第135話 自我 ◇

「【伝染する悪意アムディシア】……だと?」


「はい。復活を企む魔王は、人間の負の感情を糧とするため、私たちの世界に呪いを蔓延させました。呪いは人から人へ伝染し、不安や嫉妬、心の底にある憎悪を掻き立てる。ロイド様、貴方様もつい先程まで、【伝染する悪意アムディシア】の呪いに苛まれていたのです」


 精霊がどうの、魔王がどうのと、エリスティーナが話すこれまでの経緯は、荒唐無稽な妄想話のように、一言では受け入れられないものだった。俺が部外者なら、完全に嘘だと決めつけて、コイツのケツを真っ赤に腫らしていただろう。

 だが、卦体けたいが悪いことに、俺は身に覚えがある。胸の内にあった憎しみに燃える熱、それがスッと消えた瞬間、過去の自分と今の自分が、急速に遠ざかっていく感覚。

 過去の自分を、極端な場所から俯瞰して見る自分になる。過去の自分も、今の自分も、同じ自分であるはずなのに、頭の中で完全に分離してしまっているというか、過去の自分の考え方に何一つ共感できなくなる感覚。

 それが呪いの境目だというなら、あの燃えかすのような虚無感にも、合点がいく。


「精霊ってのは……」


《私なら、此処におりますよ》


 四方から響く声に、俺は空を見た。風の流れに気配はなく、近くでハッキリと聞こえた気がするが、山彦のように遠くから聞こえてきているような気もする奇妙な声。


《約束です。エリスティーナを離して頂けますか?》


 頭の中で反響する声は、明らかに俺を指して言っている。辺りを警戒しながら、俺はエリスティーナを肩から下ろした。


「ありがとうございます」


「この声が、精霊か?」


「はい」


《初めまして、ロイド様。ティオと申します。よろしくお願い致します》


 畏まった口調がどことなくエリスティーナに似ているから、まさか催眠魔術で幻聴でも聞かせているのかと思ったが、エリスティーナの表情からは、怪しい気配は感じられない。


「お前、俺にも呪いが掛かっていたと言ったな」


「はい」


 精霊の存在を認めると、俺がどこの馬の骨とも知らないクソ悪魔の呪いに、まんまと踊らされていた事を認めなきゃならない。そして、そこから救い出してくれた奴がいる事を、認めなきゃならない。


「……お前が、俺の呪いを解いたのか?」


「私の声には精霊様の力が宿り、その声によって呪いが取り払うことができるのです」


 つまりは、俺は罠に嵌めようと利用した女に、気づかないうちに助けられていたって事か。滑稽だな。笑い話にもならないくらい、くだらない話だ。


「アルテも呪いに苛まれています」


「アルテが……?」


「各国に抗争を仕掛け、不安を煽り続けているのは、呪いが負の感情を湧き立たせる為に働いているからです。この国を出ても、世界の果てまで逃げても、いずれ闇は押し寄せてきます。アルテの呪いを解かないと、人はさらなる争いを求め続け、この事態が解決する事もありません」


 暴君と化した主君は、魔に操られていた。散々と世界中で暴れ回っておいて、身に覚えがないなんて、都合が良いような悪いような話だ。

 だが、これもまた忌々しいことに、俺は昔のアルテを知っている。剣術の才があり、元々、男勝りなところもあったが、それでも姉譲りの思慮深さを持って、目下の者たちへの気遣いや心配りは、俺なんかよりもよっぽど出来たものだったし、顔を赤くして、慣れないお茶会に誘うあたりは、普通の女の子だった。

 だからこそ、今のアルテが操られていると言われても、全くの嘘とは思えない。


「私がアルテの呪いを解きます。どうか、アルテの元へ、連れて行っては頂けませんでしょうか。お願いします」


 深々と頭を下げるエリスティーナに、いよいよ疑う気も失せた。紫色のオーラを身に纏う城を見る。今しがた牢獄から出てこれたのに、戻るのはやはり気が引ける。だが、あのアルテが、胸糞悪い魔王とやらに、いいようにされているかと思うと、それはそれではらわたが煮え繰り返る。


