第4話

「ゴールデンウイーク?」

「うん。明子、予定空いてる? 一緒にさ、どっか行こう」

 学校からバイト先まで、智昭に送ってもらいながらの短いデートは三年生に進級しても変わらず続いていた。

 冬が終わり、春と夏の変わり目に差し掛かった今時分は温かくて歩きやすい。

 智昭はホットコーヒーで、私はホットティー。温かい飲み物だと、ちょっと暑く感じるような季節になっていた。

 まだ気候は不安定なものの、爽やかな初夏の日差しを浴びれば、人々の気持ちは自然と浮足立つ。

「明子はどこか行きたいところ、ない?」

 それはきっと、大型連休を目前に控えた期待感がそうさせるのもあるだろう。

「んー、そりゃどっか行きたいけど。でも駄目だよ。ゴールデンウイークは稼ぎ時だし」

「なに、連休も全部バイト入れる気なの」

 無言で返せば、智昭は小さくため息をついた。

「なあ、明子。頑張るのはいいけど、ちょっと働きすぎじゃないか」

 心底心配する、智昭の表情。

「俺ら、まだ高校生なんだから、そんなに無茶しなくったっていいだろ。ただでさえ今年は受験生なんだし」

 私を見つめる、優しいそのまなざしがあれば、それで十分だと思っていたけど。

 

「ねえ智昭。だったら私を月に連れて行って」

「は?」

「何にも心配いらない、考えなくてもいい、そういう場所に連れてって。智昭が行きたいところはないかって、そう聞いたんじゃん。愛があれば、月にだって行けるんでしょ?」

 二人のために世界はあるって、そんな歌もあるじゃない。

 二人でいれば、それだけで生きていける世界が、どこかにあるんだったら。

「そういう、現実逃避みたいな意味で聞いたんじゃないぞ」

 その言葉に、一瞬、頭の片隅が熱くなる。

 駄目だ、智昭は知らないんだから。

「うち、あんまりお金ある家じゃないのね。でもって、親もあんまり子どもの進路に興味、なくて。進学したかったら、自分でお金稼ぐしかないんだよね」

 目を見開いた、智昭の顔。

 そんなことは、考えもしなかったという顔。

 芸術鑑賞をしても、音楽を聴いてもお金にはならない。

 だったら少しでも眠りたかった。だって疲れていたから。

 そんな私を、叩き起こしはしなかったけれど。

 夢みたいな甘い音楽を聴かせたのは、智昭じゃないか。


「えっと……それ、本当? ちょっと、すぐには信じられなくて」

 視線をさまよわせて、私と目を合わせないで。智昭は言った。

「ああでも、めちゃくちゃバイト入れてたもんな。そうだよな、ごめん。何にも、知らなくて」

「言ってなかったし」

 そうだ、聞かせていない。

 智昭は音楽が大好きで。スマホにめいっぱい音楽を入れていて。そのスマホの料金は親に支払ってもらっていて。

 だから言えなかった。

「そうだ、奨学金とかってどうすればいいんだろ。調べてみようか。あと、親とももっとちゃんと話して」

 そんなものはとっくに調べたし、何度も話し合った。

 現実主義者らしい言葉だった。でも、智昭の生きてきた現実は、私の現実よりもずっと生きやすくて、温かかったに違いない。

 智昭だって、彼なりに悩んだり、泣くような日だってあるんだろう。

 だけど私みたいな人間とは、違う生き方をしてここまで育ってきた。


「ごめん」

 謝ってほしいわけじゃない。

 だって、智昭は何も悪くないし。

「私こそ、こんな話聞かせちゃって、ごめんね」

 智昭は小さく首を振った。目元が赤い気がした。

 真面目だなあ。

 好きだなあ。

 熱を失っていく、手元のカップ。智昭の飲んでいるコーヒーも、きっともう冷めてしまうだろう。

「っていうか、Fly Me To The Moonは現実逃避の歌じゃないしね。愛の歌だからね、あれは」

 ただ、愛だけじゃ月には飛べないし、お金には変えられないってだけで。

 だから。

「智昭じゃ私を、月に連れて行くことはできないよ」

 それでいい。

 月まではあんまりに遠くって、愛だけじゃ、足りなかったってだけのことだから。

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