第3話 何故だ。大事になってしまった……

「……うん? 嶺依は結婚するんだ……誰と?」


 「嶺依と結婚を考える男なんかいるのか」と呟けば、


「副官になる見返りにあなたを所望しました」


 嶺依がしれっと暴露した。結婚の予定を聞かされて、またもや拷問まっしぐらだった泰然は呆気に取られ、嶺依の綺麗な顔を穴を開けそうになるほど凝視した。


「…………え!?」

「そんなに驚くことですか?」

「いやいや。普通に驚くだろ。嶺依は男嫌いなんだとばかり……」

「嫌いです。特に弱い男は塵クズです」

「じゃあ、どうして俺なんか……」

「あなたは死に見放されてます。死なない男は弱くはないですよね?」


 艶やかな笑みを浮かべる嶺依を、初めて目の当たりにした泰然は絶句して固まった。


(見込まれた理由がそこ? 嶺依はおかしい……)


 客観的に自分を評価すると、男としてはどうかと思う体たらく。常に死に怯え、戦いに尻込みするだけならまだしも「死にたくない」と弱音ばかり吐く、死の妄想に取り憑かれた変人だ。強くなったとはいえ、戦場から逃げまくっている男を見初める女などいるはずがなかった。


「俺は逃がせないほど強いか?」

「一国を奪っておいて何を言い出すやら」

「まあそうか。強さだけなら納得できそうなんだが……結婚はどうにも納得できない。忘れた程度のことなんだろう?」


 嶺依が望むのはきっと政略結婚。忘れていたなら感情は二の次なのだろう。愛なんて微塵も感じたことがないのが証拠だ。


「結婚で縛りたいのです。忘れていたというより、あなたに伝えていなかっただけです」

「……なに?」

「言っておきますが拷問が目的ではないですよ。文字通り契約であなたを縛り付けたいだけです」

「だけって……」


 泰然は言っていることが理解できなくて困惑した。なんとなく雰囲気から国による謀略ではなく、嶺依の気持ちという気がしてならなかったのだ。


「私は愛されてないので、今はそれで満足しておきます」

「ええと……愛されたいと言われてるような?」

「そう言っています」

「……俺のこと好きだったの?」


 驚き過ぎて口調が怪しくなってきた泰然は、肝心なことだけを聞こうと恐る恐る問いかけた。


「副官になって監視せよと命令されたんですが、あなたの戦いぶりを見て考えを変えました。逃がしませんよ。絶対に」


 仄暗い欲望を滲ませた嶺依のハッとするような微笑。泰然は女に微笑まれて恐ろしさを感じたことはなかったが、嶺依に対しては怯えまくった。どんな拷問を妄想しようと、ここまで恐ろしさを感じたことはない。妄想は所詮妄想に過ぎずないのだから。


「し、死にたくないっ!」

「愛の告白にその答えはないでしょう。殺したくなります」


 あれが愛の告白に聞えたなら、泰然はすでに嶺依の術中に嵌まったことになるだろう。いや、これも妄想の一種かも知れない。そんな風に逃げようとする泰然を、どん底に突き落とすのが嶺依の恐ろしさだった。


「大将が逃げたとなれば大騒ぎになるでしょう。あなたのお陰で楽しみが増えたらしいですよ。王がうそぶいてました」

「なっ……」

「特にお気に召したようです。どんな戦いをしたのか、いつも話をねだられるので、事細かに話して差し上げてます」


 どうりで厳しい状況の戦場ばかりに行かされると思っていた。嶺依が余計なことを話たばかりに、王の興味を引いてしまっていたなんて、理不尽な命令で戦い続けるより死にたくなった。死にたくないから我慢してきたはずなのに。


 泰然は一本一本の指先が軋む音を聞いた。鉄で挟まれた指がじわじわと押し潰されていく。左手から始まってついには右手に。五本の指が潰されてしまうと、感覚は遠くなっていった。慣れてきたのだ。

 だが、拷問は慣れることを許さない。右手の指を挟む鉄は一旦離れると、今度は真っ赤になって帰ってきた。熱せられた鉄は泰然の指を焼きながら潰していった。悲鳴が木霊する中、拷問人がいやらしく笑った。愉悦の顔は、耐え難い苦痛の中にいる泰然をさらに苦しめるのだった。

 そこまで妄想して気がついたら、嶺依の整った顔が非常に近くにあって驚いた。


「……なに、してるのかな?」

「接吻です」

「ひゃっ!」


 顔を真っ赤に染めた泰然が悲鳴を上げて後退りした。泰然の小娘のような初な反応に、微笑みを浮かべた嶺依が詰め寄ってきて、耳元に囁いた。


「死より恐ろしくはないでしょう」

「いや、怖いんだが……」


 嶺依には底知れぬ怖さがあった。美女に迫られている気が全くしないのは何故なのか、と泰然は釈然としなかった。


「さすが大将にまで上り詰めた武人。口先だけの誤魔化しなど通用しないのですね」


 ああやっぱり、と泰然は納得しかけて、いきなり泣き出した嶺依にギョッとした。


「え? どうして泣くんだ? 泣きたいのは俺なんだけど……」

「裏があって告白したのだと思われて悔しいんです」

「……裏はあるよな?」

「ありますね」


 間違っていないのに泣くとは。女の涙ほど怖いものはなかった。泰然はうっかり絆されかけて踏みとどまったが、かなり危なかった。嶺依に恋愛感情を持ったことがないと、断言することが出来なかったからだ。


