第86話 善意

「誰かを傷つければ、また憎しみが増える。人に争わせること、それこそが呪いの役割、魔王の目的。ティオ様、貴方様はそれを止めるために、声をかけて下さっていたのですね」


《はい。憎しみを憎しみで返せば、ガストラの思惑通りになってしまう。何としてでも、止める必要がございました》


「……私が、もっと早くに声を聞き届けていれば」


《それは違いますよ、エリスティーナ。貴女は十分に行動して下さいました。多くの人の命を救って下さいました。だからこそ今、私と意識を共有する奇跡を起こしている。他の方なら、更なる時間を必要としたに違いありません。より多くの方を救うため、後悔せず、今は前を向きましょう。貴女なら、きっと成し遂げられます》


 もともとの慈悲深さもあるだろうが、過剰なまでに人の命を重んじるのは、繰り返し聞こてくる精霊の声が、深層心理に働きかけていたせいかも知れない。自分にしか聞こえない声、誰にも相談できない時間もあっただろう。理解されずに、煙たがられる時もあった。それでも精霊の声に従い続けたからこそ、スキルの熟練度も増していった。

 ティオの言う通り、きっとエリス様じゃない他の人だったら、精霊を呼び出すことなんて永遠に出来なかっただろう。そして、いつまでも事情を知らずにいたら、魔王の思惑などまるで感じることもなく、僕らはまた争い続けていたに違いない。


「アルテミーナ様の指示に従ってるだけで、呪われて無い騎士も一杯いるでしょうね」


「つまり、誰もぶっ飛ばしちゃいけない。なるべく傷つけないように、騎士団を押し返せば良い」


「んなこと、出来るわけねぇだろ」


「出来るわよ。私たちなら」


 モーガンの決めつけを、ミリィ様は突っぱねた。御三方は既に覚悟を決めたかのように、強い視線をこちらに向けた。ミリィ様は「ね? ケ・イ・ル?」と嫌味混じりで同調を催促する。その口調は、従わなかったら身分をバラすと言いた気な声だった。


「え、ええ。みなさんが、力を貸してくださるなら……きっと出来ちゃうでしょうね。でも、騎士団を相手に抵抗したら、みなさんの立場が……」


「ふふん。これで、また一緒に旅が出来そうね」


 僕の忠告を遮るようにミリィ様は笑顔でそんなことを言う。そしてレイシア様もシェイル様も微笑んだ。騎士団に歯向かうことは、祖国に歯向かうことと同義。貴族としての地位や名誉は、間違いなく疑われる。そんな事も分からない御三方でもなく、全てのリスクを冗談混じりで笑ってみせたのは、襲う恐怖心を誤魔化すためだったのかも知れない。


「ロイドを倒せば、比較的に楽に撤退させられそうだしね」


「……はい?」


 自分の立場を危うくしてでも、協力しようとしてくれる御三方に、感謝の気持ちで一杯になると、思いがけない名前が飛び出した。


「な、なぜ、そこでロイド様の名前が?」


「言ってなかったわね。ここに来てる騎士団を指揮してんのは、ロイドなのよ」


「はえ!?」


「テルストロイから逃げたアンガル王を追うために、此処に騎士団を差し向けたの。自分はマディスカルに残ってね」


 騎士団がテルストロイを制圧したと言う話は聞いたが、それを指揮したのがロイド様とは聞いていない。僕は慌てて「アンガルさん、知っていたんですか?」と問うとアンガル王は「ふごく若い、力の強い者だったが、名前まではらない」と答えた。


「な、なんでロイド様が、騎士団に?」


「さぁね。私たちへの当て付けじゃない?」


「あ、当て付け?」


「これも言いそびれてたけど、神童の集いは降格処分受けてAランクになったのよ。それを機に、私もミリィもシェイルも脱退しちゃったの」


「だ……」


「一人残されて、やけになったんじゃない? これみよがしに軍功を自慢してきたわよ」


 なぜ降格になったのか、なぜ脱退したのか、僕が居なくなってから何があったというのか、呆気に取られて訳が分からない。それじゃあ事実上、神童の集いはもう存在しないってこと? 魔王の存在と同じくらいに驚愕の真実なのだが、それを共有できる人は、ここには一人もいなかった。


「そんな……ロイド様が……」


 エリス様からすると、自分を牢獄から出してくれた恩人が、敵として立ちはだかってしまった感じなんだろう。驚愕する人は、僕以外にもいたが、その驚愕は僕とは全く意味が違った。


「おい、それで何をするつもりなんだ? 俺たちと一緒に戦うつもりなのか?」


「いや、アンタたちは多分邪魔だから引っ込んでなさい」


「あぁ? んだと、この野郎!?」


「申し訳ないけど、ミリィの言う通り、議論の余地はないわ。動くのは、私とミリィとシェイル……それとケイルだけ」


「ケッ! 誰がでめぇの指図なんか受けるか、俺たちは必ず出る!」


「……まぁ勝手にして良いけど、アンタたちの出る幕なんて、1秒だってないわよ」


 凄むモーガンも意に介さず、毅然とした態度をとるミリィ様とレイシア様。ロイド様にも向けられた強気な姿勢を見ると、神童の集いの事務室を思い出す。


「ケイルの仲間ということは、お前たちも相当な手練れなんだろう。お手並み拝見といこう」


「殊勝な心がけね」


「必要ならこの部屋を使って構わない」


「ありがとう。感謝するわ」


 ワモンの冷静な言葉で、会議は終わる。アメルダは部屋を出る直前に首を傾げて「で、誰をぶっ飛ばせば良いんだ?」と言うと、モーガンに「バカはじっとしてろ」とあしらわれて怒っていた。

 当面の目標は、アルテミーナ様に掛かっているといわれる呪いを浄化すること。呪いの司令塔を抑え込めれば、少しは落ち着くことも出来るはずだ。そして、争いを誘発するのが根源の思惑なら、道中では、誰の被害も最小限にとどめることに専念する。口で言うのは簡単だが、これもまた遠い目標だ。でも、不思議と御三方が居れば、微塵も不可能とは思えない。少なくとも、眼前にいる騎士団なら容易に押し返せる気がする。

 与えられた頭領の部屋で、女性が床に寝て、男性は壁を背もたれにして座る。決行は明日。騎士団たちも精彩を欠いた今日の鬱憤を晴らすため、明日は本気でぶつかってくるだろう。魔力を回復させ、英気を養うなら睡眠が一番。しかし、どんなに過酷な環境でも眠れる訓練を積んできたつもりでも、今日この日に限っては色々な事が起き過ぎて、なかなか寝付く事ができなかった。

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