第69話 準備

「お嬢様、私は今でも気が進みません」


「こうなれば、仕方がありません。私は私にできる事を、やらなければならないのです。セバス、アンガル様の事をよろしくお願いしますね」


「……畏まりました。くれぐれも、無茶なことはしないでください。ケイル、もはやお前の力は疑うまい。お嬢様の事をくれぐれも頼んだぞ」


「はい」


 鉄の山から、騒々しく人が川の流れのように樹海に向けて歩いていく。一度氾濫した川は、雨が止むまで勢いが落ちる事はない。セバスをローデンスクールに置いて、僕とエリス様は、流れに身を任せることにした。

 クロフテリアには待っているという概念も、籠城戦という概念もなく、戦うと決めたら念頭にあるのは、ただひたすらに敵前に突っ込むことだけだった。

 クエスト班やダンジョン班は、使えそうな武器を一通り樹海に運び出す。樹海は見たこともないくらいの人で溢れかえって、弱い魔物たちは威嚇もせずに、そそくさと逃げ出していった。

 調理班は数え切れない程の鍋を持ち出し、狩猟班が仕留め止めた魔物を解体しては、樹海の中で炊き出しを始める。

 戦闘に参加する人の大半はクエスト班と狩猟班。その人数は、合わせて大体4万人はいる。慌てふためきながら、それらの食事を用意する調理班は、汗だくになって、すでに死闘を繰り広げていた。


「おい、ババァ!」


「なんだい!?」


「今日のは、いつもよりウメェぞ!」


「……フッ! たんとおあがりよ!」


 モーガンがメリダの食事を褒めているところを初めて見た。急な準備で仕上げた料理は、正直に言って味も見た目も、いつもより素朴で、魔物の臭みが抜け切っていない感じがある。モーガンの褒め言葉は、料理の味に対してではなく、急な作業で疲れている調理班への労いだった。

 

 戦いの準備を済ませ、完全に日が落ちた樹海は、無数の焚き火が蛍のようで、暗闇に立つ木々を淡く照らしている。

 主要者たちが焚き火を囲むから、気になった人たちも注目する。呼び出したのは、エリス様だ。

 皆が戦いの準備で、武器を整頓している間、エリス様が真っ先に会いに行ったのは、医療班を取り仕切るマルクだった。

 アメルダに医療班をくれと言った時は驚いたが、エリス様は一切冗談も混じえず、こればかりは譲らないと言った形相で詰め寄り、本当に治療班の権限を手に入れてしまった。

 その時、エリス様の周りに漂う空気が変わったような気がした。【天候測量フィールサーチ】は不測な風を感知していないが、それでも何かのオーラのようなものが、エリス様に吸い寄せられていく気配が感じられた。

 少しの混乱が見られたエリス様だったが、その後、医療班に指示する姿勢は、以前にもまして凛々しく、つい先日まで重度の枯渇症だったことが嘘のように、活力に満ちていた。

 経験から言って、何かの固有スキルが条件に反応して、発現しているように見えるが、鑑定スキルで確認できるわけでも無いので、今その事は話さないでおこう。


「戦いで傷ついた方は、全員私が治療いたします。そこで、私はここに救護班の設置を求めます」


「救護班? なんだ、そりゃ」


「負傷者を搬送する事に専念する部隊を作りましょう」


 エリス様は一人立ち上がり、胸を張って進言する。でも、周りの人はキョトンとして反応は薄い。


「……あ〜、あんまり意味が分かんねぇな」


「わ、分からない……? 傷を負った方を、早急に治療すれば、それだけ亡くなる方も少なくなります」


「ん〜」


 アメルダは腕を組んで悩むと、こめかみ辺りを指で掻きながら「少しくらい怪我したって、俺たちは帰らねぇよ」と言った。

 確かに、彼らの勇ましさを考えると、腕を切り落とされても、もう片方の腕で戦っていそうな気がする。冗談抜きで、戦うのをやめるのは絶命した時かもしれない。それでも、すぐに運べば蘇生にかかる魔力も節約できるから、救護班が全くの無駄という事にはならない。


