第75話 友を訪ねて ※

 私の名はシェイル・エルバーン。

 友を庇い友情を守る、誇り高き盾の騎士を目指すものだ。

 

 テルストロイ共鳴国の首都マディスカルから、北へ進むこと7日間。ひたすら歩き続けたが、まだ目的地は見えない。太陽の光は高く広がる枝に遮られ、遠くは霧で少し霞がかっている。右を見ても左を見ても似たような景色ばかりで、本当に自分たちが前へ進んでいるのか心配になってくる。


「ちょっと、レイシア。こっちの方向で、本当にあってるわけ?」


「星を見れば方角は分かるわよ。ただ……」


「ただ?」


「クロフテリアが本当に北に有るのかは分からないわ」


「はぁ!? 確証も無いのに歩いてんの?」


「そもそもクロフテリアなんて国は無いし、地図にだって載ってないんだから、しょうがないでしょ。あんまり文句言うと、回復させてあげないわよ」


「ああ! ごめん、ごめん! それだけは勘弁してぇ!」


 魔物にいつ襲われても良いよう、不測の事態に備え、私たちは魔力を使うことを極力避けて移動し続けている。魔力で筋力を補うこともしていない。

 装備一式に軽量化の付与が施されているとはいえ、巨大な木の根が道を隆起させている樹海の中を丸一日歩き続けていたら、さすがに疲れてくる。

 疲労を蓄積させて、いざというとき本領を発揮出来なかったら本末転倒。1日の終わりに、レイシア様が【細胞回復アルカナフィール】で疲労をリセットすることは、神童の集いに在籍していた頃から、魔力節約の許容範囲としていた。


 先頭を歩くミリィ様が足を止めると、私もレイシア様も止まり、辺りを警戒する。

 衣擦れの音も、風を切る音も無くなり、樹海に響く自然音に耳が研ぎ澄まされていくと、小さく隠れていた漣のような音が聞こえてきた。

 海が近くにあるのかもしれない。レイシア様の方向感覚を信じるなら、大陸の最北端まで来てしまったことになる。マディスカルから北上すれば、クロフテリアがあると聞いていたのに、もしかして何処かで通り過ぎてしまったのか。


「なにかしら?」


「魔物の呻き声にも聞こえるけど……」


 こんな時にアミルが居てくれたら、こちらが疑問を抱くずっと前に探知してくれていただろうな。未知の空間に足を踏み入れる恐怖を久々に感じる。


「わわわ!? な、なに!?」


「ミリィ様!」


 霧から点々と何かが現れる。正体が何か目を凝らすと、小さな魔物たちが大挙して此方に押し寄せて来ているのが分かった。私は咄嗟にミリィ様の前に立ち、【不変の領域ゴールデンサークル】を展開させたが、その魔物たちは私たちを見向きもせずに、素通りして行ってしまった。


「な、なんなのよ……もう……」


「ミリィ様、ここからは私が先頭で歩きます」


「……ええ、そうね」


 魔物たちは何かから逃げているような足取りだった。霧の向こうで何が音を立てているのか、さらに不安になってくる。アミルが居ない今、不審があるなら自分の足で近づいて確認するしかない。いつ何が飛び出してきても対処できるよう、先頭を歩いて盾役に徹する。

 前に進めば進むほど音は大きくなり、全身を震わせる空気の振動が、体の筋肉を強張らせる。確実に海の音なんかじゃない。


「ちょっとこれ、人の声じゃないの?」


 広範囲に長い時間ずっと聞こえ続ける音を、まさか人の声とは思わず、ミリィ様の指摘で、滝壺のような音の中から人の叫び声のような音が、飛び出してきているのに気づいた。


「亡霊の怨念とかかもね」


 一番後ろを歩くレイシア様がそんな事を言うものだから、ミリィ様も顔を青くして振り向いた。怨恨を残したまま息絶え、遺体が供養されず魔素に晒され、人の形を保ったまま魔物と化した人間は、魂が腐り果てるまでこの世を彷徨い続ける事になる。

