第110話 出発

 みんなの寝息が聞こえた頃、僕は窓から飛び降りて、もっとよく外の景色を望むために、城を挟む右側の大木に登る。

 レイシア様が【樹勢加速グリンク】で穴を修復した名残だろう、樹冠は恐ろしいほど葉が生い茂り、幾重にも枝分かれしてるから、押し分けて登るのは骨が折れた。

 てっぺんの枝に座って、斥候の気配もないか探るため、一方向ではなく、全方位に目を配った。

 首都マディスカルは、大陸の中央から東に位置する。ここより東に目を向ければ、広がる緑と空の間に、薄く伸びる海が見える。

 リングリッドの王都は大陸の中央から南に位置し、此処からでは南西に伸びる道から、騎士たちはやって来ている。

 空は次第に黒から青へ、水平線の方は赤みがかって、海がキラキラと輝きだす。

 僕は西にいる騎士の方を向いている。背中を押す夏の生暖かい風は、まるで日の出を急かして太陽を押しているみたいに強く吹く。

 明るい所と暗い所の境目が、どんどん西へと侵食していく。騎士が装着する鎧が、日の光を反射させると、その顔が明らかになり、強烈な気配を僕の脳内に叩き込んだ。

 太陽の光を騎士団の先頭で受け止める男は、以前にも見た厳格なオーラを失わず、遠目からでも強敵の威圧感を届けていた。

 オーバス・ロッドメイル。そこにいたのは、騎士王の二つ名をもつ、リングリッド最強の武人だった。

 僕が今いる場所が、樹海の中でも一際大きな木の上だからだろうか、遥か遠くに居るはずのオーバス様は、確かに僕と視線が合っているように感じる。以前に睨まれた時は、【大刀の威圧エルバイアス】の影響があったけど、今は遠すぎるせいか幻覚は見ない。でも、相変わらずの強面を見ると、今にも錯乱を起こしそうな気がするくらいに恐ろしくなる。

 彼らも日の出を待っていたのだろう。オーバス様が腕を上げると、騎士たちは王都とは反対方向に進み始める。ロイド様の部隊が、引き続き王都に引き返しているのを見ると、やはり合流したのはたまたまで、オーバス様の率いる部隊は、テルストロイに差し向けられた侵略部隊だということが分かる。

 ひ、ひとまずは皆に知らせないと。

 僕はすぐに枝を折って樹冠を滑り降り、滞在する部屋に戻ると、服にくっついていた葉っぱがひらひらと落ちた。そこでは、エリス様も御三方も既に起きていて、僕が窓から飛び込んできたものだから、驚いた反応を見せた。


「ど、どこにいたの」


「すみません、上の方で偵察を……」


「ケイル。回復を」


「は、はい。ありがとうございます」


 エリス様の【精霊の祈りアテナス】によって体の疲労、ひいては睡眠不足による脳の疲労、気怠さや眠気がスゥっと消えていくのを感じた。


「で、どう?」


「そ、そうでした! あの、昨日合流した部隊が、こちらに向かって進み始めて……」


「やっぱり、報復するために来てるのね」


「それを率いているのが、オーバス様なんです」


「え?」


 長い沈黙が部屋に失望の空気を漂わせた。そして、その空気を払うように首を横に振ったミリィ様は、「さっさと此処を出ましょう」と言って、不安に駆られそうな心を何処かに隠してくれた。

 アンガル王に状況を説明するため、僕らは使用人の一人に声をかけた。寝ている王を叩き起こすのも気が引けたが、事が事なだけに躊躇している暇はなかった。使用人にも案内を嫌煙されると思い、説明するための言葉を2、3用意したものだったが、意外なことにその使用人は「どうぞ、こちらへ」と言って、すんなりと居場所に通してくれた。

 着いたのは王の書斎だった。そこでアンガル王は、復興に必要な書類を認め、紙の山を築いていた。部屋の隅では回復魔法を扱う魔法使いが小さな椅子に座って待機しており、寝る間も惜しんで作業に当たっていた事が伺えた。


「どうひたのだ。こんな時間でぃかんに」


「騎士が動き出しました」


 レイシア様の言葉に、王は筆を止めた。


「とうとう、来たか」


「はい」


「ひて、其方ほなたたちは?」


「無論、打って出ます」


「では、わたひたちも……」


「いえ、私たちだけで向かいます」


「ん? ほれはどういう……」


「弱い奴がいても、足手纏いなだけなんですよ。察してください」


 ミリィ様はハッキリとものを言う。いつもなら無礼なことを言うと、レイシア様の手刀が落ちるが、今はその言葉が図星だから黙認される。


わたひたちも戦える。共に戦った方が勝機ひょうきはあるはどぅだ」


「たった5千の騎士相手に、どうにもならなかったくせに、何言ってるんですか」


 少し調子に乗り始めたミリィ様の口調に、レイシア様は鋭い視線を送って下がらせた。


「今度の相手は、ロイドよりも手強い相手になります。私たちだけで行って勝てないなら、恐らく協力して頂いた所で、結果はさして変わらないでしょう」


「なに? あの怪力の者より強いとは、いったい誰だ?」


「オーバス・ロッドメイル」


 騎士王の名前を出すと、アンガル王は息をのんで黙りこくる。アルテミーナ様は、今度こそテルストロイを攻め潰すつもりなのだろう。指揮官にオーバス様を任命したことを考えるに、その本気が伝わってくる。


