第144話 目覚め

 瞼を開けると、夜明け前にみる淡い光がカーテンの隙間から入り込み、上品な汚れ一つない天井は、元は真っ白なんだろうけど、今は薄い灰色に見えた。

 なにか長い夢を見ていたような気がするけど、思い出せない。

 どこか、花のような甘い匂いがする。手足は……大丈夫、感触があってちゃんと動く。サラサラとしたさわり心地と、ふかふかとした柔らかさに包まれている。僕は大きなベッドの上に寝ていた。

 無音に意識がいくと、人の息に気づく。

 起き上がるには十分な力はあるけど、体に乗る掛け布団がやけに重くて、目線を落としてみると、床に座りながらベッドの両辺に頭を乗せて、レイシア様とミリィ様がすやすやと眠っていた。

 良かった。二人とも釈放されたんだな。

 どこまで説明がなされたんだろう。呪いとか魔王の存在とか、色々と釈明されたから御二人はここにいるはずだけど……というか、僕はどれくらい眠ってたんだ。

 御二方を目覚めさせないよう、そっと起き上がる。

 豪華な部屋だ。貧乏性が発動しているせいか、これまでの旅路で目の前の平穏が信じられなくなっているせいか、なんともソワソワする。今すぐ動き出さなきゃいけないような気がしてくる。


「……やっと起きたか、クソ雑魚」


 奥のソファに座っていた人影が立ち上がり、こちらに歩いてくる。貴族らしいマントを靡かせながら、カーテンの隙間から差し込む光に浮かび上がったのは、正装に身を包んだロイド様だった。


「……あ、あの……今はどういう状況なんでしょうか」


「テメェが足手まとい過ぎて、全員が立ち往生してるところだ」


「え……」


 僕の怯えきった表情を見て、ロイド様は鼻で笑う。僕がエリス様の安否を聞こうとしたら、話の途中でロイド様は言う。


「魔王は消えた。だが、呪いは消えていない。どこかに隠れているだけだろう。エリスティーナ様は国内に潜伏していた呪いを片っ端から浄化させて、今はもう疲れて寝ているはずだ。状況は混乱していて、今は呪いや魔王の存在よりも、人間同士のいざこざをどう抑えるかで奔走している」


 僕が寝ている間にも、当然、時間は進み続けていて、目の前で疲れ切って眠るミリィ様たちを見れば、みんながみんな、事態の収拾に努めていた事が想像つく。


「あの、僕はどれくらい眠っていたんでしょうか」


「3週間だ」


「さ……」


「後のことは、暇な奴にでも聞け」


 みんなが頑張っている間に、僕は3週間も眠ってたのか。罪悪感。申し訳なさや、焦りが押し寄せてくる。今すぐに僕にできることは何かと、心が忙しなく動く。


「落ち着け。事態は混乱してるが、逼迫はしていない。むしろ時間が欲しいくらいで、俺としては、お前が眠っていてくれた方が都合が良かった」


 僕の焦りを宥めながら、ロイド様は扉に向かって歩く。僕にはロイド様の言っている意味が、いまいち把握しきれなかった。


「悪かったな、アミル。いや……今はケイルだったか」


「ロイド様」


 ロイド様は一言残して、性格とは正反対にゆっくりと扉を開け、気遣いながら閉めた。


「アルテミーナ様の元へ行かれるのですか?」


「ああ」


「そのまま、ついて行くおつもりですか?」


「俺以外に、誰がアルテについてやれる? ……お前も、しっかりやれよ」


 廊下から小さく声が聞こえて、ロイド様の足音は遠ざかっていった。そして、入れ替わるように入ってきたのは、シェイル様だった。身につけた鎧や盾が一新され、下ろしたて特有の光沢があった。


