第131話 宝物

 銀の矢筒で木の矢を複製するのも、ある程度の魔力を使う。筋肉の疲労も、魔力では補えなくなっていく。きっと、複製の方は体力も集中力も衰えない。普通に考えればジリ貧で、僕は明らかに、複製に負けていた。

 弱い心が出た瞬間、僕は咄嗟にそれを心の奥底に隠したが、時すでに遅し、そんな動揺を見透かすように、複製の僕だけがニヤリと笑う。僕は笑っていないのに、複製の方だけが笑っている。

 偽物が本物の域を超えた時、鏡の境界を超えて、複製は複製を止める。僕の持論が正しいのかもしれない、そう思うと、今まさに存在自体に優劣がつきかけ、偽物と本物が立場を入れ替えようとしている気がしてきた。弱い自分か、強い自分かで言えば、誰だって強い自分でいたいと思うからだ。強い方の自分を、本当の自分だと信じたくなるからだ。


「ケイルさん! 自分自身に負けてはいけません!」


 アルメロの言葉は痛いほど正論だ。分かってはいるけど、一度、憧れてしまった僕の心は、半分が複製とくっついてしまっている気がした。

 複製は僕の鏡だ。僕なら僕に酷い事はしないはず。話し合えば、もしかしたら通して貰えるかもしれない。

 僕じゃあ、勝てない。勝てないなら、複製の言う通り、何か別の方法を考えるべきなんじゃ無いか。そうやって時間稼ぎするのが、複製の魂胆だと分かっていても、折れかけた心は、楽な方へと重きを移す。


(優しくて心配りができて、力を私欲の為に使うこともしない。私が認める世界最高の弓使いだわ)


 敗北を悟りかけたとき、瞼を閉じた暗闇の中で、ふとレイシア様の声が聞こえた。


(負けるなよ。自分に誇りを持て)


 今度はシェイル様の声。ロイド様と戦う前に、強い視線を向けながら、僕に言ってくれた言葉。


(アンタに会いに来たって、言ってるでしょ!?)


 ローデンスクールで再開した時、ミリィ様は少し涙目になって、そう言った。僕の誤解だったと気づいた時、御三方は本当に心配して追いかけてきてくれたんだと、その顔を見て悟った。


(もっと自信を持ちなさいよ! ロイドの奴なんか、気にしなくていいんだから!)


(優柔不断でも、優しいところがアミル君の良いところだからね)


(信頼に足る、弱さというものもある。お前の弱さは、友を気遣い過ぎる弱さだ。恥じる事はない)


 神童の集いとして共に過ごしていた中で、御三方に言われた嬉しい言葉。なんだろう、これが俗に言う走馬灯という奴なんだろうか。もしも、そうなら、裏切られたと思ったまま終えなくて良かった。誤解が無くなって、またこの嬉しい言葉を、嬉しい言葉のまま聞けて良かった。高貴な方々と友達でいられた事を、僕は誇りに思うことができる。


(その結果がどうであれ、人に優しくなれる貴方が従者として側に居てくれた事を、私は誇りに想います)


 エリス様の声に、僕はハッとして目を開けた。胸元で何かが熱い。微かに揺れている。

 触れた胸元には、首から下げたネックレスが情熱を持って僕に何かを訴えかけようと、服の上からでも分かる存在感を放っていた。

 ユリウスから貰った、カルネロの花が彫られた木の板のネックレス。カルネロの花が象徴するのは、絆と友情。このネックレスが、皆んなの言葉を思い出させてくれた。


「な、なに……? 何か……分からないものが……」


「君には聞こえないさ。この言葉は、皆んなが僕にくれた言葉なんだから」


 僕がネックレスを服の中から出すと、複製の僕も真似をして取り出そうとするが、複製の僕の首には、カルネロのネックレスは掛かっていなかった。


「なんですか……それ」


「君には無いものだよ。僕だけの宝物だ」


 僕にしかないネックレスを強く握り、深い決意を思い出す。何のためにここまで来たのか、もう悩む事もない。僕はやる。友のため、エリス様のために、使命を果たせるなら、自分自身だって殺してみせる。

