第119話 断罪

「なぁ」


「なんでしょうか」


「お前、なんかしたのか?」


「……さぁ」


 呪いの解けた反動に苛まれるロイド様は、しばらくの間ぼんやりしたまま天井を見つめていた。アンガル王は呪いが解けた時、「過去の自分と今の自分が変わってしまったうよだ」と言っていた。今まで自分の軸としてあった善悪の基準が、呪いの有無によってガラリと変わる。さっきまでイライラしていた事が、他人事のように平気で許せるようになる。何に思い悩んでいたのか、分からなくなる。周りの人もその変わりように驚くが、一番驚くのは間違いなく当人だろう。放心した表情を見れば、ロイド様の心境は察することができる。


「どうするつもりだ?」


「どうする……とは?」


「もう俺は助けに来ない。お前はどうやって、そこから抜け出すつもりだ?」


「抜け出す術など、私にはありません。アルテの沙汰を待って、それに従うだけです」


「あいつは異常だ。戦うことに狂ってる。逆らう奴は絶対に許さない。……お前、死ぬぞ?」


「そうかも知れません。ですが、逃げるわけにはいかないのです」


「……テメェは、死ぬために来たのか?」


「いえ、皆様を助けるために戻ってきたのです。ロイド様、もちろん貴方様も。今度は私が、貴方様を牢屋から救い出す番です」


「はっ! 堅い奴かと思ったが、冗談も言えるんだな。忘れてねぇか? 俺はアミルを嵌めたんたぜ?」


「全てを失った貴方様は、もう十分に罰を受けました。それに、ロイド様の取った行動も、本人の意思か定かではないのですから」


「……お前」


 自分の心を見透かすように言うエリス様に、ロイド様は何も言わなくなった。事情はあるが今は話せない。エリス様の言葉の端に、そんな意図を感じ取ったみたいだった。

 さて、これからどうするか。

 牢獄の入り口にある鉄柵の扉には鍵が掛けられ、見張りの看守は離れそうにない。【神の雷撃ボルトショット】を【跳弾反射バウドリップ】で壁に放って跳ね返らせれば、看守たちは気絶させられるし、鍵も【渾身の一撃パワーショット】で壊せないこともないだろう。

 でも、その場合はエリス様をここへ置いていく事になるし、騒ぎに気づかれる前にアルテミーナ様を探し出さないと、警戒されて手が出せなくなるかもしれない。建物の構造も分からない以上、ある程度の偵察の時間は欲しい。

 やっぱり、次に矢を放つのは、白銀の矢をアルテミーナ様に向ける時だけにしよう。それまでは完璧な隠密に徹して、存在すら気取られない内に事をなしてしまおう。

 ここを出るのは、看守が食事を運んでくる時か、それともさっきアルメロは「また来る」と言っていたから、その時に行動を開始しようか。

 そんな事を考えていたら、エリス様が檻に入って数時間ほど経った頃に、アルメロが騎士を連れて戻ってきた。


「エリス様、アルテ様がお呼びです。参りましょう」


 エリス様は監獄から出され、階段を登る。僕は少し後ろの方で、連行されるエリス様について行った。窓から見える空はすっかりと黒に染まり、照明の炎は十分な光量を保っているのに、なぜか廊下の隅にまで夜の闇は侵食してきていて、来た時とは違う、不気味な道になっていた。

 こう暗いと、照明の炎に照らされて僕の影が濃く伸びてしまう。【狩人の極意マースチェル】は誰もそこに居ないと思わせる認識阻害の効力もあるので、多少の影を見られても問題はないが、それでも熟練した者が影を見れば、特にオーバス様になら勘づかれしまうかもしれないので、僕は連行する騎士たちの影が、自分の影と重なるようにして歩いた。

 まさか、こんなに簡単にアルテミーナ様とエリス様が会うことになるとは思わなかった。エリス様の声を直接、アルテミーナ様に聞かせることが出来たなら、そのまま浄化してしまう事だってできるはず。僕が矢を放つ必要もない。これは最大の好機だ。

 城内を連行される。迎えに来た騎士の鎧には、極小の装飾か限りある面積にこれでもかというほど魔法陣を掘ってあった。きっとあらゆる耐性値を上げるスキル付与が施されているんだろう。身につけた赤いマントにも、リングリッド王国の紋章が金の糸で刺繍され、そんな豪華な装備を身につける騎士は初めて見るもので、厳格さからして王族を守護する近衛兵なんだろうと思った。

 大きな扉の前にオーバス様が立っていた。近くまでくると「国家反逆者、エリスティーナ・フォン・リングリッドを連行して参りました」と、誰かが声高らかに宣言する。

 重々しい扉が開く。大きな部屋の両脇には、近衛兵が槍を持って並び、威圧感を伝えてくる。部屋の至る所で金が使われており、間違いなく人生で一番高価な部屋に入ったなと確信できる様相だった。

 豪華絢爛な王の間の壮観さに、庶民肌の僕はまた少したじろいだが、オーバス様が先に進むと、エリス様は躊躇なく足を進める。

 オーバス様の大きな背中が脇へ逸れると、森厳な空間の中で、鋭く尖る王の視線がエリス様を捉える。3段の段差を構え、その高座に置かれた大きな椅子には、肘かけに体を預ける少女の姿があった。王の衣に身を包み、威厳を出そうとはしているが、まだ成長途中であろう服の上からでも分かる細く小さな体は、どう見たって子供だった。

