第120話 変色

 ロレッタ・パーシマル。36歳、独身。

 爵位のない名ばかり貴族。遠い遠い親族の血に縋り付いて、少しでも平民より優れた地位に立とうとした。それが私の両親。私の家族。だからこそ、私という天才は大変に可愛がられた。私の功績がパーシマル家の尊厳を確かなものにしたからだ。

 見たものを全て覚えてる知力の才能は、幼い頃から分かりやすく評価され、推薦入学したレイフォール魔導士学院を主席で卒業。歴代の知力記録を大幅に上まり、学院の歴史に名を刻んだ。まぁ、レイシアが現れて私の記録は霞んでしまったんだけど……。

 当時は私こそが秀才だったし、私以外は全員、凡人であった。全てが私の良いように進み、25歳の若さで王宮魔導書士官長の座についた。リングリッド王国が蔵書する全ての魔導書、国の叡智を管理する最高責任者だ。

 国内で発見された新しい魔術式は、大衆に公開される前に私の元へ集められる。既存の魔術を少し書き換えただけで開発者を名乗る者もいるし、術式に自分へ都合の良いように発動者を誘導する催眠を組み込む不届きな人もいる。例えば、「この魔法を発動すると、特定の商品を買いたくなる」といった具合の誘導だ。

 誰かが何かを購入したくなるのは、自然なことだし、趣味趣向は千差万別なのだから、それが催眠であるかどうか、素人には分かり難い。

 だから新しい術式は、世に出る前に必ず私が検閲をする。凡人は騙せても、知力値の高い私は騙せない。不徳に熱心な人たちは、法の網の目を掻い潜ろうと、小さな変化を絶えず加えながら、欠格な魔法を開発していくる。こちらが発見すれば、むこうも別の方法を考えて、不正を隠そうとしてくる。まるでイタチごっこだが、私は数ある詐欺を摘発したし、それらの不正を見逃したことはない。リングリッド王国の魔法が健全なのは、私が事前に対処してきたからだ。

 その功績が認められ、私の地位はより強固なものとなった。誰も名ばかりの血筋だと、馬鹿にしなくなった。

 前の国王陛下が亡くなるまでは。

 前国王はある日から突然と体を衰弱させていった。年老いる毎に回復魔法の効き目は薄れていく。特に60歳を超えてからはその傾向が顕著に現れ、最後には延命ができなくなり、寿命だと悟る。それは、この世界のルールとして定められた宿命であり、現在でそのルールを破れたのは、腐敗を受け入れたリッチのみだ。

 前国王は延命できなくなるような長齢ではなかった。病なら必ず、魔法で治療できるはずだった。当時、王宮魔導師最高顧問を務めていたアルメロ様を筆頭に、王宮内の知謀の髄を集めて、特効薬となる新たな回復魔法の研究が始まった。

 結果は散々だった。あらゆる魔術を試しても、前国王の体調は悪くなる一方だった。回復魔法が効かないのだから、何かの呪いかと疑い、国中の聖職者を集めて浄化作業を急いだが、それでも寛解することはなかった。

 あらゆる叡智を駆使して救えなかったのだ、責任は誰に取れるものでもなかったので、前国王が亡くなった後もお咎めを受けることは無かった。

 しかし、新国王にアルテミーナ様が即位してから、私の人生は狂い始めた。

 検閲に現れた違法魔術は倍以上に増え、それを摘発するたびに、異様なほどイライラするようになった。こんなくだらない事をするような奴らは、生きている価値すらない。私なら誰にも気づかれずに人を殺すことができるのだから、いっそ国のために私が犯罪者を皆殺しにいてやろうかとも思った。

 この私の前を歩く無遠慮な女中、存在が威圧的で鬱陶しい近衛兵、一向に育たない新しい見習い、ミア・フロッソ。私を苛立たせる事象が次々に起こるようになった。

 鬱憤が溜まれば肌も荒れる。私は頭脳だけでなく、容姿にも恵まれた。相手に事欠いた時はなかった。それが最近になっては、誘われもしなくなった。誘っても、断られるようになった。

 私が異性に距離を置かれるのは、積み重なるイライラのせいで、肌が荒れたせいだ。それにも関わらず、イライラの一端を担っている見習いは、王宮内の士官連中に言い寄られている。見習いのミアは若い。それだけであって、魅力なんてあるはずもない。だってミアこそは平民であって、なんの血統の証拠もない、雑種に過ぎないからだ。若いだけ、体目的の男たちが近づいて来ているに過ぎない。なのにそんな価値のない女に、ホイホイとのせられる男たちを見ると、さらに苛立ちが増す。最近では髪も薄くなって来たように感じる。

 イライラする。何もかもが上手くいかなくなった。

 陛下に辞令を下されたのは、そんな時だった。書庫管理士への左遷。なぜ私が。私はこの国のために数えきれない程の悪徳魔術を攻略し、功績を積み上げてきた。私以外に今の仕事が務まる者などいるはずもない。私は辞令書をビリビリに破り捨て、陛下に直談判に行った。だが、その態度がますます私の立場を悪くし、不常任書庫管理士にまで落ちた。魔導書士官長が評価した魔導書を、書庫管理士が確認して蔵書リスト作り、その蔵書リストを再確認する仕事。あってないような仕事。