「私たちがオーバス様を抑えられなければ、次はこの街の番です。僭越ですが、今のうちに退去する事も、考慮しておいた方がよろしいかと存じます」


「な、何を言っておる!? へっかく取り戻ひた街を、ほう簡単に手放へるものか。断固とひて戦うど!」


「私たちが勝てなければ、あなた方が勝てる道理もない。それを言いたいのです」


 アンガル王は干魃地帯で騎士たちを追いやった御三方の実力を知っている。それが勝てないのであれば、と仮定されれば反論も出なかった。


「……ひ、ひかひ。な、なにか……。本当にわたひたちに手伝える事は、何もないのか?」


「力を借りるには、今回は相手が悪すぎます。戦う武器も不十分な今、やはり、できる事なら撤退する準備をして頂きたいのが本音です」


「あ、あの。私たちが出たと知れば、クロフテリアの方々が心配して、また後をついてくるかも知れません。アンガル様、もしもクロフテリアの方々が気を荒くした時は、どうかそれを宥めて頂けないでしょうか」


 エリス様の申し出に、アンガル王は時間を置いて「分かった」と少し悔しそうに応えた。同行しても足手纏いになる不甲斐なさを、納得しきれない様子だった。


「では」


 僕らは書斎を後にした。

 まだ大半が眠る早朝のマディスカルは、復興作業も中断され、そして騎士団の動向も知らずに、とても静かなものだった。

 誰もいない市場を通り抜け、首都の外へ続く道を歩く。

 敗戦の失敗を鑑みて、次の門はより強固に、街全体を囲う城壁に併設しようと決めたらしく、街の入り口にはそれらしい作業の跡が見えるが、復興作業が優先されているため、完成にはまだまだ時間がかかりそうな状態だった。こんなのを見ると、やっぱり彼らに共闘を強いるのは気が引ける。改めて、僕らで何とか追い払わなきゃと思わせる

 大きな丸太が地面に打ち付けられただけの、作りかけの城壁を越えると、後ろから一人の大きな声が聞こえて、足を止めた。

 特徴的な緑色の髪を見れば、遠目でもユリウフである事は直ぐに分かった。


「どうしたの?」


「あ、あの。もしよろしければ、こちらを」


 手渡されたのは小さな木の板が付いた、5つのネックレスだった。木の板には何やら美しい草の装飾が彫られている。


「これは?」


「み、み、皆様に感謝の意を込めて作りました! 願掛けのお守りです! 施した装飾はカラネロという草花でして! よく蔦が伸びて絡み合う事から、テルストロイでは絆や友情の象徴とされています!」


「お、落ち着いて。まだ朝、早いから」


「す、すみません」


 ユリウフは顔を真っ赤にして、僕らに手渡した木彫りの意味を教えてくれた。精悍で男らしい風貌からは、この繊細な贈り物の作り手とは想像できない。自分でも似合わない事をしている自覚があるのか、ユリウフはとても恥ずかしそうだった。

 でも、兵士を指揮する武官して、これから戦いに出る僕らに、せめてもの勇気を届けようとしてくれた気概は、確かに伝わってきた。

 僕らは顔を見合わせて微笑むと、みんなでそのネックレスを首から下げた。絆と友情を象徴するカラネロ。つけた感じでは、特別これといった効力を感じないが、それでもお揃いの物を装備しているという意識だけで、気分が良いのは確かだ。


「ありがとう、ユリウフ。とっても嬉しいわ」


「……あ、あの。私の名前は、ユリウスと申します……」


 ユリウフの衝撃的な告白に、僕らは言葉が出なくなって、遂には思わず笑い合った。アンガル王が抜けた歯でユリウフ、ユリウフと言うものだから、てっきりそれが正しいと思っていたけど、実際はユリウスというらしい。とても失礼な事をした。


「じゃあ、行ってくるわね。ユリウス」


「はい! ご武運を祈っております。もしもの時は、いつでもこの場所へ戻ってきて下さい」


「ええ、そうするわ」


 僕らは手を振ってユリウスと別れた。マディズカルを離れる足は、緊張と恐怖でフワフワとしているが、最後に楽しい話ができて、少しばかし踏み出す足にも、力が入りやすくなった。

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