「目が覚めたか」


「シェイル様。あの……僕が3週間眠っていたというのは、本当なんでしょうか?」


「ああ、本当だ。今から、その説明をしよう」


「ん、ん〜? ……あっ!? ケイル! 起きたの!? いつ起きたの!?」


「んえ……? ……ケイル君!?」


「うわわっ!?」


 起きたミリィ様は、目を丸くして顔を見合わせると、僕に抱きついた。


「なんで……なんで、直ぐに起きないのよ! バカッ!」


「心配をお掛けしたようで……。すみません……」


 いつもは強気な態度をとるミリィ様が、胸元で泣いているのを見ると、心配をかけ続けた3週間というい時間の重みを感じる。取り乱したミリィ様に、呆れて微笑むレイシア様を見ると、少しだけ不安が和らいだ。


「体はどう? なんともない?」


「はい。多分、平気です」


「本当に? 本当に大丈夫なんでしょうね?」


「は、はい……信じて下さい」


 抱きついていたミリィ様は、泣かせた恨みがこもった上目遣いで僕を睨み、体をあちこち叩いてきては、以上がないか確かめていた。


「同じ毒を吸ったようだけど、オーバス様もロイド様も浄化した後はすぐに目が覚めたわ。だから、ケイル君だけが起きなくて不安だったのよ。なにか心当たりはあるかしら」


「なにか、夢を見ていたような気がするんですが……。すみません、思い出せなくて」


「別に謝ることじゃないわ。待ってて、いま紅茶をいれるから」


「わ、私がいれる!」


「貴女……紅茶いれた事あるの?」


「ば、馬鹿にしないでしょ!? あるわよ、それくらい!」


「どうだか。冒険に出てる時は、一回だってそんな素振りなかったけど」


「一回くらいありましたぁ!」


「私の記憶力は確かよ。貴女が紅茶の事を語る時間なんて、一秒だって私の脳には記憶されてない」


「アンタが居ない時にいれたのよ」


「誰に?」


「自分に」


「誰かに飲んでもらった事は無いわけね。それじゃ、一回もいれてないのと同じだわ」


「うるさい!」


 事の説明をしようとしたシェイル様は、悲しそうに首を横に振ってため息をつく。何てこともない、こんなやり取りを聞くと、冒険者として共に世界中を回っていた日々を思い出す。クエストをこなすのも大変な事だったけど、あの頃は全部が自分たちの為だけだったし、世界の明暗を分ける重責なんてなかった。


「はい」


「ありがとうございます」


 皿を割る音を響かせながら、時にレイシア様に叱られながら紅茶を入れたミリィ様は、盆をカタカタと揺らし、ベッドに座る僕にティーカップを渡した。


「美味しいですよ」


「ふふん! 当然でしょ!」


 僕が飲むのを不安げに見つめていたミリィ様だったが、胸を撫で下ろした後は、自信満々なポーズをとるから、思わず笑ってしまった。部屋に一線の強い光が入り込むと、レイシア様はカーテンを開ける。高い場所にある部屋からは、朝を迎えた王都が一望できた。


「ケイルが起きたこと、知らせてくる。説明、よろしくね」


「はい」


 レイシア様はシェイル様にそういうと、一人、部屋を出ていった。


「落ち着いたか」


「はい」


「それじゃあ、どこから話すか。何から聞きたい?」


「全部を。僕が寝ている間に何が起きたのか、一から教えて下さい」


 シェイル様はなるべく要約できるように、言葉を選びながら話す。


「エリス様は潜伏していた呪いを浄化して王都を周り、魔王の存在を知らしめ、呪いの特性を国民に証明した。マディスカルの時と同じだ。検疫所を作って、エリス様の声の前を国民に歩かせた」


「もうマディスカルなんて比じゃないくらい、うじゃうじゃ呪いが出てきたんだから」


 マディスカルの人口が多くて50万人程なら、王都には500万人を超える人達がいる。騎士に制圧され、外出制限があったわけでもないから、感染拡大の力も強かったことだろう。その時の事を思い出し、ミリィ様は気持ち悪そうな顔をしていた。

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