第96話 一矢

 ロイド様の敵意は僕だけに向けられている。周りへの被害を無くすため、怒りに身を任せたロイド様の斬撃を避ける度に、大木が切り倒される振動音を背中に感じながら、さらに深く樹海に潜って行く。

 息を荒げるロイド様は、ローデンスクールで見たアンガル王のように、我を見失つつあるように思えた。

 背中を向けていても、空中にいる僕に向けて斬撃を喰らわせようとするロイド様の姿が、【鷲の眼イーグルアイ】では良く見える。

 【爆煙の矢スモッグショット】を放ちつつ、【風速操作ウェザーシェル】で地面に向けた強風を自分の体に当てた。

 僕を狙った斬撃は、大木の樹冠だけを剥奪して空へと消えた。ロイド様を包んだ煙幕は一振りで吹っ飛ばされたが、死角に身を潜めるには、その一瞬で十分だった。

 右に左に辺りを見渡し、僕を探すロイド様。【狩人の極意マースチェル】を発動させて気配を無くし、身を潜めた大木の裏から、明後日の方向に【空虚の矢インビシブルショット】で透明と化した矢を放つ。風を操り、大きく旋回させた目に見えない矢は、ロイド様の背後から右腕を狙うが、風の音を鋭敏に感じ取ったロイド様は、こちらの意図を見透かすように簡単に避けた。

 【空虚の矢インビシブルショット】は透明化と、刺さった後に矢が消失するので痕跡が残らない利便性はあるが、どうしても威力と速さが上がらない。

 一本で無理なら、【空虚の矢インビシブルショット】と【二射一対クロスショット】を併用させる。

 【神速速射ゴッドアロー】で1秒間に放った7本の矢は、一本一本が二手に分かれ、計14本の透明の矢が全射命中を目指して、ギリギリまでロイド様の右腕に飛んでいく。八方から降る矢は、どの方向へ逃げても、どれか一本が命中する角度から侵入している。ロイド様が避けた方向を見て風速を操れば、右腕以外に当たりそうな矢は吹き飛ばせる。

 複数の矢が同時に飛んでくる音を聞いたロイド様は、地面を強く殴りつけて強風を巻き起こす。威力の弱い【空虚の矢インビシブルショット】は、ロイド様の一撃で吹っ飛ばされ全滅した。


「手加減して勝てると思ってんのか!? クソ野郎がぁ! 【破断一閃デススラッシュ】!」


 ロイド様の大きな一振りは、ロイド様の視界にあった20本の巨大な木を切断した。巻き起こった強風に体を転がした僕の上から、切り倒された木が落ちてきて、【風速操作ウェザーシェル】で体を押して間一髪で潰されずに済んだ。

 どうやら僕が執拗に右腕ばかりを狙っている事に気づいたロイド様は、手加減されている事にさらに立腹して、この破壊力を見せつけてきたようだ。

 こちらの狙いがバレたとしても、それで相手がイライラしてくれるなら、僕はやっぱり右腕だけを狙う。

 しかし、その後も多様なスキルの矢を放ったが、あともう少しの所まで行くと、ロイド様は地面を殴りつけて強風を起こし、僕の矢の軌道を逸らしてしまう。その地面殴りはスキル技でも何でもなく、ただの拳の風圧。こちらが必死に技を繰り出しても、圧倒的な腕力で一瞬のうちに払われてしまうのだから遣る瀬無い。

 何をしても通用しないせいで、焦りが生まれる。このまま僕一人で戦っても時間の無駄なような気がしてくる。【鷲の眼イーグルアイ】で御三方やエリス様が、こちらを見れる場所にいる事は分かってる。いっそ助けを求めれば、御三方の力を借りれば簡単にロイド様を捕縛できるだろう。

 でも、どうしても声が出ない。助けを求める惨めさが、ロイド様には勝てないと認めることが、悔しくてたまらなかった。こんなに誰かに勝ちたいと思ったことはない。誰のためでもなく、自分のために勝たなきゃいけない勝負なんだと、心の中のもう一人の自分が叫んでる気がする。ここで引いたら、一生、自分の決意を信じられなくなる。

 その時、僕の中で何かが跳ね上がる感触があった。体の底から力が湧いてくるような感覚。腕が軽い、足が軽い、体が軽い。戦っていた疲れすら減っていく。

 これが火事場の馬鹿力というやつだろうか。負けたくないとい闘志が、僕の何らかの固有スキルを覚醒させたんだろうか。

 と、思ったけど……この感覚は、僕は何回も目にしてきて知っている。エリス様の配下に加わった御三方や、バーベルの能力向上にもそっくりな反応があった。


「はぁ……」


 僕の力が向上したということは、きっとエリス様に僕の本名が知れたんだろう。僕を心配した御三方の誰かが、【王の血レクステリトリー】の効力を渡すために教えたんだろうな。

