第99話 潜伏

「うわっ!? 何よこれ……」


 城は外壁の傷も多かったが、中も相当に荒らされていた。押収されたのか、最初に侵入した時に見た、高価そうな品々が無くなってるし、目立つのは所々に空いた壁の穴。

 きっと騎士団がクロフテリアに向かった際、思いのほか帰りが遅くて焦ったんだろう、穴の原因はロイド様がイライラして物に当たるときに作る、殴り跡だと察しがついて、申し訳ない気持ちになってくる。


「エリフティーナ、国民に魔王の存在ほんだいや、呪いについて話ひてもらえるか」


「は、はい」


 もはや奪われた金品など興味がないのか、瓦礫を踏んで前に進むアンガル王は、上階にある演説にも使えそうなバルコニーに案内する。

 隅が破壊された露台は、戦いの熱を想わせる。王がバルコニーから顔を出すと、国民はそれだけで興奮して声を上げた。陰から外を覗くと、道を埋め尽くす程の人が犇いて、全員がこちらを見ている。僕は緊張して、肩を強張らせた。

 

「す、凄い人です」


「クロフテリアの方が、よっぽど凄かったでしょ」


 た、確かに、クロフテリアの方が人の人数も熱気も迫力も凄かった。大勢の人に今さら変に緊張するのは、ここが王の住まう場所で、周りの高級そうな装飾なんかが厳格な雰囲気を出しているせいかもしれない。だからこそ、生まれた時から高価な物に囲まれて過ごした御三方は、物怖じせずに済んでるんだろうな。バーベルは……身分の違いとか、格式とか、そんな物には最初から興味がなさそうに、堂々としたものだった。

 

「国民よ! よくぞ苦ひい時を乗り越えた! 騎士きひった今、何もおほれる事はない! テルフトロイは自由でぃゆうを取り戻した! わたひは、困難を耐え抜いた其方ほなたたちを誇りに想う!」


 王の宣言に男たちは拳を掲げ、街中の人が歓声を上げた。


「皆には、騎士きひ制圧へいあつはれた屈辱があると思う」


 国民の気持ちを代弁してくれたと思った大衆は、話の途中にも声を上げて応えた。アンガル王は手の平を見せて静かにさせると、一呼吸を挟んで話す。


人類でぃんるいは今、強大な悪の力に翻弄されている。かつて討ち倒はれたと伝説でんへつに残る魔王が、世界へかいに呪いを振り撒いたのだ。ほの呪いは、人の憎悪どうお助長でぉちょうひ、混沌を求めて蔓延ふる恐ろひい呪術でゅでゅつだ。騎士団きひだんが我が国にひ向けられたのも、リングリッドの王が呪いに侵はれたへいに他ならない。ほして、この呪いの目的は、我々にらなるあらほいを起こはへる事にある。ほうやって憎悪どうおを広めはへる事こほが、巨悪の根源たる魔王の思惑なのだ」


 歓声は静まり返る。王の言葉といえど、魔王だの呪いだのと、いきなり言われても困惑して、すんなりとは受け入れられないようだった。それとも、反応が薄いのは所々で聞こえづらい発音のせいだろうか。


「これをわたひおひえてくれたのは、精霊様へいれいはま存在ほんだいだった。ここに居る、リングリッド・フォン・エリフティーナは精霊様へいれはまをほの身に宿ひ、ほの声を我らに届ける事が出来る」


 後ろに振り返ったアンガル王に促され、エリス様が前に出る。リングリッド国民でもあまり面識が無いのに、他国に至っては顔を知る人は皆無で、エリス様が顔を出しても、大衆は「誰だ?」と騒つくばかりだった。


「私はリングリッド王国国王アルテミーナ・フォン・リングリッドの姉、エリスティーナ・フォン・リングリッドと申します。私の姉が不徳をしでかし、皆様に多大なご迷惑をおかけした事を深くお詫び申し上げます」


 エリス様は最初に頭を深く下げて謝罪し、その後、魔王が人間の負の感情を糧とし、人同士の争いを助長させ、憎しみの連鎖を作り、復活を目論んでいる事。【伝染する悪意アムディシア】が人から人へ移り回る事。改めて、アルテミーナ様が呪いにかかり、不必要に争いを広めている事を説明した。

