第72話 頭領
戦場から離れ、それぞれが悶々とした気持ちのまま一夜を明かした。それは皆に事情を説明する、戦況を説明すべきリーダーが体力を使い果たして意識を失っていたから。
翌日の日が出る少し前、日中には無い涼しい風が吹く頃、門前の広場には膝を地面につけて
「すまん! すまん! すまん! すまん!」
「だから、もういいって! 頭領、頭を上げてくれよ!」
「謝ったってしょうがねぇだろ。過ぎちまったもんは」
冷静さを取り戻したアメルダは、ずっと謝り続けていた。本人いわく、暴走した直後の記憶は曖昧らしく、声や音は覚えてないが、力の無く横たわるモーガンの姿や、血を吹くバーベル、炎の中で羽ばたく翼といった景色だけは、辛うじて覚えているみたいだった。暴走もここまで来ると、野獣化というより
事情は、【
「あいつら、めちゃめちゃ強かったな」
「ああ……強かった。テルストロイの奴らとは、まるで違う」
「我が
「あ? やんのか?」
「……いえ、やりまへん」
少し高圧的な態度を取られただけで、アンガル王は小さくなった。
確かにアメルダの暴走のせいで、作戦は精彩を欠いた。それでも被害を受けた当の狩猟班たちが必要以上に責めないのは、騎士団たちの洗練された対応を目の当たりにしたから。アメルダの暴走が無かったら勝てたのかと言われれば、そうと言い切れるほど自信が持てなかったからだ。
「俺、頭領、向いてない……」
「何を今さら」
「やっと気づいたのか」
「他の奴に、頭領、譲る……」
「逃げんのか?」
「違う! そうじゃない! 俺じゃ……俺じゃ、ちゃんと指示出せないから……」
「……チッ。ああ、分かったよ、俺が悪かった。だから泣いてんじゃねぇよ、バカ!」
モーガンはボロボロと涙を流すアメルダの髪をクシャクシャと撫でた。
仲間のためなら躊躇なく拳を握るアメルダの勇姿に、住人たちは信頼を寄せている。モーガンから聞いた話では、魔物だけを相手にしている時は、ここまで暴走することも無かったらしい。
ここには人によって迫害を受け、流れ着いた者が多くいる。そんなクロフテリアの長だからこそ、敵と認識した人間相手には容赦なく牙を剥いて、必要以上に興奮し易くなるのかも知れない。
アメルダがクロフテリアを想う気持ちは本物だが、凶暴化し易い血が人の上に立つ素質を崩していた。
「あまりお気を落とさず、今はゆっくり休んでいて下さい。アメルダ」
「うぐぅ……エーリースゥゥゥ! ありがどう、エリス! お前がいながっだら大変なごどになっでだぁああ!」
アメルダはエリス様の胸に飛び込み号泣した。気づけばその姿は、僕と同い年の女の子。エリス様は微笑み、アメルダの頭を優しく撫でていた。
「じゃあ、新しい頭領は誰にする?」
住人の疑問に、ワモンとモーガンが見合わせる。アメルダに自分の次に強いと言わしめたモーガンは、狩猟班での活躍を見ても、その実力は確かなものだ。ワモンも武術指南をしているクエスト班リーダーであることから、それなりに強いのだろうし、何よりも冷静な判断力を持っているのは、人の上に立つ者にとって重要な要素だ。
どちらが頭領になっても不満を言う人は少ない。
「誰も立候補ひないのなら、この
「テメェは黙ってろクソ豚野郎。ノミに与える程度の慈悲で生かしてやってる事を忘れんな」
厚かましくもアンガルが堂々と手を上げて来たが、モーガンに威圧されると「ハイ」と言って素直に引き下がった。
「ワモン、テメェがやれ」
「……良いだろう。次の頭領は俺がなる。ただし、この問題が解決したら、アメルダに返す」
「……ふっ。勝手にしろ」
モーガンはあっさりと譲り、ワモンは簡単に引き受けた。モーガンは気性の荒い部分がある。ワモンに譲ったのは、自分ではアメルダの二の舞になる可能性を考慮したからだろう。ワモンが頭領になったことに対し、文句を言う住人は一人もいなかった。
「で、ワモン。これからどうする?」
「樹海を占領されると、食料を確保できない。騎士団が向かってくるなら、意地でも押し返す必要がある。ケイル、騎士団が使ったという魔法の壁は、打ち砕けるか?」
単刀直入に鋭い質問をされ、僕は困って思わずエリス様の方を見てしまった。批判されると分かっていても、嘘をつくわけにはいかなかった。
「打ち砕くことは、出来ると思います」
「「おお!」」
「すげぇな。さすがはケイルだ」
「でも、あの障壁を無理に崩そうとすると、確実に死人が出ます……僕は、他の方法で騎士団たちを追い返せないか……考えたいです」
「他の方法って……例えば何だよ?」
「それは……分かりません……」
一度歓喜した住民の声は、ため息に変わる。「お人好しめ」、「そんなこと言ってる場合かよ」という声も聞こえてくる。それは正論だし、否定する言葉は無い。
「……分かった。ケイルの矢は最後の手段だ。それでいいな?」
「……はい」
ワモンは僕の気持ちを汲んでくれた。
僕が殺して回れば、仲間を全員守れる。そう思うと、それをしていない自分に罪悪感が芽生えてくる。騎士を殺すのは、怖い。想像も出来ない。自分が情けなく感じる。でも、人を殺さない事に誇りを持ってる自分も少なからずいて、気持ちが混乱する。
「……誰か来ます」
「……誰だ?」
「樹海の方から騎士が2人、此方に向かって歩いてきます」
眩しい朝日に照らされ、額に手を当てて干魃地帯を歩いてくる人影が【
僕が告げると、男たちは一斉に鉄の壁をよじ登り、樹海の方に目をやった。
「どうする? ワモン」
「ケイル、2人だけなのか?」
「はい」
「……対話を望んでいるのかも知れない。門を開けろ。俺が出る」
「正気か!?」
「今さら、何もビビることは無い。門を開けろ」
頭領となったワモンの命令に、従わない訳にはいかない。2人の騎士が干魃地帯の中間に来た頃、重い鉄の門が土埃をあげて、押し開けられる。
「まて、俺も行く」
「……口を閉じて、黙っていられるか?」
「テメェ……。ああ、分かった。黙っててやる」
モーガンは護衛役を買って出た。
たった2人で騎士の元へ歩く新たな頭領に、住人は困惑した表情を隠さなかったが、ワモンが話し合いに来ていると判断したことも、それに応じたことも、冷静な対応だったように思える。
遠くで騎士とワモンが対面し、言葉を交わす。声は聞こえないが、口の動きからして殺伐とした空気は無い。
「エリス様、アンガルさん。少しの間、身を隠しましょう」
「え?」
「騎士が此方にきます。気づかれると厄介です」
ワモンはしばらくしてローデンスクールへ戻ってきた。口論もなく安心していたが、予想外だったのは、2人の騎士を引き連れて帰って来ている事だった。
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