第130話 鏡

 鏡に向かって歩けば、映る自分は少しずつ等身大に近づいていく。いつ罠が発動するのかと、身構えながら進んでいたら、平面だった影は、瞬きを挟むと既に立体的になっていた。

 僕が立っている。廊下に自立している。鏡の中の自分を見るのとは、まるで違う感覚。鏡の世界から飛び出してきたそれは、よくよく面識がある者でも判別出来ないくらい瓜二つで、いつだって僕に取って代わり、生きていける有様だった。これが、僕の複製。僕がもう一人いるというだけで、僕のこの世界での存在価値が半減してしまったような気がしてくる。自分の居場所を脅かす存在なのだと、本能が訴えかけてくる。


「ど、どうも、こんばんは」


 僕が挨拶していくる。それも普段、僕が初対面の人に挨拶する時みたいに、恐縮しながら。容姿だけでなく、態度まで、口調までそっくりだと、いよいよ身の毛が弥立よだつ。


「アルメロさん! 複製は喋るんですか!?」


「複製の姿はこちらにも見えていますが、声までは聞こえません。それは貴方の深層心理まで複製しようとする【自我白敵ミラーコード】が、心の中に介入しようとしているのです。敵を足止めする小細工です。聞く耳を持ってはいけません」


 僕が戦う姿勢を取ると、目の前の僕も全く同じ動作を見せる。僕の真似をしているというより、僕の思慮と結びついて、同時に同じ発想を巡らせているようだ。


「本当に戦わなくては、いけませんか?」


 【自我白敵ミラーコード】は幻影を出して僕の道を阻んでおきながら、僕の姿を使ってそんなことを言う。複製を倒さなきゃ、先に進めないんだから、当然、戦うに決まってる。でも、簡単に聞き流せるはずの言葉なのに、妙に胸に突っかかるのは、僕の深層心理から反映された言葉だからだろう。

 僕が木の矢を放つと、刹那も違わぬ時点で、複製の僕も木の矢を放ち、互いの矢先が正面からぶつかって、砕け飛んだ。


「君と僕は、全く同じ。君に僕は倒せませんよ。お願いだから、引き返してくれませんか。そうすれば、僕らが戦う必要なんてないんですから」


 右に回り込みながら、木の矢を70本、連射する。すると、やはり複製の僕も同じように、僕の左に回り込みながら木の矢を放ち、70本の矢が発射された順番通りにぶつかり合い、相殺されていく。


「君は僕を殺すんですか? 他人には気を遣うけど、僕は自分だから、殺しても構わないと、そういうことなんですね」


「君は鏡が作り出した幻だ。人じゃない」


「確かに僕は人じゃありません。でも、君と同じように考え、君と同じ想いを持っています。痛みもあるし、心だって苦しい」


「嘘をつくな」


「僕は君なのに、どうして戦い合わなくちゃならないのですか? 本当に他の方法は無いのですか?」


「会話をしてはいけません!」


「僕はいつだって、気を遣いながら戦ってきました。殺傷を避けてきました。それが今は、何も考慮する事なく、僕を殺そうとしている。僕は間違っていると思う。他にも必ず、方法はあるはずなんだ。例えば、僕を倒さなくても、先に進める方法があるかもしれない。そんな方法があるなら、すごく幸せじゃ無いですか?」


「ケイルさん!」


 少し気を抜くと、ぼうっとして、まるで自分の心の声を聞いているみたいに、複製の僕の言葉に集中している。ミアの大きな声を聞いて、僕は首を大きく振って、雑念を払った。

 いま僕が考えるべき事は、全く同じ動きをしてくる自分を、どうやって攻略するか。分析しろ。完全な同一なんて、この世には一つも存在しない。必ず違いがあるはずだ。僕という存在は、世界に一人しかいないんだから。

 柱の角にある凹凸の角度、湾曲した天井の角度を見定め、明後日の方向に【跳弾反射バウドリップ】の矢を放つと、複製の僕も明後日の方向に矢を放つ。読み通りに反射した矢は、死角から複製の僕を目掛けて飛んでいく。複製の僕が放った矢も、壁や天井を反射して僕の死角から向かってくるのが、【鷲の眼イーグルアイ】で分かる。僕が半歩、後ろに下がって矢を避けると、複製の僕も半歩、後ろに下がって矢を避けた。


「言ったでしょう。僕は君なんですよ。やはり、他の方法を考えるべきです。いつもの僕なら、そうしているはず」


 複製と分かっていても、容姿も言動も似ているのだから、無意識が親近感を抱いて、流すべき言葉を真に受けてしまう。


「僕が僕に負けたく無い気持ちは分かります。自分の最大の敵は自分、なんてよく聞きますし、僕はいつだって恐怖した自分に勝ってきましたしね。今回も勝てると思うのは自然なことです。でも、戦わない選択肢を考慮しないのは、僕らしく無いですよ」


