第116話 グレンパール
馬車の車輪が音を変えると、石畳の上に乗り上げた感触がある。馬車が狭い空間に入ると、反響する音が変わるので分かりやすい。流れから考えれば、外を見なくても、分厚い城壁の中に居る事は分かる。
普通なら中の見えない馬車など、門番が通すわけもないが、この馬車だけは普段から騎士団が護送用に使っているものだから、そして今は騎士王が同行しているから、話をさらっと聞いただけで、検閲することもなく馬車はまた進み始めた。
捕らえられている状況で、楽観視など出来ないが、それでも王都グレンパールに潜り込めたのは良かった。
城壁を越えれば、そこは目抜き通り。少し前には国内外に問わず人が溢れかえって、四六時中、活気に溢れた場所だったのに、今は静まりかえっている。たまに人の声が聞こえるかと思えば、酷い罵声や怒号ばかり。木の小さな隙間からでは少ししか見えなかったが、軒下で膝を抱えて座り込む男が10人くらい並んでいた。何かをぶつぶつ言いながら、視点が動かない恨みったらしい目を血走らせて、他には見向きもしない様子だった。これは憶測だが、呪いが表に出て、治療しても治らなくて、どうしようもないから一つの場所にまとめて放置されているんじゃ無いだろうか。そんな事を考えた。
馬車が止まる。目抜き通りは6軒分はあろうかという幅の広い道が、城に直通している。体が馬車に置いてかれる感触も無いから曲がった形跡もない。まっすぐ走って止まったのなら、きっと王宮の門にたどり着いたんだろう。
緊張する。ここは一つの分岐点。エリス様の言う王宮内の独房に通されるのか、それとも外にある監獄所に連れて行かれるのか、どう転ぶかは領主たるアルテミーナ様の気分次第のように思えた。
馬車の音が再び始まる。でも進んでいるのは、僕らが乗っている馬車じゃない。ミリィ様たちが閉じ込められた馬車は、どんどん音を小さくして、どこかに離れていった。
ミリィ様たちが離れて、僕らだけが残ったと言うことは、エリス様だけは特別に王宮に通そうということなんだろう。
「一応、中を見させて頂きますね」
しわがれた声で近づいてくる足音は、ぎこちなさを伝えて、すぐに老人であることが分かった。馬車の後ろの面が、下の接合部分残して開くと、面はそのまま石畳に落とされて、馬車の中へと続く坂になった。
白いローブを着た小さな老人が、ヨタヨタと板を登ってきた。風貌からして魔法使い。これはまずい、魔法を使って調べられたら、気配は隠せても形跡は読み取られる。
「【
僕は咄嗟にエリス様の後ろで、身を小さくした。どんなに気配を消しても、特定の魔法を使えば、そこに異物があるのは分かる。【
つまり、熱を感知する【
僕はエリス様の後ろに隠れて、熱を誤魔化そうとした。上手くいく保証は無いが、他に隠れる場所もない馬車の中では、それくらいの対処しか思い浮かばなかった。
「ん?」
だが、白いフードの老人は、違和感を覚えて馬車の中に入ってくる。暫くその場に留まり、動く様子を見せないから、何をしているのかと、エリス様の肩越しに老人の方をそっと見た。
老人は、明らかにエリス様の後ろにいる僕と目を合わせ、ニコリと笑った。バレた。気づかれた。全く混乱もせず、確信を持ってこちらを覗く姿を見ると、経験によって磨き上げられた技術を持った、老人なのだと思った。
どうする。一か八か、暴れてみるか。目の前の老人を人質に……はならないかな。
今、王宮の門は開いているだろうか、一気に城を駆け上がって、アルテミーナ様を探して、矢を放つ。でも、アルテミーナ様が居なかったらどうする。それに、今は近くに騎士王がいる。オーバス様を突破できるなら、今こうやって馬車の中で見つかったりしていない。
「アルメロ様。もうよろしいですか」
「ええ。もう一安心です」
万事休すか。そう思った時、揺るぎないエリス様の目を見て再び微笑んだ老人は、騎士王に促されると、含みのある優しい口調で言って、またヨタヨタと馬車を降りて行った。
馬車の扉が閉まり、また進み始めると、僕は体の力が一気に抜けて、お尻を床につけた。
あの老人は、明らかに僕の存在に気づいていた。気づいていたけど、何も言わなかった。それとも、気づいていたけど、近くにいる自分の身が危険だから、とりあえずは見逃して、後で捕まえにくる腹積りなんだろうか。
訳が分からず、怖くなった。いつでも動ける準備だけはしておこうと、僕はまた立ち上がった。
門から庭園を抜ける程度だったので、次に扉が開くのは直ぐだった。扉を開けた瞬間、まとわり付くような生暖かい風が、馬車の中に入り込んでくる。
「……エリスティーナ様。どうぞ、外へ」
騎士はうしろめたさを感じさせる声で、エリス様を外へ促した。約2ヶ月半ぶりの王都が庭園の先に見える。空はどんよりとした雲に覆われ、街は暗い影に入って重苦しい空気を背負っていた。
城の方へ目をやる。眼前の城は10メートルはあろうかという両扉が、迫力を持って人を飲み込まんと口を開けている。離れてみることしかなかった城が、今は空を見上げてもてっぺんが見えないくらいに近くにある。
敷地内にあるもの全てに、細部まで美しい装飾が施されているのを見ると、自分が王宮内に入ったことを実感する。
先ほどまでザワザワと護衛についていた騎士団が、いつの間にかに7人ほとにまで減っていた。きっと王宮に入るところで、馬車は王宮騎士に引き渡されたんだろう。今いる騎士は、さっきまでの騎士と違い、金の鎧を身につけている。
王宮の中に自由に出入りできるのは公爵以上の貴族か、特別に謁見が許された者のみ。王宮に仕える使用人や近衛兵、王宮騎士たちは皆、王宮内に部屋を与えられ、無闇に外に出ることも許されない。
そんな場所だから、城内の構造なんかはまるで知らないし、情報も出回らない。【
「直接、牢に連れて行くのか?」
「違う。扉を潜らせて、城内から入れる。この門はスキルチェックが付与されてる。何かのスキルを使っていれば、異変を知らせる。異変があったら、鑑定士を読んで、害のあるスキルかどうかを検査する」
エリス様を誘導する王宮騎士たちが話す。やはり、感知する魔法は張り巡らされている。僕がこの扉を通ったら、感知に引っかかる。
「ああ……そういえば……。この扉は今、修繕中でスキルチェックは解かれてしまっているのでした。なので、後で私がエリス様のスキルを鑑定して、無害かどうか検査致しましょう」
「アルメロ様。そうですか。ありがとうございます」
「潜る必要もないが、今さら迂回しても面倒だ。玄関を通って行きましょう」
「はっ!」
ついて来ていた白いローブの老人は、妙な間で、妙な首の角度で話す。まるで、近くにいるであろう僕に話しかけているみたいだ。それにエリス様と言った。愛称で呼ぶのはクロフテリアの人たちと、セバスと僕以外にいなかった。もしかすると、この老人はエリス様と近い関係にあった人なのかも知れない。
スキルチェックが解かれていると言っていたが、本当にこの老人の言うことを信じていいんだろうか。
悩んでいる間にも、騎士王を先頭にエリス様は奥へと連れて行かれてしまう。建物の構造が分からない以上、はぐれると非常に困る。
「もう、どうにでもなれ!」と僕は覚悟を決めて、城の中へと足を踏み入れた。
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