「取り敢えず、告白と思惑は別々にしてくれ。混乱するから」

「そうですね。ついでのように告白しては響かないのも道理。愛してます。子供を沢山作って田舎で暮らしましょう。戦わなくて済むように、死を恐れずに済むように」

「田舎か。俺の故郷なら子供も沢山……って、俺も好きだったのか。それもそうか、お前のような女に惚れない道理がない」

「嬉しいです」


 普通に愛の告白をされれば、こんなに簡単に受け入れられた。戦いに明け暮れていたから、恋愛は後回しにしていただけに過ぎなかった。そんな感情は死の恐怖を前に麻痺していたのだ。


「それで思惑のことなんですが……」

「別々にしろとは言ったけどな。間を置かないなんて情緒がないだろう」

「告白の合間に拷問を受けていた人に言われたくありません」


 泰然はギクリと身を強ばらせた。美しい嶺依からの告白が嬉し過ぎて、自主規制が入ったのだ。

 拷問には色々あるが色事系は避けてきた。そっち方面を妄想するには、嶺依の存在が大きすぎた。うっかりで嶺依を拷問に登場させたら、バレた途端に軽蔑されることは間違いないからだ。美しい女が脳内であんなことやこんなことをされるなんて、冒涜以外のなにものでもない。

 けれど、混乱を来した泰然の脳はそっち方面へ向かっていた。だから、ねじ曲げるために自分を犠牲にしたのだ。鉄の檻に閉じ込められての火責めは、泰然の煩悩を追い払うことに成功した。蒸し焼きは辛かったが。


「ごほんっ。で、俺に何させたいのかな?」

「もうご自分で宣言しています。言葉を違えぬように」

「俺は何か言ったか?」


 勢いで口走った言葉は、取り返しがつかない事態へと発展させたようだ。泰然は溢れ出す汗を止められなかった。嶺依から目を反らすと、ほっそりとした腕が泰然の腕に絡みついた。


(あれはほんの冗談だった。正気じゃなかったなんて、言っても信じて貰えんだろうな)


 縄で海老反りに固定された泰然は呻いた。これから数時間、いや数日は身動きが取れない。軋んだ身体が解放されるまで、地獄の苦しみが待っているのだ。


「さあ、海の国を目指しましょうか」


 妄想に浸って拷問されている場合ではなかった。嶺依は、苦し紛れに放った泰然の言葉を実行に移す気なのだ。


「海の国に行ってどうするんだ?」

「国盗りです。全制覇してください」

「冗談だったんだが……」

「聞えません。やってくれないと結婚しません」


 結婚を迫られたはずが立場は逆転していた。なんて理不尽な、と泰然は思ったものの、嶺依の強がりが透けて見えたので文句は言えなかった。

 ただ、疑問は残っている。どうして嶺依は冗談に過ぎない泰然の言葉に縋っているのか、と。


「兎も角にも嶺依は結婚したいんだな。結婚願望が強いようには見えなかったし、何か理由でもあるのか?」


 嶺依は美貌の武官として男たちの注目の的だった。高嶺の花とでも言うのだろうか。男を寄せ付けない冷たさが嶺依にはあって、特定の男に肩入れしている風でもなかった。

 恋だの愛だのは幻想。馬鹿馬鹿しいと思っていそうだった。だから余計に不自然な気がした。結婚を語る嶺依が。


「政略結婚の道具になる覚悟はあったのです。王家の血筋の女などそんなものです。けれど、二十歳上の好色な老人に嫁げと言われた時はさすがに血の気が引きました。私で十人目の妻だそうで。複数の妻を囲うのは権力の誇示ですが、死にかけた老人のくせに欲張り過ぎです」

「断れなかったんだな」

「後数ヶ月で老人の餌食です」


(そりゃあ、切羽詰まるよな)


 英雄視されている泰然でさえ、国に逆らったら死刑は免れなかった。王家の血筋だろうと、女である嶺依に拒否権などないのだ。


「よしっ! 行くかっ!」


 泰然は覚悟を決め、パンッと手を打った。


「……え?」

「どこの国だ?」

「あの……」

「盗ってやるって言ってるんだが?」


 拷問に耐えてまで嶺依で妄想するのを我慢したというのに、数ヶ月後に妄想以上のことを老人に許すなんて、泰然には耐え難いことだった。嶺依を愛す権利は泰然にある。この手で乱される嶺依を見ずして死ねはしない。


「いいんですか? 反逆罪に問われますよ」

「全制覇だろ。この国も例外じゃない」

「あなたは本当に……」

「海の幸欲しさに国を滅ぼそうとしたんだ。嫁のためなら天下も取るさ」


 結局はそうなる道を歩んできた。強くなりすぎた泰然は、王に面白がられている内は出来のいい駒でいられるが、枠を越えたら難癖をつけて消される可能性があった。利用するだけして、邪魔になったらポイだ。そうなる未来は遠くなかった。

 泰然はまだ若造と呼ばれる年齢だ。今後も伸び悩むことなく強くなれるという予感があった。嶺依のことがなかったとしても、いずれ行動をすることになっただろう。


(それに妄想が尽きかけてきた。拷問は特殊だからな)


 捻り出してきた拷問の数々は、嶺依に飽きられるようになってしまった。これではいつか不満は爆発する。それなら言い訳でも何でもいいから、先へ進むほうが余程建設的だろう。


「北にある帝国です。海側なので海の幸が食べ放題ですよ」

「帝国!?」

「皇帝に嫁ぐ予定でしたので……」


 泰然は乾いた笑いを響かせた。「帝国なんて聞いてない」と、積み重ねた拷問各種を放出して、失神しかけたのはやむを得ないだろう。



 完

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「死にたくない」と叫んでも戦いを望まれる理不尽、耐え難し 百瀬咲花 @msakihana

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