第143話 取引
「ワタシはオマエに慈悲を与えてヤロウとシタノニ……。オマエは、ワタシから大切にしていたモノを奪っタ……。ユルサナイ。オマエだけは、ゼッタイにユルサナイ……」
「ケイル……ケイル、大丈夫ですか?」
意識が光を捉えると、僕はじめじめとした牢屋の中に居た。
両手首に嵌められた枷は、僕から魔力を奪い続け、全身が重苦しい。よく見ると、僕の体は痩せ細り、着ているのは、汚れた薄い服一枚だった。
「なんだ? これ……」
「大丈夫ですか、ケイル」
牢屋の前で、照明となる光の玉を従え、上品な服を着て立つのは、いつか見たハルネスティ様だった。あの時は椅子の上で深い催眠に落ちているようだったけど、今の姿はしっかりとしていて、ちゃんと目に光がある。
「決心はつきましたか?」
「ハルネスティ様……? 良かった。無事だったんですね」
「……何の話ですか?」
「……あの、ここはどこですか?」
僕の問に、ハルネスティ様は眉を顰めて、ため息混じりに応えた。
「……どこって、牢獄に決まっているでしょう」
「牢獄……僕は捕まったのですか? エリス様は……? 魔王はどうなりましたか」
「どうしたというのですか?」
「外の状況は、どうなっているんですか?」
「覚えてないのですか?」
「……」
「とうとう頭が壊れましたか。そうなる前に決心しろと言っていたのに」
「どういう意味ですか?」
「貴方が幽閉されたのは、もう1年も前の話です。覚えてないのですか?」
「い、1年……?」
呆れて首を振るハルネスティ様。瞳孔も視線も揺れず、呼吸も乱れず、その口調は何かの冗談を言っているようにも聞こえない。
「ど、どういうことですか? なんで僕が……」
「……はぁ。仕方ありません。一から説明してあげましょう。貴方はアルテに矢を放った。どんな理由があろうとも、王族に刃を向ける事は死罪に値する。貴方も例外では無かったということです」
「エリス様は……エリス様は、いまどちらに?」
「本当に全てを忘れてしまったのですね。いや、一種の逃避行動でしょうか」
王族に危害を加えようとしたのだから、罪に問われることもある。それは前々から理解していた気がするし、理屈は分かる。でも、おかしい。1年も此処に入れられていたというが、僕にはその1年間の記憶が1秒だって無い。
「貴方が今も幽閉されて居るのは、エリスの指示があったからなのですよ?」
「エ、エリス様が?」
「エリスは貴方の罪を利用して、国が傾いた理由を貴方になすりつけました」
「な、なにを……」
「魔王を退けてすぐ、エリスが王の座についたのですよ。それも覚えてないのですか? 私が、この場でお伝えして差し上げたのですが」
「エリス様が……王に……」
「アルテが身を引いても、争いを先導した王族への信頼は地に落ち、国民は不審を抱いていた。そこでエリスは、全ての責任を貴方になすりつけた。貴方がアルテを襲い、脅し、言うことを聞かせて、世界を混乱に陥れようとした。動機は、在りもしない罪でパーティを追放された事への復讐」
「エリス様が、僕を……」
「国民を納得させるために、王族を守るために、貴方は生贄に選ばれた。貴方は身を隠す術に長けているから、暗躍を裏付けるのに都合が良かったのです。本来ならすぐにでも処刑されて然るべきでしょうが、エリスにも良心はあったみたいで、貴方は今ここで辛うじて生かされてる」
「良かった……」
「ん……?」
「それで、エリス様のお役に立てていたのなら、少しホッとしました」
「……はぁ。貴方はまた、そうやって……。ここに入った当初、貴方は同じことを言って自分を納得させていました。しかし、建前は偽れても、本心は誤魔化せない。だからこそ貴方は、心を疲弊させ、今は記憶を失っている。信頼していた人間に裏切られれば、誰だって心を病む。当然でしょう」
ハルネスティ様は淡々と、この1年の流れを語る。最初はびっくりもしたが、体が痩せ衰えて気力が湧ないせいか、それでも、一度は亡命したエリス様が王の座に返り咲き、罪人としてでも僕がその偉業に一役を担えたのなら、それはそれで良いことだと思った。
それはハルネスティ様の言う通り、現実逃避の類なのかもしれない。それでも、そう思うことで僕の心は安らぐのだから、仕様が無かった。
「貴方に、救いを与えましょう」
「救い?」
「エリスを殺すための機会を、貴方に与えて差し上げましょう」
「エリス様を……殺す? ふふ、何を言っているんですか?」
「貴方を良いように利用し続け、最後にはゴミのように切り捨てたエリスが憎くは無いのですか? 今こうしてる時だって、エリスは素知らぬ顔で美味しい御馳走を食べている。食が細くなる何てこともない。貴方を気遣う素振りも見せず、最近じゃ色恋に
「エリス様と……シェイル様が……」
「ゆくゆくは結婚するつもりだそうです。挨拶にも来ました。なんとも図々しい。貴方の事なんて、もう思い出す事もしていませんよ」
「……どうして」
「ん……?」
「どうして、エリス様を殺そうなんて……ハルネスティ様の妹ですよ?」
「私はフローレンス姉様に王の座について欲しかった。だから命がけで、催眠にも耐え続けた。なのにあの女は、私達が眠っている間に、どさくさに紛れて王の座を奪い取っていた」
「ハルネスティ様は、呪いに掛かっているのですか?」
