第65話 声

 食事を運んできたくれたロッカは、自分も頂上で寝泊まりすると少し駄々をこねたが、結局はヤードに連れられて、後ろ髪を引かれながら自室へと戻っていった。

 その際、せめてもの想いでロッカが空いた器を持って行ってくれた時は、エリス様に感謝の言葉をかけられて、少しだけ機嫌を取り戻していた。

 ロッカは本当にエリス様のことが好きなんだなぁ、と微笑ましく思っていたら、「なにニヤニヤしてんだよ。お前がちゃんと見張ってなきゃダメなんだからな』と叱られれた。この態度の変わりようも微笑ましい限りだが、言われていることは至極真っ当な注意喚起なので、見張り役に徹するため姿勢を正した。


「ぐがぁああ」


 と、気合いを入れて監視しようとした時には、アンガル王は既にいびきかいて眠っていた。僕だったら不安で眠れなくなっている所なのに、図々しいを通り越して、その太々しさには尊敬の念すら感じられる。

 散々食べて胃袋を膨らませた腹を、恥も外聞もなく見せて眠るアンガル王に、エリス様はそっと毛布をかけ、騒音から離れるよう、少し遠くに移動した。


「隣に座ってもよろしいでしょうか?」


「はい。もちろん」


 聞きたいことがあって座ったのだが、いざ隣にエリス様を置くと、細心の注意を払って言葉選びをしなくちゃいけないような気がして、なかなか的確な言葉が出ない。

 エリス様がニコニコと手を振っている。下の階を見ると、通行人が大きく腕を振ってこちらに挨拶していた。損をしたけど仕方がない、過去は変えられないと割り切れる人たちは、複雑な想いこそあれどそれを表には出さずに、アンガル王の監視役を引き受けたエリス様の体調を気遣っているようだった。なんだか無視しているようで悪いから、僕も手を振って挨拶すると、向こうもそれに答えるように、両腕を大きく振ってくれていた。

 広場の明かりが、沈みかけの夕日のように、ローデンスクールの一点を明るくしている。今頃はモーガンたちも食事を終えて、シュランプ酒をあおっている頃だろうか。不満がある時は大概、愚痴を吐きながら飲んでいる。今日のあては、僕らの事に違いない。

 あえて楽観的に考えれば、今の僕らは、さながら魔導士学園の問題児みたいなものか。先生の教えも聞かずに、頑として他人の意見を承知しない、そんな異端者。

 どうしてそんな事を思うのかといえば、何かと先生の教鞭に物言いをつけて、周りを困らせていたレイシア様の姿が思い浮かんだからだ。

 先生はアルマイド草には魔力耐性があるから、成長促進の魔術は効果が薄いと説明した。しかし、レイシア様は「そんな事は無い」と手を上げて言う。先生が「世界中の魔術師が研究に研究を重ねてきたが、誰一人としてアルマイド草の成長促進は成功しなかった」と言っても、レイシア様は「私なら出来ます」と言って譲らなかった。

 「じゃあ、やってみせなさい」と言われ、レイシア様は教壇に立って杖を構え、呪文を唱えて緑色の光を輝かせたが、鉢に入ったアルマイド草は若い新芽のまま形を変えなかった。

 レイシア様はみんなに笑われた。悔しそうに涙を流して、一人で教室から飛び出してしまった。誰も追いかけ無いのを見て、可哀想だと思って僕はすぐに追いかけたが、「何しにきたのよ!? わざわざ笑いに来たの!?」とレイシア様には怒られた。でも、どんなに怒られても、僕はついていくことをやめなかった。一人にしては寂しいだろうと思っていたから。

 暫くして怒りが収まったのか、レイシア様は学園内にある花壇の花に【樹勢加速グリンク】の魔法をかけて、自分の力を誇示するように手当たり次第に数を増やした。後で先生に怒られたが、その時は何故か僕も一緒に怒られた。でも先生がいくら怒ったって、一面を花に変えるレイシア様の才能に、僕は素直に凄いと言って褒めたし、レイシア様も笑っていたので共犯にされても悪い気はしなかった。

 6年間のあいだ、レイシア様は毎日研究に没頭し、卒業する時には、とうとうアルマイド草を先生たちの前で開花させてみせた。それがレイシア様の卒業論文だったわけだが、国益に関わる重大な情報だったため、その論文は門外不出となり、レイシア様が発見した事自体が秘密となってしまった。

 不可能と思われたアルマイド草の促進栽培が可能となり、量産されたアルマイド草は魔力耐性を上げる薬として、武器や防具の精製に使われ、それらはリングリッドの特産品となっている。

 僕はレイシア様のように優秀じゃないし、今の僕らとは状況が違うけど、異端者と呼ばれ、笑われ怒られても信念を曲げなかったレイシア様がどうして頑張れたのか、今になって気になってしまい、思い出してしまった。

 エリス様は今の状況をどう考えているんだろうか。仇を擁護すれば、白い目で見られるのは簡単に想像できることなのに、どうしてエリス様はそこまでしてアンガル王を庇い立てしたんだろうか。


「エリス様。失礼な質問をしても宜しいでしょうか?」


「ふふ。ケイルが私に気を遣う必要はありませんよ。なんでしょうか?」


「もしもクロフテリアがアンガル王の追放を決めたら、どうなさるつもりですか?」


「その時は、私もこの街を出ます」


「……エリス様はなぜ、そこまでしてアンガル王を助けたいのですか? あれだけ酷い目にあって、クロフテリアの人たちだって傷つけた。セバスさんだって……。どうして、許そうと思ったのですか?」


「許そうなどとは思っていません。……ただ、声が聞こえるのです」


「声?」


「断片的で、途切れ途切れに声が聞こえてくるんです。死なせてはいけないと、一人でも多くの人を救えと、誰かの声が……。不思議とその声を聞くと、気持ちが強くなっていくのです」


 誰かの声。そんな事を言われても、大概の人は頭のどこかに異常があるとしか思わない。ストレスで幻聴を聞いているとか、思うかも知れない。


「その声って、こう、頭の中に直接響いてくるような声ですか? 遠くにいるような、近くにいるような」


「はい! そうです! そんな感じの声です! なぜそれを!?」


「僕も一度だけ、聞いたような気がするんです」


「……私だけが聞こえる声では、なかったのですか……」


 でも、僕も一度だけ、奇妙な声を聞いたことがある。光の鎧を身につけた、摩訶不思議な発光体。【狩人の極意マースチェル】でも気配を微塵も感じ取ることが出来なかった霊体。エリス様が聞いている声の主がそれなら、他の人に理解してもらうのは難しいかも知れない。

 再三とはぐらかしてきたエリス様の聞く声の正体が、いよいよ気になり始めた。今のところ、僕の心当たりは一つしかない。


「……もしかしたら、本当に精霊さんの声なのかも知れませんね」


 僕の言葉を聞いて、エリス様は一面に星が煌めく夜空を見る。どこかで此方を見ているかも知れない、不確かな精霊を探しているようで、僕も釣られて【狩人の極意マースチェル】まで使って、辺りの気配を観察し続けていた。

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