 入り口から正面にある、ことさら厳格な椅子に、何言われる事なく、悪い姿勢で座っているのだから、あの子供が王なんだろうし、アルテミーナ様なんだろう。銀色の目はエリス様とそっくりだが、目の下にはクマがあって、肌の血色が悪かった。

 確か、一番上のフローレンス様が23で姉妹は全員3歳差だったはずだから、ハルネスティ様が20、エリス様が17、とすればアルテミーナ様は14歳か13歳。

 テルストロイを震撼させた国の王が、姉たちを掌握し、悪謀を回して国を我がものにした暴君が、こんな子供だなんて、どう考えたって狂ってる。


「久しぶりだね。エリスお姉ちゃん。ん? なんだか雰囲気が変わったね。最初に牢に押し込められた時は、泣き喚いてたのに」


「……貴女の方は、随分と顔色が悪いようね」


「うぐっ!?」


 エリス様の声を聞いて、アルテミーナ様は突風に押されたみたいに、椅子に強く背中をつけた。


「ちゃんと寝れているの? アルテ」


「くっ!? なんだ? おい! そいつの口を塞げ! 今すぐにだ!」


「アルテ! 貴女は呪いに掛かっているのです! どうか正気を取り戻してください! アルテ!」


 精霊の力を使い、体が光るエリス様に、壁際に控えた近衛兵たちは槍を構えて即座に向かってくるが、オーバス様が前に出て、大きな手でエリス様の口を隠すと、オーバス様に槍を向けるわけにもいかないので、近衛兵たちも一つ距離をとって待機する。近くにいた魔法使いたちが玉座に何重と結界を張る


「そいつを黙らせろ! おい、何しているアルメロ!」


「【口頭拘束シャットスメイル】」


 オーバス様の手の中でも声をあげていたエリス様。張り巡らせた結界が意味をなさず、アルテミーナ様は、胸のあたりの服を掴んで苦しそうにしている。少し、また少しと、身体から出てきた影が千切れて消えていく。

 アルテミーナ様が睨んで命令したが、アルメロはじっとして動かず、見かねた別の魔法使いが、エリス様に呪術をかけ口を塞いだ。

 おかしい。いつもなら声を聞いただけで、たちどころに影が姿を表すのに。間に合わなかったのか。もっと声を聞かせる必要があったのか。浄化が完了したようには見えない。


「小賢しいことを……。よくもやってくれたな! おい、障壁を解け! 剣を持て!」


 アルテミーナ様は高座から降りて駆け寄るなり、エリス様の頬を叩いた。怒りの収まらないアルテミーナ様は、近衛兵が厳かに持ってきた剣を引き抜き、その切っ先を倒れたエリス様に向けた。


「情けに、せめて挨拶でもしてやろうかと思ったが、やはりお前は、お前だけは信用してはいけなかった! お前は悪魔だ! 今すぐに殺さねばならない!」


 どうする。今この場で矢を放つか。でも今は、アルテミーナ様の前にオーバス様がいる。放てば1秒とかからず矢は届くが、1秒でもオーバス様なら必ず防ぐ。浄化の矢は一本、外せば後はない。それでも、ダメもとで、射るか。

 まさかとは思ったが、アルテミーナ様は本気でエリス様を突き刺そうと剣を伸ばそうとした。形振り構っていられず、浄化の矢を放とうとしたが、鋭い剣が突き刺したのはエリス様ではなく、オーバス様の腕だった。


「くっ!? 何をしている!? オーバス!」


「このように迂愚な者に、陛下がお手を煩わせる必要はございません。どうか処罰は、然るべき日に、絞首台の上で」


 アルテミーナ様は悔しそうな顔をして、オーバス様の腕から引き抜いた剣を適当に放り捨て、謝りもせずに王座に戻った。オーバス様は刺された方とは逆の腕で拾い上げ、自身の血で汚れた剣をマントで拭き、近衛兵に渡した。


「やるなら、観客を集めよう。ソイツの死に様を、多くのものに見せてやるのだ」


 嘲笑いながら言うアルテミーナ様の目からは涙がこぼれ落ちていた。頬に手を当てると、ようやく自分が泣いている事に気づいたアルテミーナ様は、腕で顔を拭い、戸惑いを隠すように叫ぶ。


「お前は死刑だ! 明日の朝、絞首刑にする!」


「より多くの観衆を集めるなら、もう2、3日、処刑することを周知させてからの方がよろしいかと」


「うう。なら、準備でき次第すぐに処刑しろ! 何をしている! ソイツに、もう用はない! さっさと連れて行け!」


 王の間から出ようと振り返ったエリス様と視線が合う。こちらの気配は感じ取れない筈なのに、確かに目があっている。

 叩かれた頬を赤くしても、まるで強さを失わない眼は、何かを託すように少し長く瞼を閉じた。

 エリス様が牢屋へと戻されていくが、僕はその後を追わなかった。

 僕が狙うのはアルテミーナ様、ただ一人。広い城内で見失わないよう、僕は細心の注意を払いながら尾行した。

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