第七集 酒泉の烈女

 龐邑ほうゆう趙娥ちょうがの取り調べを終え、禄福ろくふく県令けんれい尹嘉いんかに報告した。

 尹嘉はその報告を聞くと、自分に趙娥を裁く事は出来ないとした。彼女を裁かねばならないのなら、自身の印綬を置く(退職して去る)ほどの覚悟であった。

 尹嘉は酒泉太守しゅせんたいしゅ劉班りゅうはんに判断を任せ、その劉班もまた同様に、漢陽かんよう郡の城に駐留する上役である涼州刺史しし周洪しゅうこうに判断を委ねた。

 しかし結果、周洪もまた趙娥を裁く事は出来ぬと判断したのである。


 龐邑は投獄されていた趙娥を圜土牢えんどろうから出すと、釈放だと告げた。

 だが趙娥は強く抗議する。


「私は賤しい身ですが、法は知っています。殺人を犯したなら死刑が当然。町の広場でこの身を斬られて死ぬのが私の望みです」


 それに対して龐邑は溜息を吐く。


「だが知っていよう、孝をこそ何よりも尊ばれる漢朝のしきたりを」


 儒教が尊ばれた漢の時代は、特に子が親に報いる「孝」こそが最も重視された時代である。

 それは例え親が不正を働いており、子が義侠心から親に逆らっても、不孝者として蔑まれるほど極端な物であった。

 しかし逆に、親を想う心から出た物であれば、それが犯罪であっても赦免される事が多々あったのである。

 趙娥も無論の事ながらそれを知っていた。だが龐邑の問いには答えなかった。


「お主は、死にたいのだろう……。だがそれは順法の心ではなく、役人の手を借りて自殺したいというだけだ」


 趙娥は黙り込んだ。

 図星を突かれたという事もあった。


「何故そうまでして死にたがる」


 龐邑の言葉に、趙娥は話していなかった事を話した。

 父が李寿に殺されたのは、あの日、家にあった水飴の壺が空になってしまった事で趙娥が不満を言い立て、陽が落ちてから父が買いに出た事に端を発しているという。


「父は元から夜に出歩くような人ではなかった……。もしもあの時、私が水飴をねだってなかったら……」


 もうずっと閉ざしていた感情が、趙娥の両目から溢れ出した。


 李寿は趙君安をずっとつけ狙っていた。その日でなくとも、いつか李寿は害していただろう。遅いか早いかの問題だ。趙娥とてそれは理解していた。

 それでもなお、あの時に自分が我儘わがままを言わなければと、思わずにはいられなかったのだ。


「例えそれが原因だったとしても、父上は君を恨んだりはしていない。それどころか仇討ちを成し遂げて、こうしてまだ生きている。なればこそ命を無駄に捨てるべきじゃない」


 そう諭した龐邑に、趙娥はまた問う。


「釈放された所で、どこに行けばいいというのです。私はもはや下賤の身。家族は既に亡く、顔も知らぬ親戚の元へ行った所で、先方に迷惑をかけるだけでしょう」


 しゃがみこんでしまった趙娥に、龐邑はひとつの提案をした。




 それから数か月後、趙娥は龐邑の家にいた。

 行く宛てが見つかったら、いつでも出ていけば良いと言って、龐邑は趙娥を家に置いていたのだ。


 しかし趙娥は出ていく事はしなかった。


 その後、趙娥の噂は都にまで到達し、女の身で父の仇を討った烈女として、時の太常たいじょう(朝廷の儀礼を統括する高官)である張奐ちょうかんから高額の褒賞が贈られ、禄福の城門には趙娥の事績を刻んだ記念碑まで建てられる事になった。


 そうした知らせが県庁に届く度に、龐邑は趙娥に報告を持ち帰り、共に喜んでくれた。


 そしていつしか、趙娥は龐邑の妻として生きる事になった。


 初めの内、自身の身は穢れているとして遠慮していた趙娥だったが、龐邑はそれを気にせず結婚を申し出たのである。


 そんな二人の間には、三人の子が生まれた。

 その内の一人である龐淯ほういくは成人した後、時の丞相じょうしょう(朝廷の政治責任者)である曹操そうそうに仕え、優秀な官吏として史書にその名を刻んだ。


 そして一方、史書には記されぬ事もある。


 越女より始まったとされる最強の剣技と、宝剣「冰霄ひょうしょう」の話。

 涼州の砂漠で、趙娥が偶然に受け継いだそれらもまた、人知れず次の世代へと受け継がれていったのであるが、それはまた別の物語である……。





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