 僕は後ろは下がり、階段の縁に立つ。複製の僕も後ろに下がるから、今は少し離れた鏡の前に立って、こちらを見ている。


「君は強い僕だ。憧れるし、そうで有りたいと思うよ。でもきっと、強がる自分じゃ、永遠に友達は作れないと思う」


 体を正面に向けたまま、相手の心臓に垂直に矢が向くよう弓を立てる。弦を左腕の外側に置き、逆手に矢を持って、口を塞ぐように右腕を回し、左肩まで弦を引く。複製の僕も、同じ動作をする。


「僕は弱い。だから皆んなが支えてくれる。感謝が出来る。人は弱いから、助け合えるんだ」


 僕は僕の心臓に向かって、何の魔力も込めない矢を放った。放物線を描く矢は、真っ直ぐに相手の心臓に飛んでいく。速さを競っていた矢と比べると、もの凄くゆっくりに感じる。当然、複製の僕も同じ動作、同じ時点で矢を放っている。真っ直ぐに放った矢はぶつかり合う事なく、すれ違い、僕の方へと飛んでくる。

 僕が避ければ、きっと複製の僕も避ける。だから僕は避ける事をやめ、矢を食らう覚悟を持って、無抵抗に腕を下ろした。


「な、なにを……!?」


「君には助けてくれる仲間が居ない。それが僕との違いだ」


 僕の胸に矢が刺さると、複製の僕にも矢が刺さる。鏡から出てきた複製の僕は、左右が反対になっていて、右に心臓がついていた。同じ動作で放たれた矢は、お互いの右の胸に刺さったが、当然、僕の心臓は左についている。

 後ろへ倒れる最中、穏やかな顔をした複製の僕は、「それは、羨ましい……」と言葉を残して消えていった。

 階段へ落ちる僕を、アルメロとミアが受け止めてくれた。


「矢を抜きます! 我慢して下さい!」


「うぐっ!」


「【細胞回復アルカナフィール】」


 ミアが矢を抜き、アルメロは僅かながらに残った魔力で、回復魔法をかけてくれた。傷の痛みが少しずつ無くなっていくのが分かる。


「なんと無茶な事を……」


「アルメロさん、攻略方が分かりましたよ。鏡の自分は左右が反対だから、相手の右胸を刺して、自分も刺されれば良いんです。と言っても、この場合、回復してくれる優秀な仲間が必要ですが」


「もう! 何を呑気に言ってるですか!? 心臓に悪いのは、こっちの方ですよ!」


「あ痛たっ!? ……まだ、治り切っていません」


「ああ!? ご、ごめんなさい!」


「い、いえ。大丈夫ですけど」


 涙を流すミアに叩かれた。

 確かに無茶なやり方だけど、弱い自分を受け入れて、強い自分の矢も受け止めて、僕が僕になったようで、僕としては、何だかとても心地が良い。


「魔力を貴方に渡します。これが私の最後の魔力です」


「わ、私も!」


 ミアとアルメロは【魔力授受ドレイス】で消耗した僕の魔力を補充してくれた。本当に魔力を使い果たした2人は、その場で力なく座り込む。


「大丈夫ですか?」


「大丈夫。自身に打ち勝った貴方には、もう鏡も反応しません。さぁ、もう立ち塞がるものは有りません。陛下の元へ」


「頑張って下さい! ケイルさん!」


「……はい。行ってきます」


 再び階段を上がり切る。鏡に近づいていくと、映った自分が同じ背丈になっていく。また、瞬きをした瞬間に、複製の僕が現れるんじゃないかと怖かったが、鏡に手が届くところまで来ても、鏡は鏡のままだった。

 安心したら、自然と笑みが溢れた。鏡に映る自分も笑顔になるのは当たり前だが、映っている自分が、さっきの複製の僕のような気がしてならなかった。

 手を伸ばすと、そこには感触がなく、腕が鏡を貫通した。足を進めると、鏡の中の自分と融合していくように、すらすらと中に入っていけて、全身が鏡の向こう側に着いた。

 いくつかの扉が左右にある大きな廊下が続いている。この先がきっと王の部屋だろう。アルメロは、もう罠は無いと言っていたが、何が待ち受けているかも分からないので、僕は【狩人の極意マースチェル】で気配を消して、静かに歩き始めた。

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