第66話 矢先

「新しい矢だぞ!」


「ありがとう、ロッカさん。そこに置いておいて下さい」


「おはようございます。ロッカ様」


「お、おはよう、エリス! ……きょ、今日は空が綺麗だな! エ、エリスみたいに綺麗だ!」


「ふふ。お世辞がお上手なのですね、ロッカ様」


 やけに機嫌が良いと思ったら、今日はエリス様が頂上に居るからか。本当に分かりやすい子だ。

 誰にどういう交渉をしたのか、毎朝頂上に矢を補充する担当は、いつの間にかロッカに固定されている。毎日100本近い鉄の矢が製造されているが、子供が持つには重いので、数回に分けて運んでくる。それこそ、大人に任せれば良いのにと思っていても、ロッカは弱音一つかかず、両腕で矢をしっかりと抱えて、急な階段をせっせと登ってくる。その逞しさには感心せざるを得ない。今からそんなに鍛えていたら、きっと将来はモーガンのような優秀な戦士になるに違いない。根性もあるし、その要素は既に持ってる。


「おはよう」


 気分の良かった時間も一変、アンガル王が挨拶すると、ロッカは下まぶた引き下げ舌を出し、侮蔑的な態度をとった。実に失礼な行為だけど、昨日みたいに殴りかからないだけ、ロッカにしては大人しい挨拶なのかもしれない。

 完全に太陽が姿を表した頃、僕は矢を整える。食料調達のため魔物を射抜くのが、毎日の日課。この頃になると干魃地帯に狩猟班が集結する。モーガンは少し険しい顔をしているが、いつも通り、腕を上げて挨拶してくれた。僕はそれだけで嬉しくなって、いつもより勢い良く腕を振って応えた。

 500本で500体の魔物を射つ。それがモーガンに許された1日に狩って良い数。弓使いのプライドに賭けて、一本だって外してはいけない。少しでもモーガンの機嫌を損ねないよう、特に今日という日は、絶対に外しちゃいけない。

 弓を張り詰める。呼吸を整え、意識を集中させる。僕の【神速連射ゴッドアロー】は500本の矢を7秒ほどで放つ。放ちながら標的を探していては間に合わない。矢継ぎ早に放つには、事前に標的となる魔物を視認しておく必要がある。

 いつもの要領で【鷲の眼イーグルアイ】を使い、樹海にいる魔物たちを覗いていると、ざわざわとした違和感が僕の首を舐める。

 【狩人の極意マースチェル】が僅かな気配を感じ取っている。無数の小さな蜘蛛が矢先から(矢の棒の部分)を伝って腕を這ってくるような感覚。言葉にし難いこの悪感は、強者の知らせだ。いつだって、この感知能力で事前に危険を回避してきた。経験上、この予感は確実に当たる。

 特殊な魔物が出現したんだろうか。干魃地帯から入って5キロ圏内の樹海を索敵しても、それらしい魔物は見当たらない。

 僕は引っ張った弦を戻し、改めて遠くに視野を広げる。40キロ、50キロ、60キロ、70キロ地点。不穏な気配と合致する人影が見えた。

 美しい銀色は、浄化付与でもされているのか、草が擦れて出来た緑色の跡を消す。鎧に刻まれた紋章が光を反射すれば、それがリングリッド騎士団だということはすぐに分かった。盾を持つ騎士が4500、ローブに身を包んだ魔法使いが500人はいる。僕らがリングリッドの領土で追われていた時とは、勢力の桁が違う。

 移動の早さも違う。障害物の多い樹海では馬は使えない。鎧には幾らかの軽量下の魔法を付与されているはずだけど、騎士団たちの歩行は普段の威厳を保つための凛々しい姿勢を崩し、のそのそとしていて疲れが見て取れた。

 進行方向を見れば、いずれは此方に辿り着く進路。目的はハッキリしている。これでアンガル王の言葉が、ある程度信用できるものだという事も分かった。


「どうかなさいましたか?」


「……リングリッドの騎士団が来ています。恐らくは、アンガル王を追って来たのではないでしょうか」


 いつまで経っても矢を放たない僕を心配したエリス様は、騎士団の存在を聞くと、緊張感で背中を強張らせた。


「ど、どういうことだ!?」


 アンガル王が慌てふためくが、エリス様は気にも留めず、どこか名残惜しそうな顔をしながらローデンスクールを見渡し、考えを巡らせる。


「どういうことなのだ!? ほ、其方ほなたには騎士団きひだん姿ふがたが見えていると言うのか!?」


「はい」


 まさか樹海を越えてまで追ってくるとは思っていなかったのか、アンガル王はさっきまでの余裕を無くし、顔面を蒼白させて体を震わせ始めた。


「どうしますか? エリス様」


「……仕方がありません。今すぐ此処を離れましょう。ケイル、騎士団が迫っていることをアメルダたちに」


「はい」


 わざわざ、地図にも載っていない国を侵略しにくるはずも無く、今のこの状況では、騎士団たちはアンガル王を追って此処までやって来たのだとしか考えられない。

 でも、逃走した第三王女の存在がリングリッドの者に知られれば、結局追撃の矛先はエリス様にも向けられることになる。エリス様の安全を考えれば、一番はアンガル王と関わらないようにする事、もしくはアンガル王を騎士団に引き渡してしまう事だが、エリス様が自分一人助かればそれで良いなどと、下卑た考えを持たないことは、いまさら言葉を交わさなくても分かりきったことだった。


「で、出ていくとは、どういう意味だ!?」


「言葉通りの意味です。彼らが追ってくるのなら、ひたすら逃げるしかありません」


「逃げるって……どこへ……?」


「目的地を考える必要なんてありません。足が動く限り走り続けるだけです」


 追っ手慣れしたエリス様は、1ヶ月前の自分を思い出し、気持ちを奮い立たせているみたいだ。何度も死線を越えて、此処まで逃げてきたんだ。今度もきっと何処かへ辿り着けると信じているんだろう。


「ちょ、ちょっと待てよ! 出てくって……冗談だよな」


 いつまでも矢が放たれないから、門の前ではモーガンが不審に目を鋭くしている。一先ずはモーガンに、騎士団の事を伝えに行こうと飛び降りおうとしたら、横からロッカにしがみ付かれた。


「すみません。今はゆっくりと話をしている時間はありません。これからどうなるか分からないので、今のうちに言っておきます。ロッカさん、今まで矢を届けてくれて、本当にありがとうございました。ロッカさんは、きっと強い人になれますよ」


「ケイル!?」


 騎士団が到着するのに、まだ時間があるといっても、逃げるなら一分一秒でも早いに越したことはない。申し訳ないと思いつつも、不安そうな顔をするロッカの手を外して、僕は頂上から飛び降りた。


「何してやがんだテメェ!? さっさと矢を放てってんだ!」


 僕が着地の衝撃を和らげるよう【風速操作ウェザーシェル】で風を巻き上げると、広場に溜まった人混みに丸い穴が空く。門に集結した狩猟班が割れ、モーガンがさっそく怒鳴りかかって来た。


「豚の御守りで忙しいってか? だったらそう言えよ。俺たちだけも狩りはでき……」


「モーガンさん」


「あ?」


「リングリッドの騎士団がこちらに向かってきています」


「……チッ」


 こちらの意図を汲んでくれたのか、イライラした態度を改めたモーガンは、すぐに主要者たちを集めるよう仲間に言伝を頼んだ。

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