第114話 騎士王
滝壺は轟音を響かせ、地面を押し潰した激流は少しだけ茶色く濁って、器となった地面に跳ね返った水は、角度をつけて飛沫を飛ばしている。
水で圧死させてしまっても、体が灰にならなければ、蘇生は出来る。レイシア様はそこまで考えて、遠慮なく水を加重させたのかも知れない。
しかし、何千トンにも及ぶ水に付与を施せば、魔力も激流のように消費させられる。目に緑色の光を見せたレイシア様は、枯渇症の症状を見せて、力なく倒れた。
「レイシア!? レイシア!? 【
ミリィ様はすぐにレイシア様に魔力を分け与えると、過呼吸気味だった肺の動きは次第に落ち着きを取り戻していく。
どうする。今のうちにエリス様をシェイル様の元へ連れて言って、回復して貰うか。シェイル様は、滝の反対側にいる。今ならオーバス様の姿は無いし、比較的に安心して連れて行けるかもしれない。
「エリス様……」
エリス様に声をかけた時、滝の水が一瞬、「キュー!」と笛を鳴らしたような音を響かせると、水蒸気が一気に吹き出してきて、辺りが真っ白な霧に包まれる。
まさかと思った。あの水を食らって、まだ意識があるのかと恐怖した。どうやって耐えた。どうやって防いだ。そんな雑念が湧いてくるなか、【
広範囲に満遍なく風を起こし、霧を吹き飛ばす。霧が晴れる直前、オーバス様は一歩を大きくして、一気にミリィ様の元へ近づいた。咄嗟に矢を放って牽制するが、霧でまだ視界が悪いはずなのに、やはり簡単に避けられる。
オーバス様を目の前にしたミリィ様は、まだレイシア様に魔力を分けている最中で、目を丸くして慄いた。
レイシア様はすぐには起き上がれない。ミリィ様は震える足に力を入れて、レイシア様から離れるように全速力で走る。
僕の矢など取るに足らないと言わんばかりに、僕のいる方向だって分かっているはずなのに、火力が一番強いミリィ様を狙って、背を向けて追いかけようとするオーバス様。
仲間がやられた焦りや恐怖もあって、僕は衝動に突き動かされるように、オーバス様の背後から右肩を狙って、最大出力の【
瞬きはしていない。木の矢が溶けながら、生えた木々を軽々と貫通して、オーバス様の元へ向かう姿を見たが、強烈な閃光が起きた瞬間、気づいたら僕の左側の森に、さっきまではなかった幅3メートルぐらいの道が出来ていた。その道を辿れば、真っ直ぐオーバス様だけがいる。遅れた強風が顔面を殴るところで、僕の矢ごと薙ぎ払た斬撃が、道を作ったのだと理解した。
この斬撃は、わざと外している。そう思うと、必死に侵入を防いでいた恐怖が、一気に心の中に流れ込んで、僕は腰を抜かして尻餅をついた。一度、恐怖が勝つと、【
「ケイル。ケイル、大丈夫ですか?」
心配そうな顔をするエリス様は、僕の顔を見て大体の戦況を察しているようだった。
戦っても勝てない。逃げるしかない。そう脳が選択肢を決めつける。でもどうやって。どこへ逃げればいい。どこに逃げたって、結局はオーバス様が居るのだから、捕まるに決まっている。
縮こまる心臓を殴るりつけるような爆発音が響く。熱気を帯びた風が吹いてくる方向に目を向けると、溶岩のように赤黒い灼熱の柱が天に向かって伸びているのが見えた。
レイシア様から十分に離れたと、覚悟したミリィ様は最後の力を振り絞って、もう形振り構わず全力の【
効果があったのかどうか、今の僕には気配しか感じ取れない。しかし、気配を研ぎ澄ませる必要もなく、炎の柱が縦に真っ二つに両断されたのを見れば、効き目が無かったのだと分かった。
レイシア様も、シェイル様も気を失っている。ダメもとでエリス様を連れて回復しにいっても、すぐに目を覚ます保証はない。