「……奴は、どうした?」


「奴……?」


「アミルだ」


「……彼も恐らく、アルテの元へ行っているはずです」


「なに……?」


「精霊様の力を付与した矢を、彼は持っています。それでアルテを浄化しようと試みるはずです」


「ふん。お得意の潜伏スキルで近づこうとしてるのか。弱虫のアイツらしい」


「ケイルは、弱虫なんかじゃありませんよ」


「……ああ、知ってるさ」


 空間が歪むほどの魔力を溢れ出させているのは、俺の脱獄に怒りを覚えているからだろう。エリスティーナを攫ったとなれば、尚更。

 遠くから、一歩ずつに力を込める騎士王の波動を感じる。


「ロイド様……?」


 妹のアルテにも劣る察知能力を遺憾なく発揮するエリスティーナは、まだ遠くにいるオーバスの気配にも気づいていないようだ。あれだけの気配、ど素人でも気づきそうだが、命を賭けた戦闘などやるはずもないお嬢様に期待しても無駄なことか。

 奴がいちゃ、城壁を壊す時間もない。王都を出る前に、追いつかれていては、逃げ切るのは絶望的だ。

 アルテの元へ引き返すにも、奴を倒さなきゃ通れない。


「オーバスが来る」


 そう言うと、エリスティーナも俺が見る方向に顔を向ける。


「ロイド様……」


「……フッ。最初の計画を思い出した。俺はもう一度、それに集中する」


「計画……?」


 オーバスは目の前の家の屋根までやって来て、威圧的なオーラが風を荒立たせる。相変わらず、忠誠心を拗らせた難しそうな顔をしている。


「ロイド……。エリスティーナ様を何処へ連れて行くつもりだ」


 早々に騎士となり、オーバスを超えて騎士王の座を頂く。父上と母上に教え込まれた人生設計だが、当初の計画通りに励んでいた頃は、まだ人として、大事なことは見失っていなかった気がする。


「今すぐ、城へ戻るのだ」


 計画を変更して、冒険者の道に進んだ。邪魔なアルテを切り捨てるために、その好意を無視した。最低限の心を見失ったのは、その時からだった。


「聞こえていないのか……ロイドよ」


「オーバス。お前、アルテが誰かに操られていると聞いたらどうする?」


「……罪人の戯言に耳を貸すつもりはない。私は陛下のご命令に従うのみだ」


「だろうな。だか、聞かせてくれ。テメェなら、薄々はアルテの異変に気づいてたんじゃねぇのか? それとも、テメェも呪いとやらにかかってんのかよ」


「国がどのような形になろうとも、王に仕えるのが騎士の役目だ」


「その先に、国の破滅が待っていたとしてもか」


「無論だ。例え地獄の果てであろうと、私は陛下のために、この槍を振るう」


「それがテメェの強さか。ふっ……本心はドブにでも捨てたか……? 単純で良いな、お前は。……エリスティーナ。お前、ここから自力で降りられるか?」


「……は、はい」


「そうか……」


 俺は屋根瓦を吹き飛ばしながら、オーバスの元へ一歩で詰め寄り、拳を振るう。

 爆音を響かせながら、衝撃の中心にいるオーバスは、持っていた槍を屋根に突き刺して置き、直立のまま俺の拳を片手で受け止めていた。


「バケモンが……」


 掴まれた拳が抜けない。

 俺は蹴りを振るったが、オーバスは空いた手で足首を掴んで防ぎ、もの凄い勢いでそのまま放り捨てられた。民家のリビングにぶち込まれたが、幸い寝静まった頃合いで、そこに人は居なかった。

 俺は地上を駆け、オーバスのいる屋根の家に着くと、住人の気配がない場所を狙い、跳んで天井を砕きながら、オーバスの足元から飛び出した。

 しかし、騎士王相手には不意打ちにもならず、俺が飛び出した時にはもう、槍を持って跳んだ騎士王が拳に力を溜めおり、殴りかかる準備が整っていた。

 腕を交差させ、オーバスの一撃を受け止めたが、容赦なく振り抜かれ、俺は開けた穴を戻って地面に叩きつけられた。

 親の為でもなく、王女に近づくための口実でもなく、誰にも理解されない初心の目標に向かう。

 それで以前の俺に戻れるとは思わないし、戻りたいとも思はない。ただ、今の自分を確かめてみたいと思っただけ。


「ロイド様!?」


 瓦礫に埋もれた体を立ち上らせる。

 俺がどこまで通用するのか、この煩わしさごと騎士王にぶつけてやる。全力でぶつかれば、少しは自分を理解できるだろう。

 俺はもう一度、オーバスへ飛び掛かった。

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