「助ける役よりも、戦う奴を多くした方が、それだけ敵も倒せて、やられる仲間も減るんじゃねぇのか?」


「その結果、助からない命があっても、良いと言うのですか?」


「そう言ってる訳じゃ……。じゃあ、バーベル。ダンジョン班は助け役な」


「助け役、なにする?」


「重症を負った方や、気を失った方がいたら、私の元へ運んで来てください。すぐに治療いたします」


「わかった、運ぼう」


「ありがとうがざいます。アメルダも、ありがとうございます」


 面倒な役割を押し付けるように、アメルダは渋々といった感じで了承したが、エリス様が頭を下げてお礼を言ったら、照れ臭そうにしていた。


「次はこれです」


 エリス様が見せたのは調理班が持ってきていた鉄の鍋だった。「まだ食い足りないのかい?」とメリダが言うと、周りが笑って緊張感が和らぐ。


「そうではありません。いざと言うときの為に、合図を決めておきましょう。何かを伝えたいときは、鍋を叩いて音で知らせるのです」


「おお」


 魔法が使えない彼らには、【思念伝達マインレクト】のような便利な意思疎通スキルも無い。直感で役に立つと判断した皆は、エリス様の提案を素直に聞き入れ、この合図を出す役目は、普段からサポート役に慣れているダンジョン班の中継隊に任せられた。

 皆が注力して覚えたのは、突撃の合図だったが、エリス様が教えたかったのは撤退の合図の方だった。

 医療班の協力を得て、救護班を用意し、撤退の合図も作り、重ねて撤退するときに使うローデンスクールへの最短経路の確認を促した。徹底したリスク管理は、誰も死なせたくないという、エリス様の執念が感じられる。


 「ケイル、敵はどんくらい遠くにいんのか、分かるのか?」とアメルダが聞く。


「ここから30キロほどの場所で休憩しています。疲労で足取りが遅く、ここに来るのは明日の日暮れ頃になりそうです」


 【鷲の眼イーグルアイ】で見える騎士は、誰を先頭に置くでもなく、こちらに歩いて来る。統率が取れていない訳ではないけど、誰が明確に指示を出しているという姿も、今のところ見えない。少し不気味だ。

 争いを止める為だったら、いっそのこと無差別に100人ほどを気絶させてしまえば、騎士団の足も止まるかもしれない。でも、無差別に人を傷づけるやり方は気が引ける。

 戦いが始まって、指揮官が誰かハッキリしたら、その人を狙って気絶させてみよう。


「余計なことはするなよ? ケイル」


「え……」


「相手をするのは俺たちだ。お前は、王女様のことだけ心配してろ」


 こちらの意図を見透かすように、モーガンに釘を刺される。一度定めた自分の獲物を、他人に譲るつもりは無いらしい。僕の矢の命中率を知っている狩猟班の男たちが、同様に釘を刺す視線で僕を見ていた。

 余計な事を言うと、ここから追い出されそうな気がしたので、黙っておく事にしたが、やはり、いざと言う時のために、指揮官を気絶させるための矢は、弦に引っ掛けておこうと思う。


「アメルダ」


「なんだ?」


「騎士様方と話し合うことは……」


「しない。隙を突いて、一気に蹴散らす。それに、何の為に敵に挨拶しなきゃ何ねぇのか、わかんねぇよ」


「……そうですか」


「俺はもう寝る。お前も早く寝とけよ。おやすみ」


「おやすみなさいませ」


 明日には戦いになるかもしれない。そう思えば普通は緊張して眠れなくなるものだが、ここ数日で僕らも肝が据わったのか、それとも準備の疲労が勝ったのか、それとも多くの仲間に囲まれている安心感のおかげか、エリス様も僕も、樹海の中であさっりと眠りについた。

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