 聖職者が持つ特別な浄化スキルが無ければ、何度倒しても魂がまた別の憑代を見つけて復活し続ける。アンデット系の魔物はそれだけで怖い存在だが、スケルトンやリビングデッドの類なら、ちゃんと物理攻撃が効くし、その場を凌ぐことは容易い。

 「亡霊」と聞いて嫌なことを連想するのは、それがレイスやファントムといった思念系の魔物だった時には、こちらの物理的な攻撃が何一つ通用しないから。

 私の【不変の領域ゴールデンサークル】でも、怨念までは防ぐ方法が見つかっていない。彼らの攻撃は命を奪わない。呪いのように重くのしかかり、吐き気や目眩、頭痛を引き起こし、際限のない鬱の世界に引き摺り込み、相手が抵抗する力も出せなくなると、最後には自分で自分の命を絶たせようとしてくるのだ。

 眼前から聞こえてくる無数の声が、全て亡霊かも知れないと思うと恐怖しか湧いてこない。


「レイシア、あんたアンデッドに効く浄化魔法って……」


「あれは他の才能がないと習得できないから、諦めちゃったわ」


「なに諦めてんのよ! もっと頑張りなさいよ! バカ!」


「【聖練短剣クリフナイフ】とか【聖域関門クレイウィルウォール】とかって、ちゃんと雑念を払う訓練を積んだ人じゃ無いと使えないのよね。残念だけど、私は知識欲が捨てられないから、習得は諦めたわ」


「はぁ……淡々として……。アンタ怖くないの?」


「まだアンデッドとは決まってないわ。オークの群れとかかも知れないし。もう少し進んでみましょう」


「じゃあ「怨念」とか、余計なこと言わないでよ! 責任とって、手を繋ぎなさい! 手を!」


 レイシア様は呆れた顔でミリィ様と手を繋ぎ、ゆっくりと歩き始めた。なにかトラウマや苦手意識があるのか、ミリィ様はこの手の話は特に毛嫌いする御方だ。野営中に周りから聞こえてくる物音が多いと、アミルがいくら安全確認をしてもミリィ様は寝付けず、いつも悪態を吐きながら、しれっとレイシア様にくっついて寝るのが常だった。

 その二人の姿は本物の姉妹のようで、目上に立つはずのミリィ様が、日頃の勝ち気な性格も権威も形なしに、小さな子供にしか見えなくなる。

 恐怖で硬直した今のミリィ様では、まともに戦うことは出来ないだろう。浮遊する何かが見えた時は、迎撃も身構えることせず、直ぐに逃げた方が良さそうだ。


「いい加減に慣れなさいよ。私たち、もう17でしょ?」


「う、うるさいわね! べ、別に怖くて繋いでる訳じゃ無いわ! アンタとの友情を育むために、仕方なく繋いであげてるんだから、光栄に思いなさい!」


「友情ねぇ」


「なによ!?」


「別にぃ」


 遠くから爆発の残響音のようなものが聞こえて、私は再び【不変の領域ゴールデンサークル】を展開させた。

 爆発、ということは魔法か何かだろうか。

 物理的な世界への干渉が無ければ、魔法は発動しない。思念系の魔物が魔法を使うことはあり得ないことだった。オークの群れか、オーガの群れかとも思ったが、どちらも魔法を使うような話は聞いたことがない。魔法を使うアンデッドならネクロマンサーか何かだろうか。

 

 いよいよ音の正体が分からない。

 今だに大きくなり続ける音は、パレードなどで湧く歓声にも似た、無数の人の声に変わっていった。こんな樹海のど真ん中で祭りでも行われているのかと、不思議さが増すばかり。

 木々の隙間から、強い太陽の光が見える。ずっと遠くの景色を遮っていた霧は、そこで終わっている。私たちは夜に飛ぶ蛾のように、久しぶりの直射日光に引き寄せられていった。


「な、なんだ、これは……」


 樹海を抜けた先に見えたのは、数万は居る人の群れが、押し合い圧し合い地面を埋め尽くし、大量の土埃が空を舞っている光景だった。

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