第2話 記憶にないがうっかり無双しちゃった
厳しい表情を浮かべたというより、強要されていると感じながら、泰然は重苦しい空気の中、口を開いた。
「どの国だ?」
「情報によれば山の国でしょう」
「ちっ、海じゃないのか……」
「海のほうがよろしかったのですか?」
「海の幸が食べ放題なら滅ぼすつもりだった」
「本気ですか……」
泰然の豹変に冷静な顔を崩さない嶺依が息を飲んだ。死を恐れて戦いを拒絶した軟弱さが欠片もない。ここぞという時に冷酷さを見せた泰然に尊敬の眼差しを送る。
「常にそうあって欲しいものです」
「……恐ろしい女だな」
たかだか海の幸を理由に一国を潰そうとしたのに、恐れられるどころか肯定されてしまった。さすがいかれた王の親族だけのことはあった。嶺依が女だてらに副官に任じられたのは、国からの圧力である。泰然が色気にやられる前提ではない、はず……。
泰然は国絡みの思惑に考えが及びそうになり、振り払うように頭を振った。
「海といえば……」
「怪獣に下半身の大事なアレを潰される想像でもしましたか」
「な、何故それをっ!?」
驚愕を露わにする泰然。顎をはずさんばかりに嶺依を見つめる。
拷問の一種に身体の部位を圧する道具を使うものがある。最近になって妄想の幅を広げた泰然は、海にいる怪獣の足が拷問道具に似ていることに気付いて、応用することを思いついたのだ。
だから応用した拷問方法を嶺依がこうも的確に言い当てるなんて思いもしなかった。
「あなたも飽きたのですね。過激度が増しています」
泰然はカッと目を見開いた。妄想に拍車がかかったのは、すべて理不尽に戦わされている精神的苦痛によるものだ。強くなった己を知り、一般的な拷問では屈しないと知ってしまったからなのだ。
「……いつかくすぐってやる」
「私を?」
「王に決まってるだろ!」
「わりと生温い復讐ですね」
それを聞いた泰然はニヤリと笑った。拷問の手法に生温いものがあるわけがないのだ。嶺依は知らない。くすぐりの刑は地獄ということを。
「抵抗できない様に手足を縛り、笑いすぎて窒息するまでくすぐるんだが?」
「……聞かなかったことにします」
親族の末路は嶺依にはきつかったようだ。ただし、王の死を悲しんだからではないと断言できる。嶺依は拷問道具なみに冷血な女なのだ。
「山から始める」
「突然どうしたのです?」
「王の欲しがっている国を全制覇してやる。で、取り上げてやったら胸が梳くだろうな」
「大きく出ましたね」
泰然は勘違いしている嶺依に頷いた。嶺依は下克上を狙っているのだ、と思っているようだが、泰然の考えは違っていた。もちろん王を許すつもりはない。それなりに報復する予定ではあるが。
(殺して終わりじゃつまらん。俺をこんな風にした報い……生涯をかけて償って貰おう)
死ぬより辛いと思わせなければ気が済まなかった。妄想とはいえ、泰然は死の恐怖と戦い続けてきた。昔はここまで酷くなかったのだ。軽い空想癖のある素朴な男。それが泰然であった。強くなった分だけ心が壊れていく気がした。
己の欲望のために戦いを強いてきた王。煮えたぎる怒りは常に燻り、泰然を戦いに駆り立てた。「死にたくない」とどれだけ叫ぼうと、駒のように使われて戦わされ、ついには国を勝利に導く英雄に仕立てあげられた。人生を狂わされたのだ。死などくれてやるものか、と仄暗い心があることは誤魔化せない。
「山には山の拷問が……」
「どうでもいいので戦って下さい」
折角の妄想が不発に終わった泰然。理不尽には慣れているとはいえ、得意分野を封じられて腐った。
「海には海──」
「いい加減にして下さい。敵は待ってはくれませんよ」
痛いところを突かれた泰然は唸った。退路を断たれてしまってはどうしようもない。重い腰を上げて、敵と入り乱れて戦っている仲間の元へ急いだ。
戦場はさながら阿鼻叫喚の地獄絵図。山の国は強いと分かっていたのに、死に臆して部下を危険に晒してしまったのは、大将として反省すべきことだろう。
泰然は敵にじりじりと後退させられている味方を鼓舞するように、愛用の剣を抜刀すると敵陣へ斬り込んでいった。泰然の姿を目にした部下が、
「遅っ! 部屋の隅で縮こまってたんすかっ!?」
「大将の泣き顔なんて汚いだけ。いいことないからさっさと来いやっ!」
「副官も大変だよな。いつも駄々こねる大将の相手させられて」
