第70話 散逸

 翌日の夕刻前。日が地平線に近づいてきた頃。

 騎士団たちは、1キロの距離にまで近づいてきていた。魔力を温存するために自力で歩いているせいだろう、顔に見える疲労は色は濃い。目的地まで魔力を極力使わないようにするのは、冒険者のセオリーと同じだ。

 アメルダの号令を待つ間、クロフテリアの男たちは大木に身を隠して、虎視眈々と隙を窺っている。疲労困憊といった感じの騎士団は、間近に潜む猛威に気づかない。

 前衛で身を伏せるのは、モーガン率いる狩猟班。樹海の木々を知り尽くした男たちは、流石の身のこなしで、全く気づかれることなく騎士団たちを半分包囲してしまっている。

 少し離れた場所でダンション班、改め救護班が待機している。モーガンから「デカ物は1ミリも動くな」と言われているからか、バーベルは巨体を小さくして微動だにしてない。


「どうですか? ケイル」


「見事なものです。騎士団たちを包囲して、未だ気づかれていない様子です」


「そうですか……」


 エリス様と僕は医療班と行動を共にし、後方で負傷者が搬送されてくるのを待つ。戦況は【鷲の眼イーグルアイ】で見たものを僕が伝える。

 側に置いた鉄の矢80本は、製鉄班から直送された出来立ての矢。モーガンには釘を刺されたけど、戦いが始まったら、なるべく早く指揮官を見つけて気絶させる。それで撤退してくれることを祈るしかない。

 隠密に長けた狩猟班が前衛に約2万人。途中から増援に向かう、ワモン率いるクエスト班が約2万人。バーベルの救護班、エリス様と共にいる医療班が合わせて約5千。クロフテリアが約4万5千、騎士団が約5千と数的にも、体力的にも、地理的にも圧倒的な優位さを持った戦場が出来上がった。

 

 あとはアメルダの合図を待つばかりなのだが、その光景に不穏を感じる。長時間の潜伏態勢の中で我慢を強いられた鬱憤が昂まり、今はもう獣の耳が立っている。

 周りの人たちが心配そうに近くで声をかけているようだが、アメルダの獣の視線は、寛ぐ騎士一点だけを見つめて微動だにしない。アメルダの周りが、このままでは合図が出せないと慌ただしくなる。


「エリス様、少し問題が。アメルダが興奮し過ぎて指示を出せずにいるようです。……あ」


「どうしました?」


 アメルダは指示も出さず、騎士団のど真ん中に走り込んだ。一人の騎士が驚く時間も与えられずに、炎の拳に吹っ飛ばされる。

 しかし、混乱などは微塵も起こらず、うたた寝していた騎士も直ぐさま剣を引き抜き、臨戦態勢をとる。幾多の遠征の中で培った、魔物の強襲への対応が体に染み付いているようだった。


 アメルダが先走ったせいで、身を潜めていた狩猟班全員の存在がバレる。騎士団の魔法使いは、大木の裏に隠れている怪しい人影に【炎槍射出ファイアスピア】を放ち始めた。

 攻め入るはずだった道が炎の壁に塞がれる。一人で突っ込んだアメルダは孤立してしまっているが、そんなことは意にも介さず、牙を剥き出しにした野獣は、騎士に殴り掛かることしか考えていない。

 騎士は一辺倒なアメルダの攻めを上手く受け流している。流石の騎士の身体能力とも思うが、恐らくは一つ一つ特注で作られた鎧には、身体能力向上の付与魔法が施されているように思えた。

 頭領を救い出そうと、モーガンを筆頭に一人、また一人と酷い火傷を負いながら炎の壁を突っ切って、戦いに挑む狩猟班の男たち。しかし、その人数はまばらで中途半端。せっかく準備してきた奇襲作戦は、完全に失敗している。


「ケイル?」


 心配するエリス様に応対する余裕も無く、僕は空に向け【天空の矢ホークショット】を2秒で16本放ち、【風速操作ウェザーシェル】で乱気流を付与する。

 炎の壁に潜った矢は、地面に突き刺さると辺りに突風を巻き起こし、火を吹き飛ばした。

 進路が開けた狩猟班が遠慮なく攻め入ると、救護班も付いて走り、火傷を負った負傷者たちを運ぼうとする。バーベルは巨体で持って無理やり二、三人を担いで戻ってきたり、意識の無い人はそのまま運ばれてくるが、まだ戦意のある人たちは搬送される事を拒否し、肌に水膨れを作りながら、剣を持って再び騎士団へ突っ込んでいった。


