第118話 拘束

 牢獄は奇声に包まれた。

 誰も彼もが檻に頭を打ち付けて血を流し、自分を見失い、たった一つの光に手を伸ばしていた。


「エ、エリスティーナ様!? これは貴女の仕業ですか!?」


 騎士はエリス様を疑う。確かに発狂のきっかけはエリス様だが、元を辿れば、原因は魔王が放つ呪いにある。でも、エリス様が囚人の前に現れた途端に、発狂が始まったのだから、何も知らない騎士は当然、エリス様を疑うし、この状況じゃ弁明のしようもない。


「皆様、どうぞ、落ち着いてください」


 エリス様の体が光り、その声が発せられた瞬間、さっきまで訳の分からない叫び声に包まれていた空間が静かになる。ばたばたと倒れる囚人たちから、醜い影が伸び出てくる。


「な、なんだ!? 魔物か!?」


 呪いの本体はいつ見ても悍ましい。人の憎悪の膿、ヒルのように悪感情を吸い続けた影の醜さは、人間が生理的に見たくないと本能で思わせる、醜態の根源みたいだ。この影が、魔王に負の感情を送っているのか、それとも外に溢れ出した悪感情を魔王が直接吸い取ってるのか、どちらにせよ、影の中の顔は、魔王の笑いながら蠢いているようで、気色が悪い。

 精鋭な王宮騎士たちでさえ怯え、エリス様の放つ光に困惑しながらも、剣を引き抜いて影に立ち向かう姿勢を見せた。


「【精霊の声レディオン】」


 エリス様の体から放たれた、ひときわ強い光の波動が牢獄を通過すると、見窄らしく囚人にくっついていた影が断ち切られ、大量の影は、まさに地の底から響くような声をあげて消えていった。


「……今のは……今のはいったい……」


「【追憶路変レミーアウセル】 あなた方は何も見ていないし、何も知らない。いつも通り、牢屋の見張りをしていただけ」


「私たちは……何も知らない……」


「牢屋の見張りをしてただけ……」


 老人が人差し指をくるくる回しながら言うと、騎士たちは虚な目で復唱していた。

 首を振った騎士は目に光を戻し、まるで時間がそこだけ抜き取られた見たいに「あれ……?」と間の抜けた表情を見せた。


「ほれ、何をしていますか。エリス様を牢へ」


「あ、ああ。そうでした」


 騎士たちは何事もなかったかのように、エリス様を連れて先へと進む。その態度を見れば、老人が記憶を操作したのは明らかだった。

 鑑定結果では特別変わったスキルは持っていないと出したから、エリス様が光を持って囚人を鎮まらせたら辻褄が合わなくなる。もしかしたら、再度鑑定して、今度こそは呪縛付きの手枷を嵌められるかも知れない。

 だが、老人が騒ぎを隠蔽してくれたおかげで、そうはならなかった。いよいよこの老人は、味方と見える。どこまで事情を知っているのだろうか、いや、事情も何も城内の異常は既にあったのだから、エリス様が目の前で呪いを浄化したのを見て、どちらが正義か、今この場で確信に至ったのかもしれない。


「ははっ! とうとう捕まったか!」


 一番奥の牢屋へと歩く最中、途中で檻がダンと衝撃を受けて揺れた。聞き覚えのある声に、骨の髄に冷や水を流し込まれたような緊張が走る。

 大きな手枷を檻に当て、ニタニタとした上目遣いでこちらを見るのは、特異な囚人服に身を包んだロイド様の姿だった。


「ふへへっ! テメェのせいで、俺はこの様だよ。……おい! 聞いてんのかっ!? 聞いてんのかよ!? おい! ぬわっ!?」


 狂ったように体をユラユラさせながら、怒声をあげるロイド様は、自分の大声を出す姿勢の反動で、力なく後ろへ倒れ、狭い牢屋の壁に肩をぶつけなら、尻餅をついた。

 ロイド様の囚人服は、身体中にベルトが括り付けられ、呪縛術によって完全に魔力拘束されていた。魔力を筋力に変換することを得意とするロイド様も、根底にある魔力を押さえつけられては、手も足もでない。体がふらつくのは、魔力の生成を極端に阻害されているせいだろう。その見た目には、学院で攻撃力トップで卒業した時の精悍さなど何処にもなく、やさぐれ、鬱屈として、あまりにも哀れな姿だった。

