第127話 虚勢2 ◇

「あの……エリスティーナ様の従者を名乗る方から、呪いの話を聞きました。……もしかして、牢屋の中にいた人たちを浄化したのは、エリスティーナ様ですか?」


「ミア様。エリスティーナ様には呪術がかけられ、今は声が出せない状態となっています」


「そ、そうなんですか」


 隣の牢屋にいるエリスティーナは、アルテミーナの呼び出しから帰ってきて以降、何も応えない。看守が事情を説明すると、なるほど、どうりで俺がアルテミーナの様子を聞いても、無視してくるはずだと思った。


「おい、ミアとか言ったか?」


「お前には関係ない。口をつつし……」


 俺の言葉を消そうとした騎士に、眼鏡の女は手を上げて黙認させた。


「はい。私は魔導書士官長を務めるミアと申します。貴方様はロイド・アッカス様でございますね」


「様付けはいらねぇ。俺はもう貴族でも何でもねぇからな。それよりもお前、呪いがどうのと言っていたな。もしも騒いでいた、ここの連中の事を言ってるなら、静めたのは間違いなくこの女だ」


「何を適当な事を言っている!?」


「お前はそこのジジィに記憶を書き換えられて、何も覚えていないだけだ。黙って引っ込んでろ」


「な、なにを……!? そんな事、あるわけないだろう!? ……ありませんよね? アルメロ様……アルメロ様?」


 看守が戸惑ってアルメロを見るが、当の国王従者は間抜けな顔をして外方を向くだけだった。

 看守は忘れても、俺はこの身でハッキリと感じた。エリスティーナに何かをされた感触を。俺の中から熱を抉り取った所業を。もしもそれが、呪いとやらに関係あるなら、間違いなくそれをどうにかしたのは、エリスティーナしかいない。


「……そうですか。貴重なお話、ありがとうございました」


「おい! ちょっと待てよ! 呪いってのは何の話なんだ!?」


「すみませんが、今は詳しくお話すことは出来ません。では」


 エリスティーナをじっと見つめ、何かを観察していた眼鏡の女は、聞きたいことだけ聞いて背中を向けた。


「アルメロ様……?」


「私は私で動きますから、貴女は彼と共に先へ行きなさい」


「で、でも……」


「合図を送りますので、それを機に先へと進むよう、彼にもお伝えください」


 不安そうな顔をした眼鏡の女は納得しきれていない様子だったが、結局はアルメロに遠慮した態度を見せながら、牢獄を出て行った。


「お体の調子はよろしいでしょうか? お二人とも」


「ここは散歩しにくる所じゃねぇぞ。どいつもこいつも適当に来やがって」


 アルメロ元王宮魔導士最高顧問。王宮に仕える魔法使いを束ねる責任者。ひいてはリングリッド国内で一番の権力を持った魔法使い。元は平民だったと聞いた事はあるが、50年以上前に特別貴族の称号を得ているから、もはや伯爵クラスの爵位持ちと変わりないし、今は国王従者まで登り詰めたのだから、今さら平民上がりと罵る者も居ない。

 王族からの信頼は厚く、アルテミーナから聞いた話では、王女四姉妹たちは皆、アルメロから魔力の使い方を教わり、王家としての立ち居振る舞いを学んだのだという。

 そんな事もあって、アルテミーナからお茶の誘いがある時は、いつだってアルメロ経由だった。お茶を断ることが多くなってからは、この年老いた顔を見るのが億劫だった。

 腰が低く、口調は穏やかで、それでいてへつらうような下卑た態度は取らない。王族の脛をしゃぶるために、権力にすがる奴は多くいるが、アルメロにはそれら低俗な奴らとは明らかに違う毅然とした軸があり、接していると、王族の信頼を勝ち得るだけの人格者だということは、すぐにわかる。

 王女たちのことを自分の娘のように、大切に想っているのだろう。優しい気持ちは形だけじゃなく、言葉にも宿っているようで、何とかアルテミーナの元へ来るように願う誘い文句を掻い潜るには、いつだって苦労させられた。父上がアルテミーナの誘いを断る口実に、計画を変更してまで俺を冒険者の道へ行かせたぐらいに、このアルメロを断るのは気概と忍耐がいる。

 アルメロの言葉を聞くと、それを断った時のアルテミーナの悲しむ様子が思い浮かぶように出来ているから、まだ嫌味や暴言を吐かれた方が楽なくらいで、俺はアルメロに一種のトラウマのような苦手意識を抱えてしまっている。

 