 【鷲の眼イーグルアイ】でエリス様の表情を覗こうとして、すぐにやめた。どんな表情をしているかは察しがつくし、それを見たら当分は集中できなくなりそうだ。

 今は何も考えず、ロイド様に勝つことだけに集中しよう。この恥ずかしさも、気難しさも、もやもやとした心の煩わしさも、全部が全部、目の前のロイド様を倒せば解消される。そう信じよう。

 一本で良い。圧倒的な力を上回るのは、針の穴に糸を通すような、刹那の隙に入り込むたった一本の矢。僕の全身全霊、全ての経験を束にして、一矢報いてやるんだ。

 大きく深呼吸した後、僕は【狩人の極意マースチェル】を解いて、倒れた大木の上に立つ。僕の姿を見たロイド様は、涎を垂らして笑みを浮かべた。

 こちらの姿を晒さなければ、危険性は減るけど、相手も警戒心を高める。それでは隙は生み出せない。隙というのは圧倒的な好機にこそ生まれるもの、絶対に成功すると思った瞬間に現れるものだ。僕を目視させ、僕のピンチを餌にして隙を作る。


「フッ。死ぬ覚悟は出来たか?」


「そんな世迷い言は、一度でも僕に攻撃を当ててから言ってください」


「何なんだよ! その態度は!? テメェはもっとウジウジとしてりゃ良いんだよ!」


「貴方の指図を受ける筋合いは、もうありません」


「だったら死ね! 今すぐ殺してやる!」


 強い踏み込みで足元の大木が砕かれると、天高く跳ねたロイド様は、大剣を振りかぶって落ちてくる。縦に落ちてくるだけの剣は、躱すだけなら容易だが、抵抗もなく振り下ろされれば衝撃波が怖い。少しでも力を殺すため、避けるギリギリまで【渾身の一撃パワーショット】を【神速連射ゴッドアロー】で矢継ぎ早に連射する。矢を切り落とす為に早めに振り下ろされた剣に、何度も【渾身の一撃パワーショット】が命中し、ロイド様が剣を叩きつける頃には、10分の1程度に勢いを失っていた。

 目一杯の強風を背中に当て、大きく円を描くように、ロイド様の周りを走りながら矢を放つ。400、500と飛んでくる矢に、ロイド様は大剣を振り回して、全てを叩き折る。


「何度やっても同じことだ!」


 普通の矢の中に混ぜた【爆煙の矢スモッグショット】に、ロイド様は少しだけ煙を払うのが遅れた。


「小賢しい!」


 進路を変えて、一気にロイド様に向かって走る。僅かに遅れた反応を取り返させ無いよう、【二射一対クロスショット】、【神の雷撃ボルトショット】、【神の縄綱ホーネットショット】、【閃光花火テルスアロー】、【天空の矢ホークショット】と、変則的に技を織り交ぜ撹乱しつつ距離を縮める。


「テメェの貧弱な矢じゃ、俺は倒せねぇんだよ! バカが!」


 剣の振りが間に合わなくなると、やはりロイド様は地面を強く殴り強風のバリアを張って難を凌ぐ。その対処法がある限り、どの角度から矢を放っても無意味に思える。でも、それで良い。僕の攻撃をね除けるロイド様は、自分の優勢を意識する。その慢心こそが隙を作る糸口。

 ロイド様の背後に【重力の矢グラビティショット】を置く。ロイド様の強い脚力で踏ん張れば、重力に引き寄せられる事はない。だが、下に落ちた無数の矢の残骸は、そうはいかない。簡単に叩き落としたはずの矢の破片が、重心に向かって飛んで行き、再び凶器としてロイド様に襲いかかる。


「くっ!? ……調子に乗るなぁ!」


 怒りも頂点に達したロイド様が一回転して遠心力に乗せて剣を振ると、一つの輪が波紋のように広がり、重力を生み出していた矢をバキッと折る。

 僕は一切足を止める事なく、斬撃の波紋も、膝をついて滑らせながら、腰を反って避けた。

 様々な技を出して、二度三度と先手を取った。ロイド様の反応が半歩遅れている状況、急激に距離を縮めた今が、僕に許された最初で最後の好機。これをのがせば、次こそ警戒して二度と隙は作ってくれない。

 矢を弦に掛けたところで、ロイド様の斬撃が飛んでくる。

 もはや避ける気も無く突っ走った僕は、右腕を切断された。

 激痛が脳を支配する。

 吹き出す血を見て、ロイド様は勝利を確信してほくそ笑んだ。しかし、その油断こそが僕が欲しかったもの。僕は歯で矢尻を噛み、左腕を精一杯に伸ばして弦を引いた。右腕がなきゃ、もう矢継ぎは出来ない。僕にとって最後の【渾身の一撃パワーショット】を放つと、油断していたロイド様は遅れ気味に、それを剣で弾いた。


「僕は負け犬なんかじゃない! 今それを貴方に証明してやる!」


 刹那に生まれた決定的な遅れ。弓も放り投げて懐に潜り込むと、残った左腕を【風速操作ウェザーシェル】で押す。さらに押す。限界まで押す。

 風を纏いながら強烈な勢いで加速した僕の拳は、ロイド様の顔を歪ませ、吹っ飛ばした。

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