 先程の浄化で、ロイド様に憑いていた呪いも少し剥がれたようだが、尻餅をついた姿勢から、この世の全てを恨む目で見上げてくる態度だと、まだ呪いが完全に解かれていない様子だった。ロイド様以外の囚人が全員気絶したように眠っているのを見ると、あの浄化で気を保っているロイド様の精神力は流石としか言いようがないし、その精神力が下手に呪いに引っ付いて、離さなかったのかもしれない。

 いま浄化すれば、また騎士たちが騒ぐ。

 監視が離れるのを待とうと決めたエリス様が、罵声を無視をして前を向くと、騎士はロイド様の隣にある牢屋の扉を開けて、中へ入れた。当然、僕が入ったら出る手段もないので、僕はエリス様の牢屋の前で立っていることにした。

 さっき老人が言った通り、エリス様の牢屋は普通の大きさで、比較的にはゆとりがある。でも、隣が呪いに侵されたロイド様というのは、狭い牢屋よりも最悪で、エリス様が牢屋に入るや否や、再び檻に顔を引っ付きて嘲笑し、馬鹿にした言葉を並べた。


「では、エリス様。また後で」


「アルメロ……! ……ありがとう」


 老人が去ろうとした時、エリス様は感謝の言葉をかけた。やはりエリス様は老人と面識があるらしい、アルメロと呼ばれた老人は、騎士を連れて牢獄を後にした。


「我らが崇高なる女神、エリスティーナ様ぁ。どうか哀れなこの私をぉ、お救いくださーい。……けっ! ふざけやがって! なんで俺様が……この俺様が、こんな所に入れられなきゃならねぇんだ! クソッ! クソッ! 聞いてんのかよ! テメェに言ってんだぞ!? おい!」


「一体、何があったのですか? 良かったら、お聞かせくださいませんか?」


 エリス様の声に、体の中の呪いが疼くのか、ロイド様は詰まらせた息を吐き出してから応えた。


「俺がやられたのは、あのクソ負け犬のせいだ……。それ以外は上手くやっていた。だがアルテミーナは、雑魚騎士どもがクロフテリアの野蛮人相手に敗走したのは、俺の責任だと言いやがった。負けることは罪だとかなんとか言って、俺を反逆者に仕立て上げやがった。おまけに、お前を逃したことがアルテミーナにバレていやがった」


「そうなのですか?」


「バラした奴は知ってる。なぁ看守!? テメェにはたんまりと賄賂をくれてやったもんなぁ!?」


 ロイド様は枷の並んだ入り口の部屋に向かって叫んだ。ここは牢獄の一番奥、少し距離があるから聞こえないのか、聞こえないフリをしているのか、看守たちから反応はなかった。


「事情を知ってるのは奴らしかいねぇ。奴らがバラしたに違いねぇんだ。看守どもは、お前が反逆を企てるような奴じゃないと口を揃えて言っていた。だから簡単に協力した。全国王も娘を殺すのは忍びないと思ったんだろう。当時の捜査は甘かった。クソ! 今さら、蒸し返すなら、あの看守どもだって同罪だろうが! ……親父の爵位は剥奪され、冒険者のランクも消され、財産まで奪われ、牢屋にぶち込まれた」


「全てを失ったのですね。ケイルのように」


「黙れ! 俺はクロフテリアには負けてない! 騎士どもが使えないゴミだっただけだ! 自国の兵士が弱いのは、王であるアルテミーナの責任だろうが! それに、マディスカルには奴らが居た!」


「奴ら、というのは?」


「とぼけるな! どうせあの負け犬は、レイシアの力を借りていたんだろう。じゃなきゃ、この俺様が……」


 酔っ払った中年のように、ロイド様はやさぐれて愚痴を吐く。そして、その愚痴を聞いているエリス様は、酔い潰れた客を介抱する店主のような心持ちで、姿勢をまっすぐにして座り、毅然とした態度で落ち着き払っている。


「しかし、当時、指揮を取っていたのはロイド様。やはり、責任は負って然るべきでしょう」


「黙れ!」


「本当はロイド様も分かっている筈です。自分の犯した過ちの数々を」


「……黙れ」


「ケイルに感謝するべきです。暴走したロイド様を止めてくれたのは彼なのですから」


「黙れ……」


 エリス様が声を掛ける度、ロイド様は力を無くして蹲っていく。背中から出てきた中途半端に小さな影が、金魚のフンのようにへばりついていたが、それもとうとう切り離され。甲高い声を響かせて消えていった。


「誰が……誰が、あんな奴に……感謝など……」


 完全に体を丸くしたロイド様の背中は揺れていた。ロイド様が静かになると、薄暗い牢獄では、嗚咽が寂しく響いているだけだった。

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