第21話 亡霊より送られし好機

 今川館 一色政孝


 1561年夏


「皆、よく無事で戻った。元信、そなたには今後引馬城に入ってもらうこととする。しかと守ってくれ」

「ありがたき幸せにございます」


 氏真様より今回の引馬城攻略戦の功労者に報奨が与えられていた。

 最初は今回大将を務められた岡部元信殿。かねての宣言通り、引馬城の城主へ任命されることになった。遠江に城を持つ者としては安心できる人員配置になったことは間違いない。

 そして鵜殿長持殿の番になる。まぁ先鋒として十分すぎる活躍をしたわけであるし、こちらもなかなか豪華な報奨が与えられるだろう。


「長持、そなたにも一つ城を任せようと思う」

「ありがたき幸せにございます」

かみごう城にそなたの息子が入っておろう。そこからほど近い吉田城に城主として入ってもらいたい」


 吉田城も上ノ郷城も三河内にあって、まだ元康の勢力圏になっていない城になる。しかし吉田城の城主であった小原おはら鎮実しげざね殿は桶狭間の敗戦後も今川に尽くしてくれていたのだが、引馬城が今川に敵対したと知って城を捨てて逃亡してしまったのだ。この情報も栄衆から報告を受けていた。

 それに慌てて行動を起こしたのが、先ほども出ていた長持殿の嫡子殿。名は確か長照ながてる殿といったか。

 挟まれることを嫌がった長照殿はすぐに兵を動かして、空になった吉田城を押さえた。しかしわずかな人員しかおらぬ状態で城2つなど維持できるはずもない。

 そこで今回手柄を立てて、尚且つあの辺りの地理に詳しい長持殿に白羽の矢が立ったのだろうと推測した。


「私めでよろしいのでしょうか?」

「何を言うか、長持よ。そなたの戦働きは皆の認めるところである。実の娘を手にかけてまで麻呂に忠義を尽くしてくれたこと、何と礼を言えばよいのやら」

「殿・・・」


 長持殿は感極まったのか涙を流している。まぁそうだろうな。これまでの努力が実ったのだから当然だろう。

 そしてその後も報奨が与えられていく。

 そして最後は俺だった。


「政孝よ、初陣は如何であった」

「亡き父や師より戦の話は色々聞いておりましたが、実際戦場に立ってみると全く違いました。ようやく私も武士になれたのだと実感しております」

「そうか、それほどまでに良かったか。今後も武士として、今川一門として麻呂を支えてくれるか?」

「もちろんにございます」


 氏真様は時々こうやって遠回しに確認をされる。ご自身の状況はよく分かっておいでなのだ。元康が、そして信玄が駿河に、遠江に、三河にしかけてきている。そしてそれが確実に今川のこれまで築き上げてきたものを崩していっていることを。

 まぁそれを氏真様本人が分かっておられるうちはまだ大丈夫だろう。周りが何も見えなくなったときがいよいよ危ないのだ。

 その時は我ら家臣も覚悟を決めるべきだろうな。

 しかし俺はここでも1度覚悟を決めなければならない。


「泰朝とも話したのであるがな、そなたに良い報奨が思い浮かばなんだ。であるから、そなたの欲しいものを言うがよい。できる限りそれに応えよう」


 このときを待っていた。俺は今一度崩れゆく土台を固め直す。

 周辺諸国が義元公亡き後、干渉する隙を与え続けた結果が今の事態を引き起こしているのだ。原因は今川に将来が見えず見限っていく家臣ら。1人出れば次もまた出る。悪循環。

 その流れを断ち切るには、今ここで全ての毒を取り除くに限る。


「殿、私に報奨はいりませぬ」

「何?」

「代わりにお会いして頂きたい方がおられるのです」


 予定にない発言にその場は大いに騒がしくなった。それに動じることなく氏真様の目を見続ける。


「嫁でも貰うのですかな?」


 つい先日親しくなった元信殿が、この場にいる全員に聞こえるほどの声で俺にそう問いかけた。本気とも冗談とも取れる発言でようやくこの場は静まりを取り戻す。


「私、未だ岡崎より妻を迎えておりませぬ。にも関わらず新たに妻などと・・・。そんな節操の無い男に見えますか?」

「うむ・・・。いや、これは失礼した」


 元信殿との掛け合いでじゃっかんだが空気が和らいだようだ。まぁもう一度凍って貰うことにはなるんだがな。


「わかった。政孝の願いを聞こう。ここに通すが良い」

「ありがとうございます」


 俺は部屋の外に控えていた時宗に視線を合わした。待っていたと言わんばかりに頷き、そして別の部屋で待たせていた人物を呼びに行く。

 布で顔を隠した女人が出て来たのは、それからすぐのことだった。

 末席の方の家臣が「やはり・・・」なんて言っているが誓って嫁ではない。


「こちらへお座りください」


 黙ってその女人は俺の隣へと腰を下ろした。


「政孝殿、殿の御前である。その頭巾はあまりに無礼ではないか?」


 泰朝殿の言葉に、俺は当然だと頷く。


「申し訳ありませぬ。訳あって顔を隠さねばならぬ事情がございましたゆえ。しかしそれももうよろしいか。さ、顔を見せられよ」

「はい・・・」


 顔を隠していた布を取ったとき、驚きの声を上げたのは1人や2人ではなかった。一番驚いているのは間違いなく長持殿ではあるが。


「これは一体どういうことですかな?」

「そうですぞ!何故・・・、何故、椿がここにおるのじゃ!!」


 長持殿の言葉で、意味が分からぬと言った表情で椿殿を見ていた家臣らがぎょっと驚く。それも当然だ。なんせつい先ほどの報奨で氏真様が言われたばかりなのだから。

 椿は長持殿自らの手で殺したのだと。

 しかし彼女は俺の横で間違いなく生きている。


「では私から少しお話をさせて頂きましょう」


 今川の土台を固め直す絶好の好機。まさかこんなところに転がり込んでくるとは運が良いことだと改めて思った。

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