第123話 敬意

「こ、これは一体!? いったい何があったのですか!?」


「ロレッタ様が、急に豹変して……。恐らくは例の」


「またですか……。その怪我は……」


「だ、大丈夫です。【治癒促進ペトロイト・モートヘルス】」


 眼鏡の女性は、目を閉じて深呼吸した後、傷口を手で押さえながら回復魔法を唱えた。ナイフで切り裂かれた腕の傷は、流れた血を残して消えていった。


「この者は……」


「気絶しているだけ……だと思います」


「いかが致しましょう」


「……沙汰はアルメロ様に相談してからにしましょう。それまでは、どこか空いている部屋へ」


「はっ」


「それと念のために、牢獄の看守部屋から魔力拘束の枷をお借りして、ロレッタ様の腕に嵌めて下さい」


「了解いたしました。他にやるべきことはございますか?」


「いえ、私は大丈夫です。ロレッタ様をお願いします」


「な、なにか自分に出来ることがあれば、いつでも声をお掛けください」


「ありがとうございます」


 ことさら優しく対応する近衛兵の姿勢からは、身分の上下を加味しない、特別な好意がある気がした。

 ロレッタはだらりとした体を近衛兵に運ばれていった。

 近衛兵が部屋を出ると、眼鏡の女性は自分の心を落ち着かせるように、体全体を使ってゆっくりと扉を閉める。何事もなかったかのように、とまではいかないが、それでも一呼吸置いて振り返った表情には、少しばかしの決意が感じられる。


「あの、出てきて下さい。……大丈夫です。騒いだりしませんから」


 僕は【狩人の極意マースチェル】を解いて姿を晒した。今までそこに居なかった人が急に現れたら、現れると分かっていても驚くものだ。少し揺らいだ決意を、もう一度、固め直すために、眼鏡の女性は浅くなった呼吸を整えた。

 落ち着いて話し始めるのを待つ時間、部屋には静寂が流れた。


「あの……貴方は誰なんでしょうか」


「僕は……ケイル。エリスティーナ様の従者を務めています」


「エ、エリスティーナ様の……しかし、勇者の末裔にケイルという名を持った人はいませんが」


 王族の従者を、勇者の末裔が務めているのは有名な話。普通は一介の平民が王族と面識を持つことは無いし、ましてや僕の身分は自称に過ぎない。エリス様と出会った経緯を話しても、逆に疑われそうなくらいに、奇跡のような偶然でしか無いから、説明し難い。

 全く、身分を証明するものが無いというのは、とても不便なものだ。


「その、よんどころない事情がありまして……。あの、エリス様が一度、牢屋から逃げ出したのは知っていますか?」


「もちろんですよ。王宮に勤める者で、知らない人はいません」


「僕は元々は冒険者で、亡命しようとしたエリス様に、護衛を任務で雇われたんです。その流れで力を買って頂いて、紆余曲折あって従者となりました」


 話を聞いた眼鏡の女性は、眉間にシワを寄せて目を瞑り、難しそうな顔をして「うーん」と唸った。


「……はぁ。でも、少し納得しました。エリスティーナ様に認められるくらい凄い人なら、ここへ忍び込む事も出来た訳ですね」


「信じて貰えますか?」


「少しだけです。ですが、国家の反逆を企てたエリスティーナ様の従者が、ここに何しに忍び込んだのですか? まさか、逃走する為に拘束解除の情報を探りにきたのですか」


「いや、ここに入ったのは偶然です。それに、エリス様は反逆など企てていません。それは濡れ衣なんです」


「……でしょうね」


 僕の身分には半信半疑だが、エリス様の冤罪についてはアッサリと信じられて、面を食らう。


「エリスティーナ様は自国の極秘魔法技術を他国の商業ギルドに売り渡し、私服を肥やしていたとされています。魔導書士見習いとして、当時の私も気になって調べようとしたのですが、アルテミーナ様から直々に捜査を禁じられました。裏に何かある。そう思わずにはいられない事件だったんです」


 初対面でエリス様の冤罪を信じる人を初めてみた。この人には物事を多角的に捉える見識がある。少なくとも、呪いに侵されている可能性はないだろう。力になっては貰えないか、簡単な期待を抱いてしまう。


