 1561年夏


 これから今川館におられる氏真様の元へ行かなければいけないのだが、戦勝報告のためということもあって、鎧を脱いで直垂で行かなければならなかった。特に氏真様は争いごとを嫌う節がある。

 連龍が今川館で離反の表明をしたときも、あの場で斬れとは言われなかった。

 もしかすると義元公の死が尾を引いているのではないかと思われる。

 そういうこともあって戦を連想させる鎧姿での戦勝報告を回避されたのだ。


「母上、飯尾連龍を討伐し無事に城へと戻って参りました」

「はぁ・・・。どこも怪我をしていないのですね」


 直垂姿の俺をペタペタと触る。周りに家臣がいたら流石に止めて貰っただろうが、今は俺と母と2人の侍女のみ。

 まぁこのくらいなら我慢しても良いだろうか。

 納得いくまで確認されてから解放された。


「これから今川館へと戦勝報告に向かいます。それが終わり次第、岡崎へと向かわねばなりません」

「まったく、次から次へと忙しいのですね。しかしそれも仕方なきことなのでしょう。あなたは一色の当主なのですから」


 たぶんだが今の言葉は俺に向けたものでは無く、自身へと言い聞かせたものだと思う。俺としてもいつまでも子離れできない母だと困るのだ。

 もうすぐ岡崎より嫁を迎える立場。

 前の世界でも嫁姑戦争という言葉があったくらいだ。久様と母の関係が悪いと間に挟まれる俺の苦労が絶えなくなることは必定だ。

 マザコンだのなんだのを嫁は嫌うだろうし、なんとしても子離れして貰わないと困る。


「ではまた少し留守にします。何かあれば昌友に申してください」

「わかりました。気をつけて行くのですよ」

「・・・」


 まだまだ子離れできる日は遠そうだと思った。

 母の居室を出て廊下を歩いていると、庭に2人の忍びが控えている。


「落人か。此度の働きご苦労だったな」

「我らはいつも通り働いたのみにございます」

「そうか。それで隣の者は・・・、雪女ゆきめだな。栄女衆の頭領が俺の元へ来るのは珍しいな」


 栄女衆とは栄衆の中にあるくノ一だけで形成された部隊だ。謂わば女だけが潜り込めるような場所での任務で動く特殊部隊のようなもの。雪女はその者らのトップである。

 基本的には栄衆の頭領である落人の指示の元で動くため俺の前に雪女が姿を現すことはない。全てが落人を介して情報のやりとりが行われるからだ。

 しかし今回はどうやら違うらしい。


「今回、あの御方の元へ潜り込むために栄女衆を動員いたしました。その任務の際にあるものを得たのです。雪女」

「はっ」


 落人に言われた雪女は懐より大量の紙の束を俺へと差し出してきたのだ。そしてその中には封のしてある文まであった。

 落人の言葉の中にあった”あの御方”とは飯尾連龍の妻である椿のこと。


「これは?」

「ここからは私がご説明いたします。それよりもこの先はあまり人に聞かせられぬ話ですので」

「わかった。では俺の部屋で話そう。小十郎はおるか!」


 叫ぶと廊下の奥の方から駆けてくる音が聞こえる。


「お呼びでしょうか?」

「これより少しの間、俺の部屋に誰も近づけさせるな。例外はない。あとお前も聞いたことは一切口外はするな」

「かしこまりました」


 小十郎というのは俺の小姓だ。氷上小十郎は四臣筆頭家老である氷上時宗の孫にあたる。

 そんな小十郎と落人、雪女は静かに俺の後に続く。そして部屋に着くと小十郎を残して中へと入った。


「それで先の話の続きを」

「はっ。頭領の指示により、我ら女衆は椿様に関して探っておりました。そして先に御味方になられた飯尾連義殿の助けもあって接触をする機会を得たのです」

「そうか。それで?」

「愛想を尽かしているワケを探ろうとしたのですが、この紙の束を渡されました。どうか連義を守って欲しいと言われ。その後直接会って話をする機会にも恵まれず・・・。結果、椿様はお父君である鵜殿長持様に斬られてしまいました」


 話を聞いてから俺はその紙の山に手を伸ばす。書かれているのは全て長持殿から椿に当てられたものだった。

 しかしその内容はあまりにも驚くべきものである。


「この件、如何いたしますか」

「我らが口を閉ざせばこの件、他に誰も知りませぬ」


 忍びの2人はこの件を黙認することも可能だと言っている。しかし俺にその選択肢はない。

 全て本当のことを話し、適切な処理を行うべきだ。


「ところで雪女よ」

「何でございましょうか」

「お前たち、変化などは出来ぬか?」

「・・・変化にございますか?」


 あまりに突然の話に困惑するのは当然だと思う。しかし時間もないのだ。

 もし出来る者がいるのであれば早急に呼び出して貰いたい。

 そして今川館に向かう。


「私も出来ることには出来ますが、もっと得意な者もおります」

「ではその者を急ぎ呼び出せ。そして今川館へと向かうぞ」

「かしこまりました」


 とりあえずこの報告を聞いてどうするかは氏真様次第だ。この一連の出来事に関するご沙汰がおりれば、引馬城での離反騒動も一段落ついたと言っても良いのでは無いだろうか。

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