第67話 方向
主要者たちが広場に集まると、昨日の今日で何があるのかと気になった住民たちも、ざわざわとして集まってきた。
「お願いだぁ! 見
「どの通りだよ……」
アンガル王は大きな声で懇願しながら、ガニ股になって両手で両目の近くを隠している。奇妙な格好だけど、大きく足を広げて股間を曝け出し、無抵抗であることを示すのが誠意で、顔に描かれた身分を表すペイントを隠すことで、テルストロイの謝意のポーズとなるらしい。汗を流しながら必死に気持ちを訴えかけているが、その文化に
「そもそもテメェは俺らの仲間じゃねぇ。敵だ。見捨てるも何もねぇだろ」
「ほこをなんとか! なんとか、お願いひまふ!
アンガル王が此処まで必死になって哀願するのは、
世界最古の種族といわれるドラゴンは、闘争心を求める「プロエリウム」と調和を求める「クストス」という大きな派閥に分かれ、厳密にはどちらにも
基本的に世界の平和を求める事で意志は一致している彼らだが、そのやり方は極端に偏っている。プロエリウムは、人を鍛える事こそが世界の平和に繋がると考え、事あるごとに人に戦いを催促してくるのだ。
殺されても、生命の根源とも評されるドラゴンの血を一滴垂らせば、人の命など簡単に蘇生して貰えるが、戦いを望まない人たちからすると、勝手に命を賭けた教鞭を振るわれ、たまったものではない。
圧倒的な力で八つ裂きにされ、トラウマを植え付けられても、それを乗り越えることが強くなるということだと、言わんばかりに再戦を催促してくる。恨まれることも、自分を殺すことを目標として、鍛えようとするなら是非もないという考え方だ。甘えを許さないスパルタ教師、自らが悪役を演じる鬼教官みたいだ。
普通のパーティではまず間違いなく、出会った瞬間に全滅を覚悟しなくちゃならない。死を覚悟した上で挑んでくる姿勢を、プロエリウムのドラゴンは求めている。いつかまた、別の強者と出会った時にも、ドラゴンと対峙した記憶が勇気になると信じているのだ。
やり過ぎなプロエリウムを抑えるのが温厚なクストスの派閥で、もしもドラゴンとのスパルタ授業が始まったら、飽きられるか、十分な闘争心を見せるか、クストス派のドラゴンが現れるまで、何度死んでも我慢して戦い続けるしかない。
僕の場合、幸いにも強いパーティメンバーに囲まれていたので、神童の集いでも、何度も何度も別のドラゴンから勝負を挑まれたことがあるが、こちらの力が相当と知ると、ドラゴンは少し暴れただけで満足気に帰ってくれた。
プロエリウムが躍起になって人を鍛えようとするのは、エルフ族との諍いが関係している。
エルフ族は古来より聖霊を崇め、聖霊こそが世界の安寧を支える神様だと信じている。それを、気分良く思わないのがドラゴンたちで、彼らは自分たちこそが生物の頂点であり、世界の秩序を守る番人だと、誇りを持って譲らない。人間たちを育てているのは自分たちだと、世界の番人であることを印象付けるためにも、プロエリウムは人に力を見せたがるようになった。
結果として、人はドラゴンに畏敬の念を抱き、向上心の強い猛者たちは、定期的にドラゴンと戦うためにわざわざ出掛けて行くのだから、プロエリウムの理念は半分くらい成功していると言っていい。もう半分は、悠久の時間を持て余したドラゴンが、余興で楽しんでいるだけと捉える人もいるので、スパルタ教育は逆効果になっているとも言える。
長命な種族同士、長い歴史の中で様々なことがあったんだろうけど、人間からすると、どれもこれも理解し難い事情ばかりだ。
「勘弁ひてくれ!