「フッ……残念ながら私は正気です」
「そうですか。なら、僕のお願いを聞いて頂けますか?」
「ええ、なんでしょう」
「僕は暗殺に加担するつもりはありません。二度と此処には来ないで下さい」
「……私は貴方の事を想って、危険を承知で提案しているのですよ? 自分を偽っていれば、またすぐにでも心を病んで、最後には廃人になってしまう。そんな事をエリスはもちろん、世界中の誰も気に留めたりはしない。貴方は時代の流れに取り残されて、存在自体が忘れ去られ、死んだことすら気づいて貰えない。そんな人生で、本当によろしいのですか? 一矢報いたいとは思わないのですか?」
僕が無言のままでいると、ハルネスティ様は「また来ます」と言って牢獄を出ていった。
まさか、エリス様とシェイル様が仲良く……。あまり信じられない。想像もつかない。未だに1年間の記憶が戻らないけど、戻った所で牢屋の中の記憶しかないんだから、必要もないか。
数日が経って、またハルネスティ様が来る。
「決心はつきましたか?」
「前に話したとおり、僕は手伝うつもりはありません」
「一番の功労者である貴方を忘れ、エリスは豪遊しています。憎くは無いのですか?」
「寂しいですが、憎くはありません」
その後も、ハルネスティ様は定期的に牢獄に訪れる。来る理由はいつだって変わらず、暗殺の申し出だった。王の部屋にまで潜入できた僕の潜伏スキルに期待しているんだろうが、やはり僕は協力する気など毛頭ない。
「エリスを殺した暁には、貴方を牢屋から出し、貴族の称号を与えることもお約束いたしましょう」
「そんなもの、僕はいりませんよ」
「美味しくないご飯を食べ、人としての尊厳も踏み
「人間じゃない……どこかで言われたような気がします」
僕が助けようとした人が、誰かと幸せになって、特別な地位について、何不自由なく暮らしているなら、それは僕の望んでいた事のような気がする。
僕の自由が無いのは悲しいけど、それでも、もとより全てを失った頃を思い出せば、こんな終わり方も苦しくない。
「いつまで躊躇しているのですか。さぁ、弓を持って。貴方はまだ、人生をやり直せる。私ならその機会を与えられる。エリスさえ殺してくれれば、貴方は自由を取り戻せるのですよ」
出てくる食事は日に日に粗悪なものになっていく。看守は僕が規則に反したと言って水を掛ける。牢屋から出てないのに、規則も何もないだろうに。
「エリスを殺せば、美味しものが食べられる。ふかふかのベッドで寝られる。外を歩ける。名誉も、地位も与えられる。綺麗な女性を抱きしめられる。此処を出れば、貴方はまだやり直せる。まだ死ぬには早すぎる若さが、貴方にはあるのですから」
牢屋の外に高級な料理をちらつかせ、僕を誘惑するハルネスティ様を見れば、看守たちの嫌がらせが増えたのは、それらの誘惑をより強くさせるためだと察しがつく。どうやら、なんとしてでも僕の首を縦に振らせたいらしい。
「エリスが、シェイルとの婚姻を国民に知らせました。お腹には子供がいるようです」
数ヶ月が経った時、ハルネスティ様がまた現れて、少し暗い顔をして言った。
「そうですか……。わざわざ教えて下さって、ありがとうございます」
「殺すと言いなさい」
「貴女様も……しつこい方ですね……」
「いい加減にしないと、死んでしまいますよ。良いのですか、このまま終わっても」
確かに、ここ数日。息苦しさが増して、意識がぼうっとしてきた。エリス様やミリィ様、レイシア様やシェイル様の声が幻聴となって聞こえてくる。「早く目を覚ませ」と切実に訴えかけてくる。
自分がどんどんとおかしくなっているのかもしれない。でも、だからって僕の意志はまるで変わらない。
「貴女様は……何も分かっていない」
「……」
「エリス様を傷つけて……それで生きて僕が楽しめると思っているなら大間違いです……。そんな世界で生き残ったって……僕は何も嬉しくない」
鉄格子を掴み、迫ってくるハルネスティ様。どうにも余裕が感じられない。世継ぎが生まれたら、結婚が成立したら、いよいよエリス様を殺すだけでは、王位を操る事が出来なくなるからだろう。
「殺せ! 殺すと言え!」
「諦めて下さい……。貴女様の思う理想は……絶対に訪れません……」
ハルネスティ様は鉄格子をすり抜け、牢屋の中へ入ってくると、僕の首を両手で掴んで締めつけた。
「クソッ! 殺せ! 殺スと言エ!」
「うぐっ……」
力が入らない体は、まるで抵抗することも出来ない。というよりも、ハルネスティ様の握力は女性とは思えないほど強い。
「殺スと言エバ、マダお前をコノ世界ニ生かシテおいてやる! サァ、殺スト言エ!」
「ぼくは……あなたの……言うこと……なんて……きかない……」
「あああああああああああああああああ!」
喉がギシギシと音を立て骨に響き、頭に血が溜まって顔中の血管が切れる感覚があると、エリス様やミリィ様たちの顔、僕が居なくなった後も、何事もなく回り続けるであろう世界の姿が思い浮かぶ。僕はその何事もない世界が、たまらなく羨ましく、そして、そのままで在っていてほしいと願った。
視界が傾き、顎の真下で何かが折れる音がする。血の涙を流すハルネスティ様は、獣のような顔に変わっていて、だらりとする僕の頭に
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