第100話 戒め

 最初こそ堰き止めていた堤防が決壊するように勢いがあった闇も、大多数を浄化し終えた後はすぐに落ち着きを取り戻したが、より隈なく炙り出すため、エリス様は街中を歩き回っていた。


「皆様、どうか落ち着いて、私の声に耳を傾けて下さい」


 浄化に関しては、何か手伝えることも無いのだが、それでも従者として側を離れるわけにもいかないので、【鷲の眼イーグルアイ】で街の景色を把握して、一度通った道に行かないよう、地図代わりとなって、曲がり角では、進むべき方向の家の屋根に乗って、エリス様とシェイル様を先導した。

 街を歩いただけでは、建物内にいる人には声が聞こえ難い。後日、アンガル王は軍を指導して、改めて検疫の場を設けた。

 光を見た途端に豹変する様相、気を取り戻した人たちの心変わり、呪いの存在を如実に表す、狂った知人の姿を目の当たりにして、テルストロイの人たちも、それとなく事態を重く見たようで、検疫の参加にも率先して賛同してくれた。

 浄化には【精霊の声レディオン】と唱えるだけで効果があるようだが、エリス様の声である方がより効果があるらしい。

 しかし、最初こそは神経を尖らせていたもの、エリス様の声を聞くために整列する人たちの長さを見たら、精霊様を憑依させた状態だけで、呪いの掛かった者は分かりやすく反応するということもあって、途中からは「どうも、こんにちは」と挨拶程度の声で検疫を行い、作業が終わる数日間、エリス様は1日を通して笑顔で手を振り続けていた。


「大丈夫ですか? エリス様」


「え、ええ。私は平気です」


《嘘はいけませんよ、エリスティーナ。私を憑依させるのは、それだけで体力を使うのですから》


 僕らは城の中でも比較的に、ロイド様の八つ当たり被害を免れた部屋を、アンガル王から与えられた。「小さい部屋で申し訳ない」という王だが、寝具こそ急あつらえの物だが、6人が入っても余裕があるくらいに広々とした部屋だった。


「失礼しますね、エリスティーナ様。【魔力授受ドレイス】」


「すみません。ありがとうございます。ミリアルディア様」


「私のことはミリィと。親しい者は皆、そう呼びます」


「ありがとうございます。ミリィ様」


 消費した魔力を補うため、ミリィ様は定期的にエリス様に魔力を与え続けていた。


「ミリィ、無理してない?」


「ん〜、まだ大丈夫。でも、流石に何も感じないってことは無いわね」


「私でよければ変わるけど」


「アンタがやったら、すぐ死ぬわよ」


「なっ!? 私だって上手くやるわよ」


 特異な波動を見せる憑依が、少ない魔力の放出で済むはずもなく、それを何時間も発動し続ける魔力量もる事ながら、より驚かされるのは、ミリィ様が消費を意識するほどの魔力量をエリス様が受け取れることだった。魔力は多過ぎても暴発してしまうのだから、エリス様の保有する魔力の限界値が増えていることを示唆していた。


「入るど」


「どうぞ」


 コンコンと扉を叩いてアンガル王が部屋に入ってきた。後ろに控えるエリウフは、その律儀な所作にも驚いた表情を見せていた。まだまだ呪いの解けたアンガル王には慣れていないらしい。それだけでも、アンガル王の呪いに掛かっていた時間が長いことが分かる。


「何から何まで、苦労をかけたな。ふまない」


「え、いえ」


「まはか、ひろの中にこれほど呪いに掛かっていた者がいたとはな」


 人はもともと歳を重ねれば性格が変わることもあるから、個人の間ではその変化も、よくある事と見逃されやすい。全体で見て初めて呪いの存在は、明確に浮き彫りになっていった訳だが、それが顕著に現れたのは顔を黄色や紫に塗り直した、貴族や王族たちだった。

 変化した嗜好、曲がった態度、起伏の激しい気性、家族や知人から証言を聞けば、どれも最近になって急に変化した事がわかるが、それは庶民のみで、貴族たちはいつから変化が起こっていたのか分からないほど、長い間、呪いを潜伏させていたようだった。