 顔を見合わせて困惑する国民に、アンガル王は信じるよう補足したが、どよめきは収まらない。


《エリスティーナ》


「はい」


 呼吸を整え、瞳を閉じるエリス様に集まりだした光の粒子は、次第な鎧の形を成して一体となる。


《エリスティーナ、まだ私たちの力では、この距離にいる方々に声を届けるのは難しそうです》


「え、そうなんですか?」


《はい。一緒に降りましょう。そして、皆様に私の声を届けるのです》


 荘厳なオーラを放つ姿に、下で見ている人たちは口を開けて見入っているが、当のエリス様はバルコニーの手すり立って以来、飛び降りる決心がなかなかつかず、尻込みしていた。


《私が衝撃を和らげますから、安心して下さい》


「は、はい」


 バルコニーから落ちるエリス様に、思わず「ちょっと、すみません!」とアンガル王を押し退けて下を見ると、遅れて来た御三方も気になったようで、手すりに身を乗り出した。

 白い大きな翼を広げたエリス様が、ゆっくりと降下していくと、人混みに円状の空間が出来る。

 地上に降りると、折り畳まれた翼は光の粒になって消えた。周りにいた人たちは途端に右に左に首を振って、不安そうな顔をする。おそらく精霊の声が聞こえたのだろう。僕らが初めて聞いた時も、あんな感じの反応だった。木霊のように揺れ響く声が頭の中に直接届いてくる感覚は、誰でも最初はビックリすると思う。


「落ち着いて下さい。これは精霊様の声です」


 上にいる僕らにはエリス様の声しか聞こえないけど、エリス様を中心に半径10メートル以内に居る人だけが、露骨にソワソワした反応を見せると、それが今、精霊の声が届く範囲なのだと分かりやすかった。

 より多くの人に声を聞かせようと、エリス様が前に進むと、人の壁は簡単に割れていく。護衛する立場としては、単独で人混みのど真ん中を歩いているのは気が気じゃ無い。僕は万が一に備え、手すりの上に立っては、いつでも矢が放てるよう弓を持って待機した。

 「過保護すぎない?」と言いた気なミリィ様の表情だったが、不穏な気配を感じると、その余裕もすぐに切り捨てて、人混みの方を睨む。身に覚えのある嫌悪感に、アンガル王もすぐに気づく。

 大衆に紛れて、身をよじりながら頭を抱え、奇妙に悶える人が何人か居る。


「アアアアアッ!」


 奇声を上げた一人が、エリス様に飛びかかる。人混みから浮き上がった標的は狙いやすい。僕は2本の木の矢を同時に放ち、【神の縄綱ホーネットショット】で魔力の紐をつける。紐が引っかかると、標的を中心にクルクルと回り縛り上がった。


「ケイル!」


「……はい!」


 手すりに立ったシェイル様は、目で意図を伝えてくる。阿吽の呼吸は、前線に飛び込み過ぎたロイド様を助けるために、よくシェイル様を【風速操作ウェザーシェル】で送り込んでいた習慣だった。

 手すりから飛び降りる勢いを増幅させるように、シェイル様の背中を強く風で押した。多少の落下では擦り傷も負わないので、シェイル様を飛ばす時に遠慮は無い。

 エリス様の近くに着地したシェイル様は、【不変の領域ゴールデンサークル】を展開する。紫色の光を宿す人たちは、人ならざる動きで周りの人を押し倒しながら、エリス様に一直線に突っ込んでいった。

 顔面を打ちつけて、額から血が噴き出ても、なんの躊躇もなく障壁に食らいつく姿は、アンガル王が我を失った時と同じだった。

 光に吸い寄せられた闇は、過剰な反応を見せて、その時ばかりは禍々しい影を浮き立たせる。

 半球体の障壁に狂った人たちはゾンビの様に群がって、エリス様とシェイル様の姿は見えなくなる。矢で人を剥がすのは難しい。とりあえず近づこうと、飛び降りようとした時、障壁の内側が光り輝いて、へばりついていた人たちから、煙のようなものが立ち上って空へと消えていくと、憑き物が落ちたように、狂乱者は次々と倒れていった。

 助けることを決心したのか、その後もエリス様は、【不変の領域ゴールデンサークル】に守られながら、人混みを闊歩し、引き寄せられた闇を悉く浄化していった。

 数万人と居るテルストロイの人たちの中で、狂乱して襲いかかってきたのは200人ほど、侵食が軽度で自覚症状がなくても、頭から影が抜き出された人が1000人以上はいた。

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