第126話 虚勢1 ◇

 いつもなら家一軒だって片手で持てるのに、魔力を吸い取られ続けているせいか、手首に掛けられた枷が、やけに重い。

 王宮の牢獄は、入れる囚人も特別な奴だけだからか、やけに清潔で埃も虫もいないのが逆に不気味だ。

 ロイド・アッカス。公爵家の長男にしてSランク冒険者、最強の力を持った男。全てを手に入れるに値する、人間の頂点。誰しもが俺に羨望の眼差しを向け、俺の力に畏敬の念を持ち、王族と騎士王以外に俺に逆らえる奴などいなかった。人の心以外、欲しいものは何でも手に入れられた。

 それが今や、朝なのか夜なのかも分からない、窓もない、寝るためだけの細く狭い牢屋の中で、イカれた女王の沙汰を待っている。

 何をどう間違えたのか、歯車が噛み合わなくなったのはいつの頃だったか、今となっては記憶も曖昧で分かりにくい。ついさっきまであった憤りが何処かへ消え失せた。強い恨みを長く持っていた気がするが、誰に対して向けたものかも分からない。

 イライラした時に物を破壊するようになったのは、いつの頃からだったか。あのクソ弓使いに固執したのは何故だったか、理由はあっても、今は過去の自分に共感できる事は何もない。それ以前に、本当の自分は最初から何処にも無かったようにすら思えてくる。

 早々に騎士となって武功をあげ、騎士王の座を頂き、そんな最強の俺に、必ずフローレンスは惚れるのだから、一緒になって、俺が次の王となって国を動かす。それが14だった俺の人生設計。

 それが自分で思い描いた絵空事だったら、笑い話にもなって、幾分か救われたんだろうが、それらの設計は俺の力に期待した父上と母上の教えであり、国王に男の世継ぎが生まれなかったのは、俺が王になる宿命だからだと言われ、幼い頃から英才教育を施された。

 幼い頃は自分の力が恐ろしかった。触れれば簡単に物が壊れる。人の手を握れば手の骨を折り、ぶつかれば肩の骨を折り、押せば内臓が破裂した。俺は誰も傷つけたくなくて、誰の物も壊したくなくて、部屋の隅で常に膝を抱えて座っているような子供だった。


「男らしくしろ! お前は王になる男なのだぞ!」


 何度言われたか、初めて言われたのはいつだったか、父上の言うことは常にそれだった。殴られても、下手に手で防御すれば、父上の手が折れるから、俺はいつだって顔面で受け止めた。5歳から魔物と素手で戦わされ、俺の足が食い千切られても、魔物の腑からボロボロになった足を取り出しては切断面をくっつけて、父上の回復魔法で完治すると、また戦わされる。殺されても蘇生され、また戦わされる。俺が泣いて頼んでも、逃げ隠れても、見つかって殴られて、また戦わされる。俺が最強にならなくては、王女に気に入られる事はない。俺が強くなることは、家族のためなのだと、強いては国のためにもなることなのだと繰り返し言っていた。

 抵抗しても無駄なのだと、俺は生きるために自分の立場を優先させた。逆らう事をやめ、それを強いられている意味を称賛した。

 魔導士学園では入学当初から、すでに高等部の生徒に負けないくらいの力があった。同年の誰よりも強い自分に自覚を持ち、これなら本当に王になれるのかも知れないと、根拠のない自信も湧いてきた。俺は順調に最強の道を辿っていた。

 最初の狂いは、そうだな。アルテミーナに見初められたことか。奴は初めて会った時から、俺に好意を抱いていた。事あるごとに俺を王宮に呼び出し、理由もなくお茶に誘われた。

 男前で、根拠のある血統、圧倒的な力を持ち、何よりも若さがある。同世代とあれば、なおさら俺に惚れる女がいたとしても仕方のない事だと思う。

 だが、第四王女に近づいても、他の王女いる限り俺は王になれない。目標を達成する為にも、俺はアルテミーナの好意には距離をおいた方が良いと思ったが、母上には、第一王女に近づく足掛かりになると言われ、好意を利用するよう、初恋の女が喜ぶような言葉や態度を教えられた。

 母上の誤算は、フローレンスが妹に遠慮して、俺と距離を置くようになったこと。近づく足掛かりにするどころか、第四王女が足枷になっていると分かった途端、母上は会うことをやめろと真逆のことを言う。それまでは毎日のように午後のお茶を共にしていたが、次の日から行くのをやめた。アルテミーナは、その後も俺に会う口実を作ろうとしていたが、何かと理由をつけて、家族ぐるみで断った。まだアルテミーナが11歳か12歳の頃だった。

 学園長から冒険者への推薦を受けたのは、この頃の事だった。そして、俺のイライラが募り始めたのも、この頃だったように思える。

 父上は「アルテミーナと距離を置く口実になる」と、当初の人生設計を変更して、冒険者として武功をあげることを命令した。活躍の場を改め、また一からフローレンスに近づくことを目標とした。

