第97話 真実
沈黙したロイド様に気を緩めると、急に瞼が重くなって、前のめりに倒れてしまった。痛みの感覚はなく、とにかく寒気が酷い。全身の力が入らない。
「ロイド様!?」
鎧の擦れ合う音を響かせながら、掠れる視界に騎士たちが入る。意識を失って脱力したロイド様の体を、騎士団たちはそそくさと運んで行ってしまった。ロイド様は呪いに侵されてる。抵抗できない今こそ、エリス様に浄化して欲しかった。
「ま、待って……」
弱々しく出した声は誰の耳にも届かない。ミリィ様たちはどこにいるんだろうか、早く来ないと、ロイド様が連れて行かれてしまう。動かない体に焦りを感じながら、僕の意識は途切れた。
「アミル……。おい、とっとと起きろ」
「わっ!? すみません! すみません!」
恐怖の声に戦慄が走って飛び起き、何も考えずにとりあえず頭を地面につけて謝罪した。聞き覚えのある声。体に染み付いた習癖。大概、この声で起こされた時には、同時に蹴りが飛んでくる。だからこそ僕は、旅の最中は誰よりも遅くに寝て、誰よりも早くに起きる習慣が身についていた。
側に立つ足は誰のものか、見なくても分かるし、下手に目線を合わせると機嫌が悪くなるので、できる事なら見たくもないが、見なかったら見なかったで、それも不機嫌にさせるで、僕はやはり殴られると分かっていても、その人の顔を見なくてはいけない。
恐る恐る、足から腰へと視線を上げていき、顔の方へ目をやると、そこにはロイド様の冷めた表情があった。
「す、すみません!」
ロイド様を目の前にして、僕が寝てるなんてあり得ない。考えられるとしたら、僕が寝坊した時だけだ。殴られると思って、すぐにまた頭を下げて謝った。
……あれ。でも、おかしい。僕はもう神童の集いを追放された。それに、僕はついさっきまで……。そうだ、エリス様。エリス様が近くにいたはず。
「謝って済む問題じゃない」
再び顔を上げると、そこにはロイド様の腕で首を絞められるエリス様の姿があった。
「エ、エリス様!?」
「お前さえ、いなければ。お前さえ邪魔しなければ……」
「うっ!?」
エリス様の腹部から、短剣の刃が顔を出す。次第に服が赤く染まり、エリス様の口から血が溢れる。
「エリス様!?」
助けに行こうとした体は、いつの間にか鎖に繋がれていた。これは一体、どういうことだ。僕が気を失ってる間に何があったんだ。そういえばミリィ様は、レイシア様はどこに。
「おい! やめろ! くそっ! 誰か! 誰か居ませんか!?」
もがいても、もがいても、手足に嵌められた鎖はびくともしない。このままでは、エリス様が死んでしまう。どうにかしないと。焦れば焦るほど、頭の中は空っぽになって、何も良い案など思いつかない。
「全部、お前が悪いんだ。お前が……お前さえ居なければ……お前さえ……お前さえ……」
「黙れ! 絶対に許さない! 僕は必ず、貴方に復讐する! 貴方の何もかもを奪って、僕と同じ目に合わせてやる! 絶対だ! 絶対に……」
「落ち着いてください。ケイル」
頭に響く声が聞こえると、全身がポカポカして、日向ぼっこしてるみたいに気持ちが良くなる。腹を刺されたエリス様は、優しい光に包まれ、その傷はみるみる治っていった。
「私はここに居ます。ケイル」
微笑むエリス様の光に包み込まれて、あたりは真っ白になった。
再び目を開けると、綺麗な青空に小さな雲が風に流されているのが見える。どれくらいの時間、呼吸が止まっていたのかと思うほど、僕の肺は酸素を必要として、荒く収縮した。
「ケイル……」
僕の顔を覗き込むように、エリス様の顔が視界に入る。
「エ、エリス様……。エリス様!? お怪我は!? ……ってあれ……」
起き上がってすぐにエリス様の腹部を見たが、傷を受けた形跡がどこにもなかった。肌に当たる風、心臓の鼓動が生きていることを実感させると、次第にあれは夢だったのだと気づいていく。何事もないエリス様を見て、僕はほっと胸を撫で下ろし……。
「……あれ、腕が……」