「……あの、失礼ですが、貴女は?」


「私はミア・フロッソ。今は王宮魔導書士官長を務めています」


「魔導書士……官長……」


「国内で使役される魔術の全てを監督、管理する者です」


「え……。それって凄い人じゃ無いですか」


「そう思ったから、ここに忍び込んできたのでは無いのですか?」


 良識があって、最高の地位にいる人。僕とそんなに変わらないくらい、とても若そうに見えるのに、大した人だ。ますます協力して貰えないか、期待が増す。


「いえ、ですから此処に入ったのは偶然で……。ん? ちょっと待てよ。ミア・フロッソさん?」


「はい」


「魔導士学園でレイシア様のライバルだった?」


「ライバルと言えるほど、差は狭くなかったですけど……って、なんでそれを?」


「僕、魔導士学園に通ってたんですよ。レイシア様と同級生で友達で、ミアさんの事は下級生の頃から知ってて」


「つまりは、同学の後輩さん?」


「はい!」


 ミア・フロッソ。レイシア様が台頭するまでは、学園内で歴代1位の知力値上限記録を持った方だった。確か学年は3つ上。当時は眼鏡をかけてなかったし、髪も下ろしていたし、何より今のような高貴な服装ではなかった。高い制服が買えない、平民たち専用の使い回しの古ぼけた制服を、僕と同じように着ていたんだ。容姿が随分と精錬されて、綺麗な人になっていたから、何処かの貴族様だと思って、まるで先輩だとは気づかなかった。

 知力値は術式の精度と、スキル保有数に関連する能力。知力値が低いと、新しいスキルを覚えた途端、昔使えていたスキルが発動できなくなったり、巨大な情報量を持つ極大魔法だと一つ覚えただけで、他の魔法が一切使えなくなったりする。

 知力値に余裕のあるミアは、学園内にある魔導書の殆どを記憶しているという噂が、僕の耳にも入るくらい、学園内外の人たちから秀才と謳われた有名な先輩だった。

 レイシア様がミアの噂を聞いて、自分も学園内の魔導書を全部覚えようとしたのは此処だけの話。そして、レイシア様の場合、元来の負けず嫌いに引火したせいで、学園図書館の本どころか、教員や生徒の蔵書にも手を出し、貴族として持てる財を注ぎ込んで、国内にある魔導書店の本も買い漁る始末だった。

 貴族とは、優秀な者同士が最良の子孫を残すために縁を結び、最も優れた血であることを国に認められた人たちのことだ。

 だから優秀な成績を収めるのはいつだって貴族様たちで、貴族様たちもそれを当たり前の名誉として親の期待を背負っているから、身分の低い人が成り上がろうものなら、気分を害した貴族様に蹴落とされたり、身に覚えのない罪をなすりつけられて退学に追い込まれる人もいた。

 だから皆は暗黙の了解として、貴族様よりも優秀な成績は残さないように自重していたし、もしも目立つ成績を残して貴族様に睨まれたら、それは目立つ事をした平民が悪いのであって、平民が落とされても自業自得だとする人が常だった。

 平民でありながら能力を遺憾なく発揮させ、周りの貴族様の嫉妬を振り切っていくミアは、とうとう貴族様たちからも認められるようになった。というよりも、抵抗しても無駄なくらいに実力差が明確になってしまったし、嫌味を言うよりも、平民を受け入れる貴族としての器の大きさを誇示するために、見せ物にされていたようにも思える。

 これは経験からくる自論だが。正体を隠してイチャモンをつけてくる人たちは、対象の実力が周知されるほど大きくなると、周りの応援が大きくなると、その実力が自分の手の届かない一定の領域を超えると、それを境に現れなくなる。途端に無口になる。

 命中力の高かった僕も、似たように貴族様たちから嫌がらせされた事もあったが、幸いなことに、そもそもこれといって格好良くも無い命中力に拘る人が少なかった事もあって、退学に追い込まれる程じゃなかった。そして、命中力が歴代のトップになった時には、どの貴族様も僕に嫌味を言わなくなった。もちろん、ロイド様以外は。

 そんな事があるから、平民にとってミアは、英雄のように尊敬された人だった。僕だけじゃなく、色んな人が勇気を貰う存在だった。

 それが今は王宮に仕えて、凄い地位についているんだから、そんな場合じゃないと分かっていても、それでも僕はなんだかとても嬉しくなった。

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