「すまし顔してんじゃねぇ! てめーが遅れたせいで大怪我を負った奴がいるんだぜ!」
などなど、ありとあらゆる罵倒を受けた。ほぼ全員の部下からである。
「これも一種の拷問……」
「失神するなら敵を倒してからどうぞ」
やはりここ一番に冷たいのは嶺依だった。泰然の隣で余裕の戦いを見せながら口には笑みを浮かべていた。
「血は争えんか……」
「なにか?」
泰然は疑問に答えず、押し寄せてくる敵を倒し続けた。戦場に出てくれば、「死さえ覆す男」として名を轟かせた泰然は標的となるのだ。泰然さえ倒してしまえば、後はどうとでもなると舐めているのが、手に取るように分かった。
故に泰然は容赦しなかった。戦意喪失した敵が尻尾を巻いて逃げるのを猛追して、山の国まで攻め入って、嶺依に予告した通りに国を奪った。
泰然が蹂躙した国の敗残兵を引き連れていくと、敗戦国となった民は怯えた。軍人を見る目は恐怖に彩られ、殺されて奪われることを覚悟しているように映った。
それを目にした泰然は早鐘のように打ち付ける胸を押さえて
「戦闘の途中では失神に耐えたのに、今ですか? 少しは根性見せて下さい」
「……はっ!」
泰然は妄想の波から抜け出した。危うくイバラ鞭で打たれ続けて死ぬところだった。
「俺は捕虜を拷問しない! もちろん殺したりもしない! 負けたから何されてもいいなんて思わないで欲しい! ……死ぬのは怖い。誰だって……」
国を奪っておいて何を、という視線が泰然を襲った。四方八方からの視線に耐えきれず、泰然は「ひっ」と悲鳴を上げると、ぐらぐらと身体を揺らした。白目を剥いて倒れ込みそうになると嶺依が背中を支えた。
「いきなり喚かないで下さい。我々があくどい蹂躙者でないことは示されますが、大将が死の恐怖で倒れたら、いつか語り継がれるほど爆笑されますよ」
「い、いまのはやばかった。槍で串刺しの刑。一瞬だけど死んだ……」
視線が槍となり泰然を貫いた。嶺依が支えてくれなければ、急所を貫かれて天に召されるところだった。
「その口を閉じなさい。冗談抜きで笑いものです」
「心の声だったんだけど聞えてしまったかな?」
「……いっそのこと聞えていれば良かったでしょうね。死を覆すどころか、色々と覆って、あなたにはいいことだったかも知れません」
時々嶺依は訳の分からないことを言い出す。泰然は意味が分からずに戸惑うように視線を揺らした。
「ところでさ。これから俺はどうしたらいいんだろうな?」
「……なにを言っているのです?」
「だから気がついたら国を奪ってたわけで、どうしたものかと……」
「……は?」
嶺依の目が吊り上がった。想定外の事態に冷静ではいられなくなったようだ。
「いや、なんか拘束衣を着せられて苦しかったんだ。全力でもがいてたら敵をやっちゃった的な? 死に物狂いになるとこんな感じになるんだな」
実は戦いの最中に意識が飛び始めた泰然は、猛追している辺りの記憶が乏しかった。何しろ敵に捕まって拷問の真っ最中だったからだ。もちろん脳内で繰り広げられている泰然の妄想に過ぎないが。
「知りません。好きになさったらいいでしょう」
呆れ返ったように肩を竦める嶺依は、もはや泰然を見放しているようだった。嶺依が副官になってから、こんな態度を取られたことがなかった泰然は、一気に青ざめた。
「嶺依に見捨てられたら国に追われるっ! 勘弁してっ!」
「何故、そんな結論になるのですか。大将なんて掃いて捨てるほどいるんです。あなた一人がいなくなったところで……あっ!」
「あっ、って何!? やっぱり拷問されるの!?」
泰然は本気で怯えた。裏切りは許さないという国のあり方では逃げ切れないと悟っているからこそ、拷問が恐ろしいのだ。敵国が情報を吐かせるために行う拷問ではない。ただ苦しませて殺すためだけに行われる拷問は、何よりも泰然の心を揺るがした。しかも運が悪ければ、嶺依によって殺されることになる。冷酷な女はどんなに親しかろうと国側の人間なのだ。
「忘れていました。結婚する予定なので逃がしてあげられません」
信頼し始めていた嶺依に裏切られ、拷問まっしぐら。そんな妄想を開始していた泰然の脳は、ピタリと動きを止めた。
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