第5話 分裂の予兆
今川館 一色政孝
1561年春
「一色政孝にございます。此度は至急お伝えしたいことがあって参りました」
「ご苦労であるな、政孝よ。面を上げよ」
「はっ」
顔を上げると目の前には氏真様がいらっしゃる。そして俺を挟むように両脇には氏真様の側近の方や、今川家重臣の方達、そして一門衆の方々が座っていた。
それにしても、また数が減ったようだ。
我が師である
「して、此度は何用で麻呂との謁見を申し出たのだ」
「はっ、実は先日松平元康より使者が参りました。使者は酒井忠次にございます」
それだけでこの場に殺気が漂う。まぁそうだろう。窮地の今川から早々に岡崎城を奪取した。松平は離反している他の元家臣のに比べても1番反感を買っている。
そして、殺気だったのにはもう一つ理由があった。
「まさかとは思いますが、政孝殿は
「存じております。それ故に本日謁見をお願いしたのでございます」
俺を今睨んでいるこの男は
そしてさっき名前が出た関口親永とは、松平に嫁いだ瀬名様の実父にあたる人物。松平の独立と同時に親永が元康と親密にやりとりをしているとの噂が流れ、真偽を確かめる間もなく腹を切らされた。
だからこの場にいた家臣の皆様は異様にピリピリしている。
「では麻呂に聞かせてくれるか。一体元康は何を言うてきた」
「元康の実の姉に当たる久姫様を私の正室にとのお話にございました」
「それでどうした?」
「これは私一人では決められない話故、時間が欲しいと申しました。その際にはもちろん氏真様にお伺いを立てることも話しております」
氏真様は困った顔で家臣の皆さんを見渡されている。ここでビシッと言わないから今川から離れる者が多くなっていると言うことがこの御方は気がついていない。いや、気がついてはいても周りの目が気になるのか。
現に頼りなさげな目を向けている方々が複数いる。
「何故その場で突っぱねなかったのです?」
「我ら一色も桶狭間での敗戦以降、領内の立て直しが出来ていません。それ故、わざわざ敵対するまでもないと判断しました」
泰朝殿は一応納得と頷いてくれた。だいたい俺は嘘を言ってない。
元々今川の勢力下だったのは今川館のある駿河、一色家も居城を構えている遠江、そして今元康が押さえようとしている三河だったわけだが、すでに西三河は松平と織田によって大方奪われてしまっている。
今日この場にいない井伊直盛は井伊谷城で静観しているし、いざとなれば松平につくだろう。なんならすでにつなぎを付けているかもしれない。
そうなれば遠江の西を押さえている引馬城も危うい。もし松平が織田と組み東進に乗り出せば俺達の大井川城だってすぐに最前線になること間違い無しだ。
「麻呂の意見よりも先に政孝、そなたの意見が聞きたい。どうすべきであると思っておる」
「恐れながら私はこの話受けても問題ないかと思います」
その言葉と同時に横で俺の言葉を待っていた数人の家臣の方が立ち上がった。それを泰朝殿が手を挙げて押さえる。本当に良くしつけられている。
「何故だ?政孝も麻呂から離れるのか?」
氏真様は悲しそうに俺を見ている。
無念そうに俯いている者までいた。しかしそうではない。俺は松平でも織田でもなく、今川で一生を終えようと思っているんだ。何と言っても後世の知識がある。
史実通りには決してしないし、ならない。
「そうではありません。そもそも私は元康から久姫様を貰って欲しいと言われただけで、味方に付けとは言われておりません。そして久姫様を迎えて松平の血を得ることは、三河の統治に関して正当性を得るも同義にございます。私は再び東海の覇者と氏真様がなられた際にそのお役に立ちたい。その一心にございますれば」
「口だけではなんとでも言えよう」
静まりかえったこの場で空気の読めないことを言い放ったのは
「では監視の者を寄越せばよろしいでしょう。私は何もやましいことなどしておりません。納得するまで目を光らせ続ければよろしい」
「儂にそんな無駄な時間を過ごす余裕などないわ。氏真様からの登城のご命令がなければそなたのような若造の謁見に立ち会うことなどせん!」
「では引馬城へと戻られよ。私としても連龍殿にどうしてもいて貰いたいわけではございませんので」
そもそも俺の今川再起計画に裏切り者はいらない。こいつの守る引馬城は間違いなく今川家の防衛の要所になる。そんな場所にいられても迷惑この上ない。
「随分と生意気なことをいうのだな。まだ戦にも出たことのない青二才が」
「確かにそうです。私には初陣の機会がこれまでなかった。しかし家を継いだ限りはその覚悟をしております。それに今回のことに関して言えば戦の経験など不要のものでございましょう」
俺が睨み付けると連龍もにらみ返してくる。刀をもっていれば斬りかかられていたかもしれない。それほど険悪な空気だった。
「止めよ。殿の御前である」
「・・・申し訳ありませぬ」
俺は改めて正面をむき直して頭を下げた。連龍は鼻を鳴らして俺から目を切った。やはりこの男に忠誠心はない。
「麻呂は政孝の考えも尤もであるとは思う。だが遠江が不安定な今、大井川城の動向を不安視する者もおるであろう。故に松平からの話はそちに一任する代わりに監視を送ることにする。皆はどう思うか」
誰も何も言わない。まぁ賛成っていうことで良いんだろうか。
さて問題は誰を監視に付けられるかだが・・・。
「監視には
「かしこまりました」
「うむ・・・。政孝、そちは麻呂を裏切らないと信じておるぞ」
そう言って氏真様は出て行かれた。そして俺ともう1人、朝比奈泰朝殿が部屋に残った。
だが立ち上がられる様子がない。仕方なく先に立ち上がり、俺は部屋をあとにする。隣を抜ける際にわずかに頭を下げたのだが、微かに泰朝殿の声が聞こえてきた。
「私も政孝殿を信じておりますので」
聞き間違いでは無いのであろうな。俺と氏真様、そして元康の関係を知る1人として、本心でそう思われているのだと感じた。
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