 呪いの広がり具合を見れば、テルストロイの感染源は城の中にいる誰かだったとわかる。【伝染する悪意アムディシア】の求めるところが負の感情の助長、即ち際限の無い渇欲にあるなら、私利私欲の為とはいえ、国民に自然と共に生きることを呼びかけ、慎ましやかな生活を文化として掲げたアンガル王の悪謀が、国民の欲を抑え、呪いを感染させることを多少なりともは阻んだのかも知れない。

 首都は迅速な復興作業を見せた。重い鉄と、採取しやすい木材とでは、運搬に掛かる労力が違うというのもあるが、やはりクロフテリアと違って、魔法の心得がある分、工程を2、3跳ばせるテルストロイの方が格段に作業は早かった。


「あの、私にも何か手伝えることはありますか?」


「いや、其方ほなた客人きゃくでぃんなのだ。呪いの浄化でょうかもひと段落ついた事だひ、なるべくゆっくりひていると良い。今は物が不足ふほくひているが、出来る限りのもてなひはふる」


「あ、あの、アンガル王」


「どうひた、レイヒア殿」


「その、このままだと話す時に不便だと思うので、よろしければ、歯を治させて頂きますが」


「ありがとう。だが、ほの必要はない。これはわたひいまひめとひて、のままにひておくつもりだ」


「は、はあ。そうですか」


 アメルダに殴られて以来、折れたままだった前歯をレイシア様は気遣ったが、アンガル王は笑ってそれを断った。

 戒め……か。口を動かすたびに、空気の抜ける歯を知れば、嫌でもそれを失った日のことを思い出すだろう。アンガル王の清々しい顔は、懺悔しながらも前に進もうとしているようで、過去を差し引いても見上げた心がけだった。 


「ほれに、わたひひばらくひたら退ひりどく身だ。厳格な言葉も、いまはら必要あるまい」


「し、退く? 陛下、それは一体……」


「言葉通りの意味だ。わたひは1年後に王の退ひろどく」


 僕とエリス様は事情を知っているので、約束を忘れていないアンガル王に違和感もないが、御三方は何も知らないし、エリウフにいたっては寝耳に水で、言葉の裏に他の意味があるのではないかと考えを巡らせていたが、クロフテリアとの約束である事など知る由もなかった。


「このような事態でぃたいになったのは、王族全体おうどくでんたい慢心まんひんが招いたもの。これを機に、わたひは長きに渡って受け継いできた世襲へひゅうによる継承制度けいひょうへいどをとり止め、新たに相応ふはわひい王を決めるつもりだ。……エリウフ、おほらくは其方ほなたに王のを任へることになるだろう」


「っっっ!? な、何を仰っているのですか!?」


其方ほなたほど国のためを想い、部下からの信頼ひんらいが厚い男もおるまい。任へるなら、其方ほなたひか居ない」


「そ、そういう問題ではなく。平民上がりの私が、王の座につくなど国としての威厳が損なわれて……と、とにかく、絶対にありえません!」


「平民だろうと、貴族きどくよりもふぐれた者は居る。生まれた血筋ちふでぃをとやかく言う者は、ておけば良い。元より信用ひんようには値ひない」


 アンガル王は僕を見ながら言う。言葉の根拠に思い描いているのは、僕とロイド様の戦いの風景だろう。


「ほ、本当に仰っているんですか!?」


「まだ1年ある。ほれまでには完璧な復興と、其方ほなた継続けいどくひやふいよう、準備でゅんびひていかなければな」


 アンガル王は戸惑うエリウフもはぐらかして、笑いながら部屋を出て行った。国を変えるのに、一年という時間はあまりにも短い。ならばいっそのこと、世襲の習慣ごと変えてしまおうという魂胆が、アンガル王にはあったのかもしれない。

 エリウフは自分の事を平民上がりと言っていた。もしも僕が王の座に推薦されたと思ったら、身の毛がよだつ。まるで冗談でなくなっていく継承の話に、涙目になってアンガル王の後を追いかけるエリウフが、少し気の毒に思えた。

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