第128話 先手
「アルメロ様は?」
「別行動を取ると言われ、牢獄で別れてしまいました。合図を出したら、先へ進むようにと……」
「合図? どんな合図ですか?」
「私にも分かりません」
部屋に戻ってきたミアの後ろに、アルメロの姿はなかった。合図って、どこに居ても分かりやすいものだろうか。何をするつもりなのか、不安になる。
「……症状を見せて牢屋に収容されていた方々が、皆さん憑き物が取れたように穏やかな表情をされていました。エリスティーナ様は声を拘束されていて、お話を伺うことはできませんでしたが、隣の牢屋にいたロイド・アッカス様という元公爵家の方が応えて下さいました」
「ロイド様が?」
「ご存知なのですか?」
「え、ええ、まぁ。ロイド様がエリス様の浄化の力を証言してくれたのですか?」
「はい」
不貞腐れながら話すロイド様の姿が目に浮かぶ。牢獄で呪いを解いた時に気絶した人たちは、どうやら無事に目を覚ましたらしい。エリス様が投獄された日に、呪いの症状が消えたとあれば、ミアも信じるよりないと思ったようだった。
「もう疑うこともしません。私もお手伝い致します」
「ありがとうございます!」
ミアは棚から鎖に巻かれた「障壁魔法の全て」という本を重そうに運んで来て、僕は置き場を無くしていた調査資料の本を閉じてどかした。
ミアが首に下げた鍵を錠に挿して回すと、鎖は光となって離散した。
「王族が住まう上層階は、王の扉を通らなくては行けません」
「王の扉?」
「此処へ来る道にある、魔法陣の描かれた扉です」
「あの紋様の扉ですか」
「あの扉には、王の血を受け継ぐ者しか通れない障壁が張られています。確かこの本にも記されているはずです。ありました。これです」
ミアの開いたページには、廊下で見た紋様が忠実に描かれ、恐らくは紋様の意味や役割が書いてあるんだろうけど、僕の知力では所有している弓スキルを手放しても、習得できないくらいの情報量で、記された文字は所々が霞がかって、頭がズキズキと痛くなる。解読はミアに任せるしか無い。
「扉を開ける方法はありますか?」
「……はい、これならなんとか、私でも」
「本当ですか?」
「でも、少し解除に時間がかかりますし、警備している騎士の方々をどうにかしないと……」
「近衛兵の鎧にはどんな耐性付与が施されているのか分かりますか?」
「毒耐性、催眠耐性、麻痺耐性、電撃耐性、炎耐性、水耐性……あの鎧は、ほぼ全ての耐性を獲得した、我が国のは宝具です」
「じゃあ、気絶させるのも難しいですね」
見た目から違いを感じさせる重厚な近衛兵の鎧は、やはり特別なものらしい。【
「アルメロ様は合図を待てと仰っていました」
「合図ですか……」
アルメロは、僕らが扉を潜り抜けやすくするような仕掛けを、用意してくれるのだろうか。
「少しは待ちますが……。エリス様はいつ処刑されるか分からない身です。合図がなくても、僕は今夜、決行したいと思います」
「……わかりました。私も準備しておきます」
ミアは本を入念に読み返し、迅速に障壁を解除できるよう、ぶつぶつと呟きながら工程を確認していた。ロウソクの小さな光の中で本と向き合い、すごい集中力で瞬きも忘れて食い入る姿は、やはりレイシア様と似ている。いや、レイシア様がミアを真似たと言った方が正しいか。普段の魔導書士官としての仕事も、こんな風に真面目にこなしているんだろうなと思った。
エリス様が処刑されるまで時間がない。ただ待っている時間は、気が気じゃなかった。ミアの心強い姿勢に、感心したいところだったが、いつどこから来るかも分からない合図に備え、僕の心はソワソワしっぱなしで、窓辺で落ち着くよう自分に言い聞かせるのが精一杯だった。
黒一色だった空には、分厚い雲にポッカリと穴が空いて、綺麗な満月の光が暗闇を貫通していた。この光は、きっと全てが上手く行く前兆なのだと、藁にもすがる想いで、見上げていた。
月がくだり始め、そろそろ待つのも我慢ならなくなった頃、下の階で轟音が響き、城が揺れた。僕とミアは視線を合わす。これが合図か、いや、これが合図に違いない。これだけの騒ぎを起こして合図じゃなかったら、よほど警戒されてしまうのだから、合図でなきゃ困る。
「な、何でしょうか。今の……」
「さぁ、でも今のがアルメロさんの言っていた合図なんじゃないでしょうか。僕らも、い、行きましょう」
「は、はい」
「まずはミアさんの方で、警備の方を遠ざけられないか、話して見て下さい。無理そうなら、僕が戦って気絶させます」