あれ以来、しんと静まり返る森に、僕はミリィ様の様子を察した。残ったのは僕一人。残された選択は、エリス様を抱えて全速力で逃げること。逃げた所で良い事なんて一つも無いが、それでも、今はそんな事しか思いつかない。
エリス様を匿いつつ、森の中を大きく迂回すれば、マディスカルに戻れるかもしれない。一度は騎士王をまいた事だってある。今回だって、やれない事は……やれない事は、無いはずだ。
訳もわからず、涙が出てきた。
きっと今回は逃げきれないと、本能が察しているんだろう。体はいつだって、心よりも正直だが、心が既に怖気付いているのだから、体が思うように動いてくれないのも、当たり前だった。
「ケイル……ケイル!」
「は、はい……」
「もはや、あの手しかございません」
エリス様はそう言って、肩から下げていた布を広げると、白銀の矢を取り出した。
「エリス様……?」
「私は、騎士王の元へ投降します」
「そ、そんな……!?」
反論しようとした口を、エリス様は手でそっと押さえた。
「貴方がアルテを射つのです。アルテの呪いさえ解ければ、絶望は希望に変わります」
「む、無理です。僕には……」
「貴方なら、きっと出来ます。貴方なら、必ず成し遂げられます。自分を信じて下さい」
エリス様は茂みを越え、さっき作られたばかりの斬撃の道に姿を露わにした。
「オーバス! リングリッド・フォン・エリスティーナ! 国を欺いた王族は、ここに居ます!」
エリス様は堂々としてオーバス様の元へ歩いて行った。
「エリスティーナ様。やはり、近くに居たのですね」
「オーバス。私は今こそ、潔く投降いたします。どうぞ王都へ、アルテの元へ連れて行って下さい」
現れた騎士王の姿は、息も乱していないから接戦ではないにしろ、僕が思っていた以上にボロボロの姿をしていた。オーバス様はじっとエリス様の事をみる。逃げに逃げ回っていた人が、ここにきて素直に姿を現すのは、あからさまに怪しい。何か意図があると、感じている眼差しだった。
「もう一人、弓を扱う者がいたはずですが」
「え、ええ。私が弓を使っていたのです」
「エリスティーナ様が? では、弓はどちらに?」
「敵意を見せないようにと、近くに捨ててきました」
「フッ……」
バレバレな嘘に、オーバス様は失笑した。
「オーバス様!」
「オーバス様!」
「3人の負傷者が倒れている。手当てした後、催眠をかけて眠らせておけ」
「はっ!」
両断された炎の柱を目標にしたのだろう。出遅れた本隊が合流すると、オーバス様は御三方を捕縛するよう命令した。その間も、必ず近くにいるはずの弓使いを探して、辺りを探している。僕は【
「エリスティーナ様を王都へ連行しろ。私はこのまま、マディスカルへ向かう」
「オーバス様、お一人でですか?」
「ああ。……まだ近くに敵対する弓使いがいる。一級の矢を放つ手練れだ。決して油断するな」
「はっ!」
オーバス様が与えられたのは、マディスカル攻略の任務なのだろう。エリス様を預けて、一人で向かおうとしている。騎士王は、マディスカルとクロフテリアが徒党を組んで、戦力を上げている事を知らない。知らない所で、騎士王一人でもマディスカルを制圧出来てしまうだろうから、関係もない。
「オーバス!」
エリス様はことさら大きな声で、馬に乗って今にも駆け出して行きそうなオーバス様を引き止める。
「私は、貴方に連れて行って貰いたいのです。もはや自由も許されない、哀れな私に免じて、最後の願いをどうか聞き届けて下さい」
少し考えたオーバス様は、エリス様の目をじっと見つめ、懇願を聞き届けた。オーバス様はその場に留まって、騎士たちに帰還の準備を始めさせている。
僕は小さな茂みの影に隠れて、体を震わせていた。
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