第71話 潰走

 人の流れに逆らって、樹海の深部に向かう。焦げた臭いが、戦場の位置を分かりやすく伝えてる。腕の中で強風に耐えるエリス様は、僕の服を強く掴んで、視線を前に向け続けていた。


「頭領!」


「モーガン!」

 

 燃え盛る炎を前に、エリス様を下ろす。オレンジ色の空に、真っ黒な煙が立ち上っていた。炎が逆光となって複数の男たちが、立ち尽くしていた。顔が見えなくても、大きな影を見ればバーベル以外にあり得ないと分かる。


「バーベル様! 早く撤退を!」


「中に、まだ、頭領、いる!」


 負傷した者は退避が間に合わず、炎に退路を断たれてしまっていた。【鷹の眼イーグルアイ】で視点を変えると、炎の向こうに100人ほど倒れてるのが見える。火が間近に押し迫っても、殆どが意識もなく動かない。地獄の中で這い上がる狼のように、アメルダだけが、体を震わせながら起き上がろうとしていた。モーガンはうつ伏せのまま倒れているが、朦朧とする意識の中で、アメルダを止めようと口を小さく動かしている。その口は「逃げろ」と言っているように見えた。

 僕はすぐさま、10本の矢を放ち、【風速操作ウェザーシェル】で熱を吹き飛ばす。

 炎の扉が開くと、反射的に騎士団の防御陣形から【炎槍射出ファイアスピア】が飛んでくる。7本の矢で【渾身の一撃パワーショット】を放ち、それらを撃ち落とした。間近で見ると、亀の甲羅のように美しく銀色に輝く騎士団の陣形に迫力を感じる。防御のみならず、相手を錯乱させるため、【大刀の威圧エルバイアス】に似た威圧作用が発動しているのかも知れない。


「エリス様!?」


 燻る道を突っ切って、倒れた仲間を助けに行く男たち。その先頭を走っていたのはエリス様だった。

 3本の矢で【爆煙の矢スモッグショット】放ち、騎士団の視界を奪う。矢筒にある矢は残り7本。何があるか分からないこの状況じゃ、心許ない本数だ。攻撃を撃ち落とすより、【爆煙の矢スモッグショット】で視界を奪い続けた方が、効率がいい。


「【精霊の祈り(アテナス)】!」


 戦場の真ん中で両手を広げると、エリス様は回復魔法を唱える。温かい光が包み込み、倒れていた人たちの傷がみるみる癒されていく。

 体が動くようになった瞬間、アメルダは地面を抉り飛ばしながら、騎士団に向かって走る。しかし、真正面に立ちはだかったバーベルは全身でその突進を受け止めた。

 痛みに耐えるバーベルは、大きな両手でアメルダを握り、拘束した。


「大丈夫か!?」


「これくらい、大したことない」


「【精霊の祈りアテナス】」


 辛うじて意識があったモーガンは、体の自由を取り戻すと、すぐに立ち上がってバーベルを気遣った。強がるバーベルだが、口から血を流して明らかに重症だった。アメルダの本気の突進を生身の腹で受け止めたのだ、常人なら即死している。

 エリス様は大きな緑の体に触れると、回復魔法を唱えてバーベルの傷を癒した。


「ありがとう」


「いえ」


「よし! さっさと逃げるぞ!」


 傷は癒えたが、まだ意識を取り戻さない仲間を、助けに入ったみんなが担いで運んでいく。僕は一定の間隔をあけて【爆煙の矢スモッグショット】を放ち続けたが、みんなが大木の裏に身を隠そうとした頃、最後に放った【爆煙の矢スモッグショット】の煙が薄くなる。

 煙の隙間から見えた、一瞬の人影を魔法使いは見逃さなかった。狙い澄ました【炎槍射出ファイアスピア】が最後を走るバーベルの背中めがけて飛んでいく。


「バーベルさん!?」


 高速で動く炎の槍。それでも矢より数倍遅く、僕の目にはゆっくりに見えた。いくら矢筒に手を伸ばしても、もう矢はない。成す術もなく、仲間に火が降り注ぐ光景を見ているのは、絶望でしかなかった。

 その時、強い光がバーベルの盾となって炎の槍を受け止めた。火の粉が舞うなかに、白い羽が雪のようにヒラヒラと落ちてくる。騎士団の攻撃が止まる。僕らも驚いて息を飲んだ。

 バーベルの背後に立つエリス様は、半身から光を纏う純白の翼を生やし、それを盾代わりに騎士団の方へと向けていた。


「え……?」


 翼の中で硬直するエリス様は、両腕を顔の前に構えて強く目を瞑っていて、何が起きたのか分からない、といった様子で自分の身の丈よりも大きな翼に、目を丸くしていた。


「……お、おい、何してる!? 行くぞ!」


 翼は光の粒になって消えていったが、呆気にとられた僕らは、しばらくしても足を止めていて、モーガンの声でようやく走り出した。


「エリス様」


「え、わっ!?」


「すみません、矢が無いので先に行きます! 向こうから援護するので、皆さんも急いで逃げてください!」


「ああ、わかった!」


 矢が無い状況では援護もできない。僕はエリス様を抱えて【風速操作ウェザーシェル】で風を巻き起こし、一足先に走り抜けた。


「エリス様、さっきのは一体……?」


「……バーベル様に攻撃が当たりそうになった時、時間がゆっくりになって……それで……声が聞こえました」


「声……なんと言っていましたか?」


「助けたいか……と。助けたいのなら、私の声を信じなさいと。私は何も考えずに、その声に耳を傾けました。そしたら、強く体が引っ張られて。気づいたら……」


「今は、声は聞こえますか?」


「今は……聞こえません」


 自分から突然翼が生えたら、それは誰だって混乱する。説明だって、しようがない。腕の中で思い返すエリス様は、不安そうな顔をしていた。得体の知れない何かが、エリス様に接触しているのは明らかだ。白い光からは邪悪なものは感じないし、バーベルを助けてくれた事を考えると、悪い存在ではないのだろうけど、正体が分からないと此方もどう反応して良いか分からない。


「エリス様、申し訳ございませんが、先にローデンスクールまで退避していて下さい」


「ケイルは?」


「僕はバーベルさんたちを援護しながら戻ります。皆さんと逸れないように走れば安全です」


「……分かりました。きっとお戻り下さいね」


「はい」


 僕は最初に医療班と共に待機していた場所に辿り着き、エリス様を下ろした。僕は置いておいた鉄の矢を矢筒の中に補充して、まだ撤退し続ける人たちの流れを見ると、エリス様に先に逃げるようお願いした。

 互いに心配し合ってる状態だったが、今の自分に出来ることがあまり無いと悟ったエリス様は、何度も振り返りながら、先にローデンスクールへと避難していった。

 【鷲の目イーグルアイ】で見る限り、騎士団は追撃してくる様子は無いし、バーベルの両手の中でぐったりするアメルダも、ようやく興奮が冷めてきているようで、決断を求められるような急場は凌いだように思える。


「他の奴らは?」


「隈なく探しましたが、見つかりません。全員避難できてると思います」


「そうか、じゃあ、テメェももう避難しろ」


「はい」


 最後尾を走っていたモーガンが来るまでの間、【鷲の眼イーグルアイ】で逃げ遅れた人はいないか探索した。

 モーガンが走り抜けると僕も退避を開始して、一番最後に樹海を出た。夕焼け色に染まる干魃地帯は、敗走する者たちを、より一層物悲しく見せていた。

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