第132話 侵食

 もう騒ぎも大きくなった。今さら存在を勘づかれた所で変わることもない。

 僕は【地形測量グラビスサーチ】で城内の形状を把握した。頭の中に入ってくるイメージでは、床に繋がる人の形が建物の一部として観測される。空中に浮いてない限り、家具や道具の配置も読み取れるが、色や質感、細部の装飾や隠された魔法陣までは分からない。左の扉の中、誰かが椅子に座っている。奥の大きな部屋には2人。恐らくは王族四姉妹の3人だろうけど、身につけているのものが簡素なのは、それが寝衣だからだろう。

 パレードなんかでフローレンス様とハルネスティ様が、大きな馬車に乗って目抜き通りを通っていたのを見たことがある。【鷲の眼イーグルアイ】で俯瞰から覗き見ることも出来たが、下手に暗殺者と疑われても怖いので、スキルも使わず横顔をチラッと見た程度だったから、はっきりとした顔を知らない。【|地形測量(グラビスサーチ】に映る3人は、色や顔の凹凸までは判別できないけど、背丈を見れば、14歳の女の子はすぐにわかる。アルテミーナ様は奥の部屋にいる二人組の一人だ。

 奥の部屋には結界が張られていた。

 侵入者に気づいて発動させた障壁なんだろうけど、今にも砕け散りそうなくらい薄い。体当たりしても開けられそうな扉だが、もう一度、【地形測量グラビスサーチ】を発動させ形状情報を更新すると、部屋の中にいる背の低い女性が、剣先を扉に向けて身構えているのが見える。僕が中に入り込んだ瞬間に、攻撃を喰らわせるつもりだろう。アルテミーナ様は剣技に長けているという噂があるが、14歳の剣技とは如何程のものか。

 念のため、僕は扉から離れて【渾身の一撃パワーショット】で大袈裟に扉を打ち破る事にした。当然、中にいる御二方には当たらない角度で矢を放つ。

 紙を射抜くようにあっさりと扉を打ち破った矢は、壁に当たって爆風を起こす。


「な、なんだ!?」


 アルテミーナ様の声が聞こえる。

 可能な限り早々に決着をつけようと、混乱しているであろう今に駆け寄る。

 少し失敗だったのは、煙が体に纏わり付いて、せっかく気配を消しているのに、何かが室内に入ってきたのが、丸わかりだったことだ。

 でも、アルテミーナ様は簡単に見逃す。風の流れを読み取るほどの実力はないようだ。


「お、おい! 立て! さっさともう一度、結界を張るんだ!」


 アルテミーナ様の足元で倒れる女性がいた。珍しい桃色の髪を見れば、フローレンス様と察しがつく。扉を守っていた魔力の余韻を、その姿に感じる。フローレンス様は心臓を奪われていると聞いた。もしもそんな体で魔法を使っていたのだとしたら、相当に無理をして展開していたんだろう。

 アルテミーナ様は、室内へ潜り込んだ僕に気づいていない。倒れたフローレンス様に気を取られている今なら、比較的に楽に射抜けそうだ。

 浄化を付与した矢。効くかどうか確証は無いけど、今は躊躇している場合じゃない。王族に矢を放ってタダで済むはずもないけど、これしか方法が無いのだから、もうやるしかない。

 しかし、そう思って矢筒から白銀の矢を取り出した瞬間、瞳孔を開かせ、アルテミーナ様がギロリとこちらを見る。紫色に輝く怪しい瞳は、意思疎通が出来る人間とは思えないほど、敵意に満ちていた。

 おかしい。【狩人の極意マースチェル】は解いてない。よくよく視線をたどると、白銀の矢だけを捉えている。

 アルテミーナ様が剣を横に振ると、禍々しい邪気を宿した魔力が、斬撃となって飛んでくる。矢で射ち払う余裕もなく、僕は体を反らせて回避した。

 斬撃は部屋の中に大きな切り傷を作る。立居振る舞い、剣を持った構えから見ても、アルテミーナ様は剣技の才があると言っても年相応が付く程度だと思った。危機察知には自信があるので、相手の力量を見定める力には長けているつもりだったが、放たれた斬撃は、僕の予想を超える威力だった。

 アルテミーナ様は後ろ足で軽快に下がり、強大な魔力の圧力で窓を開け、バルコニーに出た。

 月明かりを浴びるアルテミーナ様の背後に、不穏な影が浮かび上がる。揺らぐ黒いオーラは、ニヤけた表情を浮かべ、アルテミーナ様の肩に手を置いていた。


「【業火メルト……」


 月の光を反射させた剣は、突きの構えをとる。濃縮されていく魔力に、僕は咄嗟に矢を矢筒に戻し、弓をベルトに装着し、倒れたフローレンス様を抱えて来た道を引き返した。


一突スクライス】!」


 炎を纏った剣が突き出されると、業火の炎が氾濫した川のように、室内に流れ込んでくる。実の姉が取り残されていたというのに、そこには微塵の躊躇も手加減も感じられない。

 真っ直ぐ逃げてたんじゃ、火に追いつかれる。途中、目に入った部屋に走り込み、【風速操作ウェザーシェル】の風ですぐに扉を閉めた。

 通り過ぎる炎が、勢いよく扉を叩くが、耐熱の付与でもされているのか、幸いなことにやり過ごす事ができた。

 アルテミーナ様の背後に見た影。今までとは様子が違った。エリス様の声を聞くまで、あんなに分かり易く表に出てくる事なんて無かったのに、今回は僕の目にもハッキリと見えるほど、黒いオーラを見せていた。