「100人ほど運ばれて来ます」


「分かりました」


 医療班は手筈通りに救護班から負傷者を受け取ると、エリス様の側に置く。エリス様はただれた肌に戦場の悲惨さを感じながら、【聖霊の祈りアテナス】で一人一人の傷を治癒していった。


 一人の騎士の号令で、騎士団は少し後退しながら密集隊形を取る。銀の盾が整然と並び、隙間から切先を伸ばす。攻めかかった狩猟班は、騎士団が見せる美しい防御陣形に狼狽えていた。中途半端な奇襲だったとはいえ、これだけ狂騒としている中で見事な統率を披露されると、「場数が違う」と素人でも一目瞭然で、士気が揺らぐ。


 とりあえず、密集隊形の号令も出し、今も防御陣形の中心にいる騎士を、指揮官と見定めて、それを狙おう。指揮官が倒れたくらいで取り乱す騎士団とも思えないが、少しでも相手の思考を乱せればそれで良い。


 木々をかわすよう、空に【神の雷撃ボルトショット】放つ。いつもの要領。感電によって気絶させることができる。そう思っていた。


(え……)


 【神の雷撃ボルトショット】は見えない壁に阻まれて折れてしまった。早々に態勢を立て直した騎士団は、魔王使いが連携して発動する防御魔法によって、半透明な壁を幾重にも出現させていた。【天空の矢ホークショット】で障壁を壊そうとしたが、それも弾かれてしまった。もっと力を込めて放てば、射ち砕けるかもしれないが、その場合、結界の中にいる人たちは確実に死ぬ。


 騎士団の対応力を侮っていた。こんなことなら障壁を作られる前に、非道でも、無差別に気絶させた方が、被害が少なくて済んだかもしれない。結果論だと分かっていても、焦りが後悔を生む。一度、後手を踏めば事態は際限なく遅れを取っていく。完璧な構えを見せる騎士団に、僕の思考も止まってしまった。


「ケイル……」


 エリス様の声に我に返る。

 アメルダは炎の拳で殴りつけるが、練度の高い連携魔法は、生半可な力じゃ打ち砕けない。しかし、向こう側からは【炎槍射出ファイアスピア】が飛んで来る。一方的な展開になりつつあった。


「完全に後手を踏んでしまいました。形勢は……多分もう、こちらの方が悪いです。全力で矢を放てば、対処できるかもしれませんが、その場合、騎士たちの命は保証できません。どういたしますか?」


 エリス様は困り果てる。クロフテリアの仲間を守る為に、祖国の兵士を殺すのか。それは容易に出来る決断ではなかった。


「撤退の合図を……。アメルダが正気でないなら、増援を差し向けても焼け石に水でしょう。撤退の合図を出すように、伝えて下さい! 負傷した方を絶対に見捨てないように!」


 エリス様の口から、「殺せ」という命令は出なかった。戸惑いを隠さずに言う「撤退」は、自分の優柔不断さを噛み締めているようだった。

 エリス様の指示のもと、樹海の中に数カ所置いた大きな鉄鍋が3拍子で繰り返し叩かれる。

 戦いの喧騒を聞きながら、今か今かと待っていたワモン率いる増援部隊は、聞こえてくる徹底の合図がなにかの手違いなのではと一瞬疑っていた。しかし、ワモンは冷静に一呼吸置いて周りの人たちに撤退を促し始める。


 撤退の合図が鳴り響く中でも、アメルダは魔法障壁を殴り続けている。モーガンが、決死の覚悟で止めにかかるが、暴れ狂うアメルダを一人で抑え込むことはできず、逃げる足が遅くなる。騎士団の【炎槍射撃ファイアスピア】は負傷者を運ぼうとした者たちを襲う。そして、モーガンとアメルダも、その炎に巻き込まれた。


「ケイル、皆様はちゃんとこちらに戻ってきていますか?」


「……いえ、数百人の方は、その……身動きが取れなくなっているようで……」


 エリス様は少しの動揺も見せないまま、覚悟を宿した目で僕を見る。


「ケイル。私を前線へ運んでください」


「な、何をするつもりですか?」


「皆様を、助けに行きます」


「……どれほど危険な事か、分かっていますか?」


 無言のエリス様の目は、少しも動かなかった。これを断れば、僕は失望される。それがすぐに分かる目だった。


「マルク様!」


「はい」


「治療した方々を、ローデンスクールまで運んでください。よろしくお願いします」


「せ、聖女様!?」


 僕はエリス様を抱え、【風速操作ウェザーシェル】で前線に跳んだ。

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