 上階に与えられた部屋からは追い出され、牢獄へと続く殺伐とした扉のすぐそばに用意された、物置部屋のような場所に移された。埃が舞うし、蜘蛛の巣がある。

 与えられた服は下級女中と変わらないくらい、地味で質素。再三と下に見てきた女中からは鼻で笑われ、掃除道具が欲しいと頼んでも、「自分で探して下さい。もう貴女は命令できる立場では無いのですから」と言われた。影ではまた「名ばかりの血筋」という声が聞こえる。

 なぜ、なぜ私がこんな場所に。私はエリート中のエリート。私の力を理解していない陛下は馬鹿だ。争いばかりを求めるクズだ。

 よりそう思ったのは、私の後任に見習いだったミアが選ばれ、王宮魔導書士官長に任命された時だった。ミアは20歳はたち。25歳で就任した私の最年少記録が大きく書き換えられた。

 腸が煮え繰り返る。今頃はあのミアが私の使っていた広々とした綺麗な部屋を使っていて、魔導書士官長室で叡智が記された国宝魔導書に囲まれているんだろう。

 許せない。そんなことは。あんな見習いに官長の座は相応しくない。検閲でしくじれば、悪徳な魔術が蔓延ることになる。それは国のためにもならない。

 私が相談できる人は一人しかいなかった。


「アルメロ様」


「ん? おお、ロレッタ。どうしましたか? このような場所で」


 魔術師最高顧問だったアルメロ様は、陛下に仕えた従者の度重なる不祥事によって、国王従者に昇進していた。今のアルメロ様なら、陛下に口添えして下さると思った。

 見窄らしい格好は、名ばかりの貴族の見栄で買った、中古の高級服を着ていた頃の自分を思い出す。上階に今の自分の姿を晒すのは恥ずかしくて、周りの視線を避けながらアルメロ様を待ち伏せした。


「アルメロ様。私が管理士なんて絶対におかしいです。私の力はアルメロ様が一番、ご存知なはず。あんな見習いを、私の後任にするなんて狂ってます。どうかアルメロ様の方から、陛下に口添えして頂けないでしょうか」


「残念ですが、それはできませんよ。ロレッタ」


「何故です!?」


「君を解任するように頼んだのは私だからです」


「え……。そ、そんな……う、嘘ですよね。アルメロ様」


「君も知っているだろう。例の不祥事の多発。なんの病かは分からないが、これらの原因は恐らく一つだろう。もしかしたら、君にもその症状が出ているのではないか?」


「な、なにを……」


「君には何か不穏な影を感じる。仕事の疲れが溜まっているのかもしれない。幸い、ミアという優秀な後任もいる。しばらくはゆっくりとした時間を取るといい」


 な、何を言ってるんだ。このクソジジイは。何も分かっていない。休むべきなのは、ボケの始まったお前の方だ。こんな奴に頼もうとした私が馬鹿だった。こんな奴、会話する価値もない。死ね。死ね。死ね。


「待ちなさい、ロレッタ。過度な行動は慎みなさい。一線を越えれば、貴女も牢屋行きですよ」


「それは、脅しですか?」


「そうではありません」


「私は国家の権力とやらには屈しません。私をあまり甘く見ない方が良い」


 役立たずのジジィに引き止められたが、時間の無駄だった。

 ミアが優秀な後任。あのジジィはそう言った。なるほど、そういうことか。あの阿婆擦れ、体を売ったな。老人に抱かれてまで、地位や権力を欲したか。純真無垢な顔をして、裏ではやる事をやってるもんだ。

 良いだろう。お前がそのつもりなら。私も手段は選ばない。死ね。死ね。死ね。

 今度の週末は、ちょうど奴の誕生日だ。ケーキの一つでも持っていってやろう。

 ケーキに毒を盛ろうか。いや、腐っても王宮に見習いとして入った士官の一人。毒耐性は身に付けているだろうし、下手に魔法を使おうとすれば直ぐに勘付かれるだろう。

 ここは原始的な方法を取ろう。魔法を使役する者は、例外なく物理的攻撃に弱い。

 日が落ちた頃、私は厨房から盗んだケーキを持って5階に上がった。魔導書士官長室に行くには、王族の階に繋がる紋様の扉の前を通らなきゃならない。紋様の扉の前には常に近衛兵が見張りについている。


「おい。何をしている」


 夜中に1人で上階を歩いていたら、案の定、近衛兵に止められた。官長の座を退いた私に、騎士は態度を改めるつもりもない。


「私の弟子が、今日誕生日でして。夜遅くまで作業しているでしょうから、差し入れにケーキを持って来たんです」


「ミア様に……そうか。用が済んだら、直ぐに帰るように」


「はい」


 私が先に進むと、後ろから小さな声が聞こえる。


「いいのか、あのような態度で。ロレッタ様は元魔導書士官長だぞ」


「昔の話だ。今はその地位に居ない。名ばかりの貴族なんだ。問題はないだろう」


 見た目ばかりが達者で、鎧の中は馬鹿しか入ってない。近衛兵なんてそんなものだ。だから、殺意に満ちた私の笑顔を、誕生日を祝いに来た弟子想いの師匠と勘違いする。

 武器の携帯は処罰の対象。普通なら、刃物を持ってこの道を通過するのは不可能だ。でも、私は通過した。ケーキを切り分ける為に用意した、小さなナイフを持って。

 まっすぐ行けば官長室。このナイフでミアの喉元を掻っ切る事を想像すると、今までのイライラが全て解消される気がしてきて、胸が高鳴ってきた。殺す殺す殺す殺す殺す。

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