 最高の権力と地位を保持したアルテミーナ様は、その行動の影響力も大きいのだから、誰かの負の感情も、より多く発生させ、より多く受けてきたに違いない。魔王の餌が人間の負の感情なら、こんなに便利な存在はないだろう。もしも魔王がアルテミーナ様を重宝しているなら、その身に宿した呪いも特別なものに変化しているのかもしれない。もしそうなら、エリス様の声を聞いても浄化しきれなかった事も合点がいくし、豹変した時に出た強大な力にも理由が見て取れる。いよいよ僕の持っている矢で浄化できるのか、心配がぶり返してきた。


「だ、誰ですか……?」


 腕の中でぐったりとするフローレンス様は、弱々しく声を出す。気づけば、その体は異様に軽く、脂肪の一切を削ぎ落としたようで、柔らかさを感じない。

 【狩人の極意マースチェル】を解き、正体を晒す。

 薄目に光る桃色の瞳、桃色の長い髪。フローレンス様の表情を見れば、暗い血色を隠すように白い化粧が施されている。エリス様から事情を聞いたのは約2ヶ月半前。その時からずっと、心臓を抜かれたまま幽閉状態だったと考えると、体力の限界が訪れているのは分かりきった事だった。


「安心して下さい。僕は味方です。アルテミーナ様の呪いを解きにやって参りました」


「アルテが……呪いを……?」


「はい。アルテミーナ様には負の感情を取り巻く呪いが掛けられています。一刻も早く、浄化する必要があります。失礼ですが、フローレンス様でらっしゃいますよね?」


「はい……」


「お目にかかれて光栄です。では、フローレンス様はこちらに待機していて下さい」


 確証が持てず、念のための名前を確認しながら、フローレンス様をソファまで運び、そっと寝かせた。


「そういえば、フローレンス様は心臓を取られたと……。体調は……もう少し我慢できますか?」


「……なぜそれを?」


「エリス様から、そう伺いました」


「エリス……!? エリスは無事なのですか!?」


 呼吸するのも苦しいはずなのに、エリス様の名を出すと、フローレンス様は衰弱し切った体を無理矢理起こそうとする。僕はフローレンス様の両肩を支え、またゆっくりとソファに寝かせた。

 フローレンス様は、力なく腕をあげ、指を差す。指し示す先を見ると、【地形測量グラビスサーチ】でも確認した、椅子に座った女性が居た。


「アルテに不意を突かれたハルネは、催眠の呪縛に苛まれました。最初は反対魔法で抵抗していましたが、今はもう、完全に眠りに落ちています。ハルネなら、呪縛を解除することも出来たのに……私の心臓を気遣って、抵抗するだけにしていました」


 ハルネ。王の間で、四姉妹の内、今まで会っていない人を考えれば、ハルネスティ様の愛称だろう。鏡の前の椅子に座るハルネスティ様。鏡に反射した表情は、瞬きもせず、目には光がなかった。


「ハルネは最後の力を使って【思念伝達マインレクト】を発動させ、エリスへ私たちの現状を伝えました。そのすぐ後に、エリスが監獄に入れられたと聞き、それでも、私たちは何もできず……。私は……ダメな姉です。自分の命欲しさに、アルテの命令に従い、助けを呼ぶこともせず……ハルネを眠らせてしまった」


 涙を流すフローレンス様は、力尽きた腕を床に落とす。僕はその腕を、そっとお腹の方へ置いた。


「回り回って、皆んなが不幸と直面しました。僕も、大切な人を失いました。誰かのせいじゃない、全ては仕方のなかった事です。辛かったでしょうけど、僕はフローレンス様が生きていてくれて良かったと思います。きっとハルネスティ様も同じことを想うはずです。後のことは僕に任せて、今は少しだけ休んでいて下さい。大丈夫、僕がなんとかします」


「貴方の……お名前は……」


「ケイルと申します。今は、エリス様の従者を務めております」


「……そうですか」


 疲れ切ったフローレンス様は、少し嬉しそうに微笑んで、目を閉じた。


「フローレンス様……?」


 返事がない。手首を触り脈を測るが、血管はピクリとも動かない。脈が無い。それでも一定の間隔で胸が動くのを見ると、呼吸をしているのは分かる。亡くなっているわけではなく、気を失っているだけみたいだ。

 知恵の無い僕には、フローレンス様の体がどういった状態なのかも分からない。それでも、急いだ方が良いのは分かる。

 使命を果たす意味を増やし、アルテミーナ様の元へ戻るため、静かになった部屋の扉に手をかけた。

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