「わ、分かりました」
緊張もピークに達した二人だが、ゆっくりと深呼吸して廊下へ出た。【
窓の外では、上から紫色の幕が降りてきて、景色が一変していく。
廊下を先へ進むと、向こう側から多数の鎧の擦れる音が聞こえてくる。王の扉の前には、駆けつけた近衛兵が槍を持って10人ほど集まり、敵意のオーラを纏って警戒態勢をとっていた。騒ぎが起きた時、彼らが真っ先に向かう場所は、最初からこの場所だと決まっているんだろう。王の間に続く道はこの扉しかないのだから、城の外壁を保護する障壁が崩れない限り、此処さえ死守していれば王族は守れる。
「あ、あの……ケイルさん……? そこにいますか? 聞こえていますでしょうか?」
震える小さな声でミアは、どこかにいる僕に聞く。
「聞こえていますよ」
「ど、どうしましょうか……」
「ミア様!」
こちらに気づいた近衛兵の一人が駆け寄ってきて、ミアは体を強張らせた。嘘も演技も下手なミアだ。誤魔化し切れるか心配になりながら、僕はいつでも動けるよう、音もなく矢を弦に引っ掛け、居ないフリに徹する。
「大丈夫ですか?」
「えっ!? わ、わ、私は大丈夫ですよ!? そ、それよりも、一体なにがあったのでしょうか? 凄く揺れた感じがしましたが」
「詳しい事は分かりません。ですが、緊急用の外壁防御が発動していますから、敵襲の可能性が高いです。官長室は比較的安全ですから、原因が分かるまでミア様は部屋に戻って待機していて下さい」
「引き返せ」と言われても、そうもいかないミアは、声を出せるはずもない僕の反応を探って、辺りをキョロキョロと挙動不審に見て催促する。窓を染める紫色の幕は、いざと言うときに城を保護する防御魔法らしい。これがアルメロの言った合図なんだろうか。騒ぎを起こせば、警戒されるのは当たり前。だから隠密に徹していたというのに、行きたい道に近衛兵を集結させるだけで、これじゃあ逆効果じゃないか。
「落ち着いて下さい、皆さん」
「アルメロ様!?」
余裕のある笑みを浮かべながら、やって来たアルメロ。王の扉を近衛兵が埋めるこの現状を見ても、驚きもしない所を見ると、やはりアルメロにとっては予定通りの状況なんだろうか。
……まさか……裏切られた?
わざと騒ぎを起こして、近衛兵を集めさせたのも、僕に王の扉を通らせないため?
アルメロが敵なのか味方なのか分からない。今にも「どうして?」と口に出しそうなミアは、不安そうな顔でアルメロを見ていた。
「ロイド様が、エリス様を連れて牢屋から脱走したそうです」
「なっ!? ロイド様が、エリス様を!?」
「どうやって、牢屋から……」
「さぁ、何者かが外から手引きしたのでしょう。一度は逃げ延びたエリス様です。今回も脱出の手筈を用意していたのでしょう」
いや、牢屋から出したのは明らかにアルメロだ。動揺する近衛兵をよそに、僕とミアだけはその事を理解していた。
「彼らの狙いは逃走のみ、ここへ侵入してくる事はありません。逃走者の捕縛に関してはご安心を、追跡したのはオーバス様ですから」
「おお! オーバス様が!」
「それなら、すぐに捕まりますね」
アルメロの余裕のある口調の意味が、線となって繋がり、その思惑をようやく理解した。アルメロはオーバス様を城から遠ざけるために騒ぎを起こしたんだ。結果として近衛兵を集めることにはなってしまったけど、オーバス様に比べれば、目の前の10人の近衛兵なら僕一人でも制圧できる。
「王の扉を守護する方は、これで全員ですか?」
「……はい、そうですが」
「そうですか。それは、なにより……」
含みのある言い方が、僕に「やれ」と言っている。ミアとアルメロに衝撃が及ばない射線から、10本の【
「凄まじい技術でございますね。ケイル様」
気配を戻し、姿を見せた僕にアルメロは褒め言葉で挨拶してくれた。
「申し訳ございません。私は魔力を使い果たしてしまいまして。ミアさん、扉の解除は貴女に任せますが、よろしいですか?」
「は、はい! すぐに取り掛かります」
ほんの2、3分で王の扉の鍵を解除したミアに、アルメロは「私の作った障壁がこうも簡単に解除されるとは……私も老いたものですね」と笑いながら呟き、ミアは恐縮していた。
拳を強く握り、緊張した体に気合いを入れると、僕は重々しい王の扉を押す。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。