第146話 平民根性

「ケイル。あなたには、その服と共に爵位を与えたいと思っています」


「それは! それはダメです!」


「ケイル……」


「それだけはダメですよ! そんなのは頂けません!」


「従者として動くなら、爵位はあったほうが良い」


「僕は貴族様のような凄い人間ではありませんよ」


「ケイル、お前は凄い人間だ。自覚しても良い。自惚れにはならない」


 結滞な申し出で反射的に拒否反応が出る。僕が貴族様になる。ありえない。そんなものは想像したことも無いし、不可能な事としか脳が受けつけない。

 貴族様というのは、生まれながらにして偉くて、存在した時から人の上に立つ人しか選ばれない。出会ったらとりあえず頭を下げる。物心ついた時からそればかりを習ったし、僕だけじゃなくみんながそうだった。

 骨身に染み込んだ意識が、「お前に爵位は相応しくない」と訴えかけてくる。


「平民のままじゃ、いくら王族の従者でも、他の貴族たちに舐められたりしちゃうんじゃない?」


「平民の人たちからは、親しまれるかもしれないけどね」


「私のように、特別貴族の称号を賜ることもできますが」


 アルメロは優しい口調で提案してくれるが、やはり恐れ多くて僕には手に余る名誉だった。


「……爵位が無くても、私がケイルに想う気持ちは何ら変わりません。気が進まないようでしたら無理強いは致しませんが、返答を急ぐ理由もございませんので、少し考えてみて下さい」


「はい……すみません」


「全く……本当にアンタは欲がないんだから。普通は二つ返事で受け取るもんでしょ。何を迷うのかしら」


「そんな事だと、一生、出世とは縁遠い人生を送ることになるぞ」


「二人は、そこがケイル君の良いところだって知ってるでしょう」


 ミリィ様とシェイル様が不貞腐れたようにため息をつくと、エリス様は優しく微笑んだ。

 期待にそぐわない返事をする事は、それこそ失礼に当たる事なわけだが、みんなが強く責めることもなかった。


「さて、エリス様」


「ええ、分かっています。アルメロ。動く時がきました。……が、その前に朝食を取りましょう」


「なっ!?」


「エリス様!?」


「ご飯を食べなきゃ、力も入りません。ケイルは起きてから、食事をしましたか?」


「い、いえ」


「それはいけません。しっかり食べないと。起きたばかりですから、胃に優しい物にしなくてはいけませんね。アルメロ」


「はい。用意させます」


 エリス様の食いしん坊に、全員がガクッと気が抜けた。

 出来上がった料理は、同じ部屋に運ばれてきた。

 ミリィ様たち御三方も椅子に座り、テーブルに銀の食器が配膳され、食事の準備が整う。僕の分が用意された席もあるのだが、言いようのない緊張感があって、立ったままでいた。


「どうぞ、座って下さい」


「よろしいのでしょうか」


「立ったままで、どうやって食べるの」


「アンタ、ちょっと気ぃ遣い過ぎよ」


「ミリィ様は、気を使わな過ぎです」


「何か言った?」


「いえ」


 畏まって席に座る。マディスカルでも、厳格さのある本城の食堂には毎日通っていたが、この場の緊張はその比じゃない。やはり幼い頃からの固定された概念は、潜在意識に強く結びついてるようで、雲の上の存在だったお城で食事をするということが、どうにも現実とは思えなかった。


「アルメロさんは、食べないんですか」


「私は後ほど頂きますので」


 遠慮して壁際に下がるアルメロが羨ましかった。僕もそんなふうに一歩下がった位置で、謙虚に振る舞っていた方が自分らしいような気がして仕方がない。


「召し上がってみてください」


「い、いただきます」


 こういった場所には必ずマナーやしきたりがあるはずだが、僕は何も知らないので、恥を承知して普通にスープを口に運んだ。

 野菜からとった出しが優しい甘みを口に広げたあと、胡椒の香りが余韻を残し、少しの辛味が、次の一口の甘みを際立たせる。


「どうでしょうか」


「とっても美味しいです」


「それは良かった」


 エリス様たちのお皿にのっているのは、目玉焼きとハムだけだった。丁寧にナイフとホークで切り、横にあるパンに乗せて食べている。

 なんというか……普通だ。

 質素、素朴、地味。王宮では朝から豪勢なものを食べてるんだろうなぁ、なんて子供の頃はよく想像してたけど、胃もたれしないために王宮でも朝は庶民と変わらない普通のものを食べるんだろうか。


