第139話 回避
遠慮する事なく右に左に剣を振り回し、辺りに斬撃を撒く狂乱者。燃やされ、切り刻まれた王の部屋は見るも無惨な姿になり、足に力が入らず、無様に転がる僕を見て、魔王は楽しそうに笑っていた。バルコニーの端まで追われ、手すりを使って立ち上がる。
歯を食いしばり、上げた左足を強く落とす。「痛くない。痛くない」と心のなかで自分に言い聞かせた。
吐き気と目眩に襲われる。【
「さぁ、どうするつもりだ?」
左右に深い斬撃が走り、僕の居るところ以外のバルコニーが切り落とされ、地面に落ちて粉々に砕ける。部屋から突き出した、人一人が通れるくらいに細い石の道。根本に魔王が立っていて、もはや逃げる場所はない。
「どうして……ですか?」
「ん?」
「どうして、そんな酷いことをするんですか? 人間に恨みでもあるんですか?」
「……ふっ。ふっはっはっはっは!」
腫れ上がる気道で難しくなった呼吸を無理に通して言うと、目を丸くして間の抜けた表情を見せた魔王は、夜空に向けて高笑いした。
「何をいうかと思ったら、そんなことを聞く奴には初めて会った。私が人間を憎む……? そんなことはありえない。私以上に人間を愛している存在もないのだから」
「な、何を……」
「人間こそは混沌の始まり、人間のいない闇など、味のしない空気も同じ。嫉妬、差別、偏見、憎しみ、不安、悲しみ、苦しみ、甘美な絶望は、困難に抗おうとする往生際の悪さにある。苦しめば苦しむほど、心を複雑にして、多様な味を生む。悩んでも仕方がないのに、悩んでいる時間に、慈しみを与えるように固執する。こんなものは人間だけだ。人間だけが、苦悩し、恐怖し、混乱し、それでも希望を見出そうと躍起になってくれる。こんなに美味しいものをくれる人間を、愛さずにはいられない」
「誰かを苦しませることが、生きがいなんですね」
「フッフッ……中途半端な理解だ。苦しみの先にある、失望と希望の間が美味な歪になるのだ。わからないか? この美しい世界の真理が」
「分かりたくないですよ……そんなもの!」
僕はアルテミーナ様を傷つけなきゃならない鬱憤を吐くように、大きな声を出した。
胸を張り、自身の癖を満足気に語る悪の権化。
出会った瞬間から軽蔑していたが、理解できない感性を聞けば、生涯、分かりあえないと確信する。
矢を弦に掛けて引く。麻痺で筋肉の繊維のいくつかが、脳の信号を受け付けなくなっているのが分かる。
焦る気持ちを抑え、僕はアルテミーナ様の右足に向け、【
「【
僕の矢の速さに合わせ、一人を焼き払う分だけの炎を、剣先から放つ魔王。木の矢は燃え尽き、炎はそのまま真っすぐ僕の方へとやってくる。
僕は横に体を傾け、そのままバルコニーから飛び降りた。100メートル以上はある高さから、仰向けで落ちていく。【
追い風を利用して速度を上げた矢だったが、魔王は簡単に切り払い、投げ出した体で縁を蹴って、勢いよく僕を追いかけてくる。
落下中に数十本と放ったが、漆黒のオーラの羽を広げる魔王は、それらを切りながら、腕に刺さった矢を抜きながら、ニヤけながら一緒に落ちてくる。
一点に集めた風圧を背中に受け、着地して直ぐに跳んで逃げると、止まる気配のない魔王が、落下する勢いのまま僕の着地点に剣を刺し、爆発を起こす。
「ア、アルテミーナ様!?」
庭園に降り立つと、辺りには疲労した様子の王宮騎士たちが居た。所々に石畳が潰れ、美しかった花壇は砕け、草の壁には大きな穴が開いている。鎧が潰れた騎士もいれば、肩を借りて歩く騎士もいる。なんだか嵐が通った後みたいで、気の毒には思うけど、魔王と対峙している今は、失礼ながら足手まとい以外のなにものでもない。
「ア、アルテミーナ様の援護を! あの弓使いを……」
「……邪魔だ。失せろ」
善意を持って国王を助けようと声を上げた騎士が、魔王の剣で胴を切断された。言葉を失う騎士たち。兜をつけているから、表情はわからないが、息をつまらせる姿勢をみれば青ざめているのは想像つく。
「早く治療を! まだ間に合います! それと、早くどこかへ逃げてください!」
「困難ほど、楽しいものはない! そうだろう!? そうだと言え! この瞬間こそ、楽しい時はない!」
魔王は再び【
「うぐっ!?」
「フッ……。他人の心配をしている場合ではないだろう。それも、自分の邪魔をしようとする者を庇うとは……。やはりお前は、私のものになるべきだ」
「た、隊長……。指示を……。あの者を捕らえますか?」
「はぁ……はぁ……。はやく……はやくにげてください……。おねがいします……」
現場の指揮を任されているのであろう騎士に、麻痺が来た舌で、呂律の曖昧な懇願をする。
針を抜き取り、掠めた時よりも数倍の痛みが体に走り蹲った僕は、図らずしも騎士に頭を下げていた。
「ふ、負傷者を運べ……。全員、この場から離れろ!」
針に倒れた騎士も、切断された下半身も上半身も運び、騎士たちは散り散りにその場から潰走した。
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