「聞けばドラゴン様は、奪った命を必ず蘇生して下さるそうです」
「もひ、
「……騎士団に捕まれば、それこそ望みは絶たれます。蘇生して下さると信じて、ドラゴンの里へ参りましょう」
「うわぁあ! やっぱり
子供のように泣いて、ごろごろと転がりながら駄々をこねるアンガル王。出会った頃の
椅子にふんぞり返っていた態度は見る影もない。王としてのプライドは、何処かに捨ててしまったんだろうか。
「お嬢様」
回復薬を服用したのだろう、医療班から歩いてきたセバスは、昨日とは打って変わってしっかりとした足取りだった。クロフテリアに溶け込みやすい服は、住人に貰ったものだろうか、まだ少し頬が痩け、髭を蓄えた今のセバスを見ても、誰も第三王女の執事だとは気づかない。
「私の事はお気になさらず、此処に置いていって下さいませ。必ず足手まといになります」
「馬鹿なことを言わないで下さい。今すぐ出れば、ゆっくり歩いてもドラゴンの里には入れるはずです。騎士様方もそこまでは追っては来ないでしょう。疲れたら、私がその都度、回復させます。諦めてはいけません」
「お嬢様……。分かりました、気を奮い立たせて、何処までもお供させて頂きます」
マディスカルで別れた時よりも凛々しいエリス様の姿に、セバスは目に涙を滲ませて気合いを入れ直していた。
神童の集いのメンバーが居れば、ドラゴンと渡り合い、事情を説明する話し合いの時間も、比較的に容易に貰う事ができたかもしれない。でも今は、戦えるのは僕一人だけ。きっと歯が立たないと思うし、弱い人間が事情を聞いてくれとせがんでも、プロエリウムのドラゴンが聞く耳を持つとは思えない。そんな耳があるなら、人はそれほどドラゴンを畏れていない。
ハッキリ言って、エリス様を守り切ることはできないだろう。エリス様もそれを覚悟の上で、臆することなく「行こう」と言っているのだから、僕もセバスも、もう気持ちを揺らすことなく着いて行く決心を固められた。
「エリス、本当に出てくつもりなのか?」
アメルダは何回か同じ質問をする。クロフテリアから離れる決断を伝えたエリス様に、僕らを囲う住民はみんな困った顔をするばかりだった。
「なんで、お前が出てく必要があるんだ?」
「不要な争いを避けるためです。もし騎士様方が此処へ来ても、私たちの事は何も知らないと言って誤魔化してください。彼らは私が誇りに想う、祖国を支える兵士たちです。決して不躾なことはしないと信じています。不必要な事をしなければ、必ず争いは避けられるはずです。どうか、よろしくお願い致します」
エリス様は深々と頭を下げて、別れの挨拶と代えた。また今度いつ会えるかなんて誰にもわからないし、保証も約束もできない。それでも、エリス様は「さようなら」とは言わなかった。僕らもクロフテリアの人たちも、寂しさを抑えるためか、珍しくみんな静かだった。
「行きましょう、ケイル、セバス。アンガル様も、良い加減に立ってください。時間を無駄にしていたら、逃げられるものも逃げられませんよ」
「お嬢様、此奴を連れて行くのですか?」
「はい……。怒りはあるかと思いますが、今は逃げ延びることに集中しましょう。アンガル様への贖罪は、生きてこそ与える事ができるはずです」
「……畏まりました。さっさと立て! 愚か者め! お前のような奴も、お嬢様は救ってやろうと言っているのだ! 少しは有り難く思わんか!」
多少の憤りを鋭い視線に宿したセバスだったが、前に進もうとするエリス様の気概への感動の方が勝ったのか、直ぐに雑念を掻き消して老体に鞭を打つうと、太ったアンガル王を強く引っ張り起こした。
エリス様は意を決して振り向き、ローデンスクールを出発しようとする。しかし、大きく開いた門を狩猟班の男たちが
周りの人たちの顔が、やけに怖い。
「……ああああっ! 俺にどうしろっつんだよ! まったく!」
アメルダは髪を掻いて、大きく不満を吐く。
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