「そういえば、ケイル。あなたにはもう一つお渡ししたいものがあるんです」


「な、なんでしょうか……」


 食後の紅茶を飲みながら、ふとエリス様が言う。

 この期に及んでは家やら、土地やら権利やら勲章やらを渡されそうで、僕はなんだか緊張した。


「ふふ、身構えることじゃありません。ケイルに弓を用意したいと思っていたんです」


「弓……」


「使っていた竹の弓はもうボロボロでしたし、せっかくですから、より良いものをプレゼントしたいと思いまして……。もしかして、余計なお世話だったでしょうか」


「いえ! とんでもない! ほしいです! 新しい弓!」


「ふふふ」


「弓は遠慮なく貰うのね」


「地位よりも弓の方が大事か。お前らしい」


「王都一番の武器職人に依頼してあります。後で見に行ってみましょう」


「はい!」


 なにか大きな財産を賜ることなら、僕はまた拒否しただろうが、弓と聞けば我慢することは出来ない。興奮して立ち上がったせいで、みんなに笑われてしまった。


「エリス様、陛下が一度、王の間へ来るようにと」


「わかりました」


 日も完全に昇った頃、言伝を受けたアルメロがみんなに聞こえるように言う。部屋を出て向かったのは、すぐ近くにある王の扉。

 ロイド様はまだ付近の壁際に立っていて、エリス様の姿を見ると姿勢を正したが挨拶はなく、エリス様も小さく会釈するだけで声は掛けなかった。

 エリス様が扉に手をかけると、壁に刻まれた紋様が光り、重々しい閂が動く音がした。

 ここから先は王族のみに許された空間。僕は外で待機していればいいんだろうか。


「じゃあ、また後でね」


「え……」


「呪いによる洗脳の力が明るみになりましたので、王族の従者だけは王の間へ入れる規則に変更がなされました」


「つまり、ここから先はアンタしか入れないってこと」


 アルメロは腰を低くして説明してくれた。王族のみ入ることを許されていた空間に、自分は入ることが出来る。改めて自分が王族の従者となったこと、そしてその重責を実感する。

 エリス様と僕を飲み込んで扉が閉まると、空間ごと遮断されたように静かになる。ミリィ様たちがいないと、途端に心細くなった。

 本当に平民である僕一人で、従者の仕事がこなせるだろうか。護衛のクエストは冒険者の仕事にもあったから慣れてたけど、こういう格式張ったところへ来るなら、従者らしいマナーとか従者らしい応対とかが求められるはずで、僕はそれら一切の事は存じ上げない。


「大丈夫? ケイル」


「え、あ、はい……」


 階段を上がる。黒い目玉の球体が宙に浮いて近づいてきて、エリス様と僕をジロジロと観察する。たしか、単眼魔球メディシアだったっけ。これに敵と認知されると、剣が飛んでくる仕掛けだったよね。大丈夫なんだろうか。従者の登録とか、した覚えがないんですけど。

 もう黒目が当たりそうなくらいに接近して、僕の顔を目玉に反射させる単眼魔球メディシアは、しばらくすると離れていき、壁の隅にあるくぼみに嵌って瞼を閉じると、壁紙の白と同化していった。

 よくみると壁には半球状の無数の凸凹があり、それら全てが白に同化した単眼魔球メディシアだった。

 階段を上がると例の鏡がある。

 鏡に近づけば近づくほど、映る僕の大きさは等身大になり、今にも僕とは違う動きをしそうで怖い。だが、全ては無駄な緊張で、僕らが通過するまで鏡は反応しなかった。

 王の部屋の手前にある扉の前で、一人の男性が立っていた。


「エリスティーナ様、どうぞこちらへ。国王陛下がお待ちです」


「はい」


「陛下、エリスティーナ様がご到着なさいました」


「どうぞ」


 ノックして了解を得た男性は、扉を開け、エリスティーナ様を中に入れた。外で待てとも言われていないので、僕も続いて中へ入ろうとすると、肩で割り込んで男性が先に入った。


「失礼」


「い、いえ……」


 エリス様に見えない角度で振り返るその視線は、とても冷たく、敵意を感じさせるものだった。

 僕はさっそく、従者にあるまじき粗相を働いたんだろうか。

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