切り落とされたはずの右腕がある。ちゃんと動く。じゃあ、やっぱり、これも夢? でも袖が無くなっているのを見ると、切断された痕跡は残ってるように思える。
「落ちてた腕をエリス様が引っ付けたの。ちゃんと感謝しなさいよ」
腰に手を当てたミリィ様が言う。後ろにはレイシア様もシェイル様もいて、無事が確認できた。
「……そ、そうだったんですか。あ、ありがとうございます。エリス様」
笑顔で感謝を伝えたけど、緊張の糸が切れたかのように、エリス様は堰き止めていた涙を零した。
「エ、エリス様!? ど、どうしたんですか!? やっぱり、どこか怪我をして……」
「いえ……」
「し、心配して下さったんですね……すみません。でも、もう大丈夫ですよ。ほら、おかげさまで腕も元通り……」
「心配はしていましたが……。そうではありません。ミリィ様たちから、全てを伺いました。ケイル……いえ、アミル……。私が貴方に、言われなき罪を与えてしまったことも」
心配そうにこちらを見ながら涙した顔は、僕への申し訳なさも入り混じっていた。
とうとうバレてしまった。ミリィ様たちの顔を覗いても、「さぁ、どうするの?」といった感じで僕の反応を待っている。
僕としては、エリス様に対する感情は何も変わらない。そりゃ、色々と大変な事が起こったし、最初は希望も見出せなかったけど、時間をかけて失意も乗り越えたつもりだ。失ったものは戻らないし、前を向いて生きること以外、失望を乗り越える術は無いのだから、後悔もない。
全ての歯車が綺麗に回るほど、この世界は良くできてない。何かの拍子で、誰かの不幸を知らぬ間に引き寄せてる事だってあるだろう。だから僕は、たった一つの暗い場所を殊更に見つめ続けるのではなく、違った側面から明るい場所を見ていたい。
それに、全ての元凶が他にあることも、今は知っている。負の感情を集めるのが巨悪の魂胆なら、僕はそれに従うつもりはない。
「どうして、黙っていたのですか?」
「すみません。なかなか、言い出せなくて……」
笑って誤魔化そうとしたが、頬を濡らすエリス様は真剣な顔をして笑わない。
「どうして、私を守って下さったのですか? どうして貴方は、私について来て下さったのですか?」
呪いを患って暴漢と化したアンガル王からエリス様を助けた時、僕はなぜエリス様を助けたのか、答えを見つけられなかった。でも今は、エリス様の人となりを知った今なら答えられる。
「……エリス様だからですよ。他の誰でもない、エリス様だったからこそ、僕はついて行きたいと思ったし、守らなきゃいけないと思ったんです。……あー。……それだけが理由じゃ、ダメでしょうか?」
再び笑って空気を変えようとしたが、エリス様は俯いてしまう。真実を知ればエリス様が罪悪感を抱えるのは分かり切っていること、だからこそ僕は関係を拗らせまいと、今の今まで黙ってきた。案の定、エリス様が悲しんでいる姿を見ると、やっぱり黙っていた方が、良かったんじゃないかと思ってしまう。
「あ、あの……」
僕はエリス様を憎んだり恨んだりはしていない。そのことを伝えようとしたら、エリス様は勢いよく僕に抱きついた。
「どうして貴方は、それほどまでに優しくなれるのですか? なぜ私を恨まないのですか? 私のせいで、貴方は……」
「恨むなんて……。僕はエリス様に、居場所を与えて貰ったと思ってるんです。誰か一人でも守り通せたらそれで良いと、こんな僕でも、エリス様に出会えて信念を取り戻すことが出来たんです。だから、僕はもう昔のアミルに戻るつもりはありません。どうかこれからも僕のことはケイルと呼んでください。ケイルとして、エリス様の従者でいさせて下さい」
驚きのあまり心臓が止まりかけたが、肩で泣くエリス様の声にならない謝罪の言葉に、僕は落ち着くまで動かないと決めた。
体の芯からポカポカと暖かさが広がっていく。エリス様の体温のおかげか、ずっと黙っていた胸の
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