第92話 家名

 神と見紛うほど眩い光を放つ美しい女性が目の前に現れたら、好意や羨望の前に、男女問わず、まずは畏敬の念を抱きたくなるものだろう。憑依状態のエリス様を初めてみるジェームスは、まさにそんな表情で呆然としていた。


「貴方様は、シェイル様のお兄様なのですか?」


「……あ、貴女は?」


「私の名はエリスティーナ・フォン・リングリッドと申します」


 目の前で光を放つ女性の正体が、今は王となったアルテミーナ様の姉と知れると、ジェームスは目を大きく見開いて息をのむ。


「な、なぜ。エリスティーナ様が……」


《忠実な騎士の子。どうか恐れないで下さい》


「だ、誰だ!?」


「精霊様です」


「精霊……?」


「魔王の存在や、呪いの正体を知ったのも、精霊様が私たちに教えて下さった事なのです」


《ティオと申します。どうぞお見知り置きを》


 ジェームスはティオの声を聞くたびに、辺りを見回して警戒し、幻覚魔法でもかけられているのかと、汗を流すその表情は一層の険しさを増した。


《ミリアルディア様が言っている事は、本当のことです。復活を目論む魔王の力は、人間の負の感情を糧とします。魔王が放った呪いは、人から人へと悪意を感染させ、負の感情を助長させていきます。人同士が争い合い、憎しみ合う事こそが魔王の望んでいることなのです》


「アルテミーナ様も呪いにかかって、不必要に争いの火種をばら撒いてる。ジェームス、アンタにも心当たりがあるはずよ」


 ミリィ様がエリス様の横から顔を出して問うと、ことさらジェームスはきまりの悪い顔をする。


「……確かに、今のリングリッドはおかしい……。だが、それとこれとは話は別だ! エリスティーナ様、貴女は国家反逆罪で指名手配されているはず。そんな貴女の言うことを間に受ける訳にはいかない。私は貴女を捕らえ、騎士としての責務を全うする!」


「はぁ〜。頭が硬いのは兄弟そっくりね」


 自身の雑念を払うように首を振ると、ジェームスは距離を取って身構える。キョロキョロと視線も定まらず慌てて出した敵意は、こちらの話を疑い切れていない、決心の無い敵意だった。

 話としては突拍子もない言い訳に聞こえるが、目の前に現実として見える、荘厳なオーラを見るとどうしても半信半疑になって、絶対に許すまいとした決意も揺らいでいるようだった。


「シェイル! こっちに来い! 悪魔か呪いか知らないが、そんなことはどうだっていい。シェイル、お前がそこに居ることだけは許されない!」


「……ジェームス兄さん。私は、エリス様と共に巨悪の根源を討ちます」


「なっ!?」


「私も、最初は疑いました。しかし、私は目の前でアンガル王にかかっていた呪いが解ける瞬間を目にした」


「ア、アンガル王……」


 後ろにいたアンガル王の姿を見ると、ジェームスはまた驚く。騎士団に歯向かった元Sランク冒険者、それに加担した実の弟、指名手配されたエリスティーナ様と、騎士団が捕縛しようと躍起になっていたアンガル王が同時に存在する状況に、混乱するジェームスは自分がまず誰を捕らえ、何をすべきなのかを見失いそうになっていた。


「……分かっているのか、反逆者に加担したら、私たちの家名は地に落ちる! 父上も母上も、路頭に迷うことになるんだぞ!? お前の身勝手で、代々受け継いできた騎士の名誉に泥を塗るつもりか!? シェイル!」


「……私は、友を庇い愛を守る、誇り高き盾の騎士を目指す者。例え祖国を欺こうとも、その信念を変えるつもりはありません。精霊こそが、この混沌を沈める唯一の存在だと言うのなら、私は彼らを守るために盾を使う!」


「……はぁ。……ならば、力尽くでも」


 ジェームスの右手が炎に包まれる。【炎槍射出ファイアスピア】や【業火龍弾ドラゴンファイア】のような魔法を発動させるときの予備動作。僕は直ぐにエリス様の前に出て、木の矢を持って弓を張る。


「まて……」


 シェイル様の声に、僕らは道を開けた。ゆっくりと歩くシェイル様は、兄の前に胸を張って立つ。


「最後の警告だ、シェイル。今すぐ、私と共に国へ帰るぞ」


「私は、国ではなく、友を選びます」


「頑固者が!」


 深いため息を吐いたジェームスは、弟に向け火を放った。蛇のように畝る炎は、シェイル様を包み込んで締め付けるように高く伸びる。


「シェイル様!?」


 心配したエリス様が飛び出しそうになったが、僕は道を塞いでそれを止めた。ミリィ様もレイシア様も、慌てた様子も一切見せずに伺っている。他の人ならいざ知らず、ことシェイル様に限って、この程度の炎で傷を負うことなど有り得ない。兄のジェームスも、それを分かっているから、真っ向から攻撃を仕掛けたのだろう。行動とは裏腹に、不思議と殺意は感じられない。

 魔力が尽きて、燃料を失った炎の蛇は、最後に盛大な爆発を見せて消えた。煙が風に乗って流れ去ると、円形に炭となった草たちの中心に、自分の立つ範囲のみ青々とした緑を保つ、シェイル様の姿が見えた。

 ジェームスの火力も、もちろん上等な魔法使いのものだが、シェイル様の才には敵わない。息を荒くする兄と比べて、弟は盾も使わず平然と立っているだけだった。


「シェイル……」


 撤退の疲労もあったんだろう、力を使い果たしたジェームスはその場に座り込んだ。その顔には、騎士としての誇りや、地位や名誉を抜きにして、弟を説得する力を持たない一人の兄としての悔しさだけが滲んでいた。


「【魔力授受ドレイス】」


 ミリィ様はジェームスの丸くなった背中に手を置き、自身の魔力を分け与えた。勝ち目は無いと知ってなお、覚悟を持って挑んだ兄を、誰も笑おうとは思わなかった。


「アンタが納得できない理由は分かってる」


「ミリアルディア様……」


「私たちは人の負の感情を増やさないように行動する。アンタが思ってるような非道な事は絶対にしないって約束する。だから、お願い。今は何も見なかったことにして、逃げて頂戴」


 僕ら全員が洗脳や催眠を受けて、精霊を名乗る得体の知れないものに操られている可能性も、万が一にはあると思っていたのだろう、僕ら一人一人と目を合わせて、曇りのない視線を確認したジェームスは、張り詰めた緊張を解くように首を下に傾けた。

 立ち上がったジェームスは、最後にシェイル様の顔を見る。揺るがない弟の目に、兄は自分の無力さを悟るかの如く、無言のまま先の道へと走っていった。


「少ししたら、追いかけるわよ」


「……はい」


 寂しげな背中を見せた兄を、僕らは追いかけ、突いて、撤退を誘導させ続けなきゃならない。心を落ち着かせる間ものない、少し冷徹なレイシア様の声に、シェイル様は遅れて返事をした。

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