 「何か気に触るような事を言ったのか」、「自分のことが嫌いになったのか」そのような趣旨の手紙をアルテミーナから貰うたびに、他人の心を利用した両親に軽蔑の心を持った。また、それらの命令に従い続ける自分に腹が立った。

 そして、共にパーティを組む事になったレイシアとミリィ。女が俺に見惚れるのは当然のことなのに、二人は俺に全く興味がないどころか、よりにもよって平民上がりの弓使いにばかり優しい態度を見せる。

 地位や名誉を考えれば、より良い血統を求める貴族として、俺のような人間に近づけるよう努力するのが、子爵家、伯爵家の人間として当たり前の行動であるはずだろう。現に俺はそうしてきた。王になるため、自分を殺し、人の心を利用し、目的の人間に近づこうと努力してきた。

 だからこそ、レイシアとミリィが貴族としての努力を怠る事が、自分の努力を馬鹿にされているようで許せなかった、何よりも、二人の好意を引き寄せる、無能な弓使いが腹立たしくて仕方がなかった。

 そんな時、冒険者になってから2年が過ぎた頃、都合の良い事に第三王女のエリスティーナが反逆の罪で捕まったと聞いた。俺は負け犬の資料をでっちあげ、エリスティーナに脱獄を手伝う見返りとして冤罪を立件させた。

 負け犬を貶める事も嬉しかったが、もう一つの目的は、脱走したエリスティーナを俺が捕まえ、自作自演に功績を作る事にあった。そうやって国王への心象を良いものにし、跡継ぎとして相応しい男であることを証明し、フローレンスに近づく算段で、邪魔な弓使いも排除できて一石二鳥の策になるはずだった。アデーレードで船を用意させ、そこにエリスティーナが来たところを狙うつもりだったが、エリスティーナを追いかけたのが騎士王だったために、俺が捕まえるという二つ目の思惑は頓挫した。

 フローレンスに近づくという目標が遠ざかっていく中、レイシアとミリィとシェイルがパーティを去り、さらに目標が遠退く。イライラは頂点になり、俺の中では常に憤怒の熱が溜まるようになった。両親から顰蹙ひんしゅくを買っても、もう何も感じなかった。人の心を何とも思わなくなっていた。

 パーティが解散になって直ぐの事、アルテミーナから久しぶりに手紙が来た。騎士として務めるなら、相応の地位を用意するという内容の手紙だった。

 当時としては嬉しい誤算だった。俺は幸運に恵まれている。神に愛されているとすら思った。

 冒険者として武功をあげる事に失敗し、俺が王族に近づく道が遠ざかった頃、国王が亡くなり、新しく王の座に即位したのは、なんと第四王女のアルテミーナだったのだ。

 なぜアルテミーナが第一王女を差し置いて、王になれたのかは分からないが、この際、そんな細かいことはどうでも良かった。

 こんな手紙を寄越すなら、アルテミーナはまだ少なからず俺に好意を持っているということだ。もはや両親の意向など関係なく、俺は俺のために、俺の努力に報いるために王になる必要があった。アルテミーナをものにすれば、俺は王になれる。好意を持たれているのなら、これほど御し易い相手もない。遠かった目標が、次の日には目の前に訪れた。俺は二つ返事で申し出を引き受け、テルストロイを制圧した。

 だが、要らぬ参戦者のせいで俺は敗走し、アルテミーナからは「こんな使えない男に、私は固執していたのか」などと失望され、全てを奪われ、牢に放り込まれた。そこには少なからず、再三と催促したお茶を断られ続けた恨みもあったことだろう。今にして思えば、全てが裏目裏目で、面白くもない人生だった。これが自分の定めた道だったら、後悔も少なかったんだろうか。自分の意思で走り始めた訳じゃないこの道は、振り返れば虚無感しか残らなかった。

 大方のイライラの理由はそんな所だと分かるが、久しぶりに得た冷静な時間でそれを見ても、どれも他人事のように思えて実感も湧かない。何をそんなに怒ることがあったのかと、自問自答を繰り返さずにはいられない。

 家族のため、貴族として当然のことと虚勢を張っても、レイシアやミリィ、シェイルのように、身分や力、貴族の柵に囚われず、自分の意思で行動している奴らを見ると、全てが言い訳だと分かる。

 他人の指図を受けずに生きるには、自分が自分の意思で成しているという自信、自覚がいる。だが、今の俺には、本当の自分というのが分からない。

 本当の自分は、あのナヨナヨとした頃の俺なんだろうか、両親の期待に応えようとした俺だろうか、それとも、物を壊す事も、人を騙しても、人を傷つけても何とも思わなくなった今の俺が、力に溺れた俺が、本当の自分の姿だったんだろうか。

 牢獄の入り口にある鉄柵の扉が、キィと冷たい音を立てる。今日という日は来訪者が多い。


「あ、あの……。エリスティーナ様」


 眼鏡をかけた女とアルメロ、看守の騎士が、俺の牢屋を通り過ぎた。目的はエリスティーナにあったらしい。俺と同じように、女王の気まぐれを待つだけの哀れな女に、いったい何の用があるんだろうか。 

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