「僕らしく無い?」


「そうですよ。どんなに憎くても、僕は誰かを殺す事なんて、考えもしなかった。殺したら、希望はない。どんな可能性だって、無になる。アンガル王だって、あの時に殺さなかったから、クロフテリアと和解させることが出来た。今だったそう、殺さない事で得られる可能性があるかもしれない」


 きっと複製の僕が言う言葉は、潜在意識の中にある僕が本当に望んでいる選択肢なんだろう。出来る事ならそうしたいと、気持ちが緩む。


「ケイルさん!」


「分かっています! ……大丈夫です!」


 何度、矢を放っても、僕の矢は僕の矢に当たる。本当に鏡と戦っている。こちらが手を止めると、向こうも手を止める。相手の敵意や殺意が全く感じられない。冷静さを欠くのはまずいが、こんな摩訶不思議な戦いで平静を保つなんて無理だ。同じ行動の同時が続けまば続くほど、相手の心と繋がっていくようで、気味が悪い。なんとか出し抜けないかと思うけど、攻略の気配すら見えないから焦る。


「何も諦めろと言っているわけじゃありません。他に方法は無いか、考えようと言っているだけです。なぜそれがわからないのですが?」


 矢同士がぶつからない角度で相手に放てば、やはり相手の矢もこちらに飛んでくる訳で、それを避ければ、同じ動作で相手も避けてくる。


「僕の言葉を無視するんですか? 僕自身の言葉だというのに」


 体を横に向け、弓を構えると、相手も同じように弓を構える。僕は何も考えず、ひたすら連射し続けた。当然、お互いの矢がぶつかり合って、折れては落ちていく。

 僕は【神速連射ゴッドアロー】の効力を最大限に引き上げて、連射速度で勝負しようとした。1秒間に7本、8本、9本と矢継ぎの速さを上げていく。10、11本と、限界に近い速度を出すと、腕の筋肉の繊維が高熱を持ち出し激痛が走り出す。指の皮膚は切れ、矢の精度は落ちていく。だが、構わない。限界を超えて矢を放てば、最後には必ず、本物が勝つはずだから。

 無数の矢がぶつかり合い、飛び散る破片が火花のように、僕と僕の間に散る。

 僕は矢を放つ手を止めた。破片に紛れて、一本の矢が顔面に目掛けて飛んできたからだ。僕はすぐに首を傾け、矢は頬を切り裂きながら、通り過ぎて行った。

 戦慄が走る。同じ速度、同じ時点で矢を放っていれば、攻撃は必ず相殺される。そう思っていたから、避けるのが遅れた。でも、現実には一本の矢が僕の方まで届いた。そして、目の前の僕を見ると、複製の僕の頬には傷がついていなかった。

 速度勝負しようとしたら、逆に僕の速度を上回る矢継ぎで返され、一本の矢が僕のところまで届いた。疲労が溜まり、指の皮が剥け、僕は痛みを感じながら矢を放っていたが、複製の僕は似たように指から血が出ているが、きっと痛みを感じていない。痛みがない分、僕より速く矢継ぎができる。そうとしか考えられなかった。


「アルメロさん! これって、本当に勝つ方法あるんですか!?」


「……分かりません」


「……そうですよね。分かったら、意味ないですよね」


 階段手前に立ち、身を伏せるアルメロに問うが、そう簡単に攻略できたら、王の所在を守る罠として頼りないのだから、聞いていて無論な事だと自分で気づいた。


「僕は君です。君なら僕の気持ちも分かるでしょう」


「うるさい」


 一つ、【閃光花火テルスアロー】を、相手に当たらない方へ試験的に放ってみる。一定の距離で爆発した光を起点に、閃光の矢が四方に飛ぶ【閃光花火テルスアロー】は、こちらの意図しない方向に矢が拡散する。

 思考の及ばない、偶発的な矢なら、当たる可能性があるかと思った。

 複製の僕も【閃光花火テルスアロー】を放ってくる。爆発から広がる矢は、僕の放った【閃光花火テルスアロー】と同じ拡散の仕方をしていた。

 目の前の僕は、僕の思考を読み取って真似をしている訳じゃない。現象そのものが、複製されているんだと、察しがついた。でも、だったら、速度勝負した時に相手の矢だけがこちらに飛んできたのは、どうしてだ。もしかしたら、偽物が本物の域を超えた時だけ、鏡の境界を超えて、複製は複製を止めるのかもしれない。

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