「ふふふ。まぁ、そう言わないでください。私は、貴方様にとって最後の機会を提供しにやって来たのですから」


「最後の機会?」


「もしも、その枷を外したら、エリス様と共に、ここから逃げ延びることは出来ますか?」


「な、何を仰って居るのですか!? アルメロ様」


 俺が驚いているのだから、看守の騎士が驚くのも当然だ。この老ぼれ、とうとうボケたか。

 王族に長らく仕え、全てを捧げて育てた王女四姉妹に深く同情する気持ちは分かるが、エリスティーナを外に出せば、いくら国王従者といえど、命の保証もないだろう。

 だが、俺を一点に捉える目には、曇りがない。誰かに操られているなら、相応の態度を見せるものだが、そんな様子もない。どうやら本気で言っているようだ。


「それとも、お茶会同様にお断りなさいますか?」


「嫌味な言い方だな。アンタらしくもない」


「今回はエリス様の命に関わること故、私も少し慌てているのですよ」


「本当に慌ててる人間は、自分が慌ててるなんて言わねぇよ」


 俺がエリスティーナを抱えて逃げる。国から亡命する。……不可能だ。目の前の雑魚騎士ならまだしも、エリスティーナを出せば、また必ずオーバスが捕まえにくる。闇雲に逃げて、オーバス率いる騎士団相手に追っ手を振り切るなんて、誰がやったって不可能だ。

 このジジィは、不可能だと分かってて提案してる。しかし、何のために。自分の命を危険に晒してまで、どうして俺たちを出す。捕まると分かりきっているのに。

 何かを企てている。問い詰めたところで、俺じゃアルメロの懐で空回りするだけで、教えても貰えないだろう。

 まぁ、どちらにせよ先の見えた人生だ。ジジィの策謀に加担するのは癪に触るが、この際、道を選んでなどいられない。


「出来るか、出来ねぇかじゃねぇだろ。俺が生き延びるにはそれしかない。最初からそう言ったらどうだ」


「これでも私は、貴方様のことも大変気にかけているのですよ」


「勝手に言ってろ。俺はアンタが嫌いだ」


「ふふふ。いずれ仲良くなれますよ。この檻を出たら、貴方様はきっと、本当の意味で自由を手に入れることができるでしょうから」


 俺とアルメロの話を聞く看守は、みるみると顔を青くしていく。アルメロの、優しさの中に深い信念を閉じ込めた視線が刺さると、肩を竦ませた看守が、悲鳴をあげて牢獄の出口に向かって走り出す。


「【追憶路変レミーアウセル】」


 アルメロが唱えると、逃げようとした看守は直立して止まる。入り口の部屋で待機していたもう一人の看守は、「どうした!?」と不審に駆られて牢獄に入ってきたが、これもまたアルメロの催眠で沈黙した。


「【呪縛解除クレップルペイアウト】」


 今度はこちらに軽く人差し指を向けて唱えると、牢屋の扉と手首に嵌められた枷が音を立てて、抵抗力をなくした。

 老いても王宮魔導士顧問だった男。あっさりと制圧し、あっさりと拘束を解除する辺りは、見た目に反して高等な実力者だ。


「マジでか……」


 アルメロが本気で言っていると分かってはいても、いざ実際に枷を解かれると、やはり正気なのかと疑いたくなる。


「さぁ。こちらへ。回復を待っている時間はありませんから、私の魔力を貴方様に渡しましょう」


「……何を考えてやがる」


「この国のため、エリス様のため、そして貴方様のためになる事だけを考えているつもりでございます」


 アルメロは【魔力授受ドレイス】で俺に魔力を分け与えた。俺がもし力を振るえば、アルメロなんかでは決して抑え込めるはずもないのだから、俺を回復させ過ぎれば、当然、危険性が増すことも理解しているはずなのに、与えられた魔力は、迷いや恐れを感じさせない程の量で、アルメロは魔力のほとんどを俺に渡した。俺が不義を働く事など、全く信じていないかのような、アルメロの微笑みは不気味だった。


「おい、俺に何をさせるつもりだ」


「ただ、エリス様を逃して頂ければ、それで十分でございます。当然、エリス様の身を第一に考えて行動してください」


「簡単に言うな。此処を出れば、アイツが必ず来る」


「ええ。そうですね」


「そうですねって……」


「貴方様なら、きっと逃げ切れると信じておりますよ」


「本気で言っているのか」


「どのみち、何もしなければリングリッドは破滅する運命にあります。微々たる可能性でも、それが唯一の希望ならば、賭けてみるより仕方がありません。それに、私が見るに、彼は賭けるに値する、希望に満ちた方のようですから」


 アルメロはエリスティーナを見て微笑む。

 俺が逃げ切れると、本気でそう思っているのか、それとも何か別の思惑があるのか、今の俺の器では、アルメロとの心理戦は後手を踏むばかりで、見当もつかない。


「くそったれが……。おい、行くぞ」


「アルメロ……」


「エリス様、私に出来ることはこれくらいで御座います」


 アルメロの【呪縛解除クレップルペイアウト】はエリスティーナの声も解放したらしい。幼い頃から世話して貰った士官との感動の再会か……反吐が出る。


「御武運を祈っております」


 まさか、俺がまたコイツを逃がす事になるとはな。いけ好かないアルメロの声を背に、俺はエリスティーナを連れて牢獄を出る。

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