第62話 それでも

「弱き者を助けるのが、クロフテリアの理念なのではないのですか? ……アメルダ」


 獣の耳がピクリと動くが、アメルダは腕を組んだまま目も開けない。住民は互いに戸惑う顔を見合わせて、自分たちの理念を確認し合っていた。


「……随分と生意気な口を聞くようになったな、王女様よ」


 モーガンは異を唱える者を睨むが、エリス様は強い眼差しを持って揺るがない。いつだって中立の立場をとっていたエリス様だからこそ、主要者たちの困惑も大きく見て取れた。群衆の中で唯一違う意見を言うエリス様に、顔を上げたアンガル王も目を丸くして驚く。


「エリスちゃん。確かに困ってる人を助けることは私たちのルールだけど、その男は王様よ。弱い人間じゃないわ」


 メリダが言うと、アンガル王に生理的拒否反応を示す、眉間にシワを寄せた女性たちが強く頷く。


「それに、ソイツはこの街を壊そうとしてたんだ。助けてやる義理はないよ」


 メリダが続けて言うと、今度は復旧作業に尽力した男たちが深く頷く。

 弱い者を助ける。それはクロフテリアが掲げる最初の理念であり、僕とエリス様を助けてくれた理念でもある。今の項垂れたアンガル王を見れば、ただの傷を負った中年男性にしか見えないし、弱い者と言えなくもない。でも、メリダの言う通り、その立場はテルストロイの王であり、ローデンスクールを火の海にした張本人だ。助けることを快く思わないのは、当然だった。

 エリス様は僕の前に出て、自らアンガル王の側に立つ。


「ではデビド・アンガルの王としての全権限の剥奪、及び現在のクロフテリアの王族や貴族たちの内政への干渉を禁止する事を、助ける条件といたしましょう」


「な、な、何を言っている!? 王の権限を奪うだと!? ほんなこと、ふる訳な……」


 銀色の瞳がアンガル王の厚顔無恥な言動を圧殺する。蛇に睨まれた蛙のように、アンガル王は視線を落とした。


「アンガル様も王の地位を失えば、ただの人に成り下がります。私たちと何も変わらない、ただの一人の人間となるのです」


「……どうして、そこまでしてソイツを庇うんだい? エリスちゃん。アンタが何考えてんのか、アタシには分からないよ」


 悪い状況になったから王を辞める。弱い人間になったから守って欲しいというのは、余りにも都合が良過ぎる申し出だ。そんなことは分からない筈もないのに、エリス様は頑なに譲らず住民の前に立ち塞がって、アンガル王をどうにかして守るべき対象にしようとしている。メリダはもちろん、人望の厚いエリス様は、殆どの住人を困り顔にさせていた。


「私は、人が亡くなる姿を見たくないだけです」


「綺麗事抜かしてんじゃねぇ! そのクソ豚のせいで、どれだけの仲間が傷ついたと思ってやがる!? やられたらやり返すのが普通だろうが!」


「どんな人間にも間違いはあります! 殺めてしまえば、罪を認めさせる事もできません!」


「罪を認めさせるだと? それは誰がやる!? テメェがその豚に、懇切丁寧に社会常識でも教えてやるのか!? あぁ!?」


「ええ、私が改心させてみせますよ!」


「口先だけの王女が何言ってやがる! そうやってテメェは、また他人の力を借りるだけだろうが!?」


「私は私の力でやってみせます!」


「テメェ、マジでいい加減な事言ってると、ぶっ殺すぞ!?」


「元より、覚悟の上で御座います! 彼を殺すなら、それは私を殺す事と同義だと考えてくださいませ!」


 熱くなり過ぎたモーガンは、腰から剣を引き抜いてエリス様に詰め寄ろうとするので、僕は再びエリス様の前に立って、モーガンの行動を牽制した。

 自分の命を賭けてでも守ろうとするなんて、エリス様も興奮し過ぎているようだ。


「……どけ。テメェに用はねぇよ」


「そういうわけにはいきません」


「温室育ちのお嬢さんに世間の厳しさってのを教えてやるのも、従者の役割なんじゃねぇのか?」


「だとしても、やり方は僕が決めます」


「ケッ。……見ろ、そうやってまたご自慢の従者様の背中に隠れてるじゃねぇか。やっぱりテメェは口先だけの女だな! 何が改心させるだ! くだらねぇ!」


「ケイル、そこを退いて下さい」


「モーガンさん、少し落ち着いてください。エリス様も……」


 モーガンは大きな声で挑発し、エリス様も一歩も引こうとはしない。

 モーガンは先の奇襲で手足を損失した人たちの気持ちを汲んで意見を述べているだけで、抜き身の剣を光らせても、殺意や敵意は全く感じられないし、本気で怒っている訳じゃないことは分かる。

 ロイの義足をエリス様も目の当たりにしているし、治療に当たれなかった悔しさも抱えていた。エリス様もモーガンの意見や憤りは重々理解していることだろう。

 でも。それでも、その悔しさを理解しても尚、エリス様の中では、報復や復讐よりも死者を出したくないという想いの方が強いのだろう。


「何が問題なのだ!?」


「お、おい!? 兄者!?」


 空気を読まない活気に満ちた声で、モーガンとエリス様の間にあった緊張の糸が切れる。

 人混みを割って現れたロイは、これまた空気を読まずに群衆の中心に立ち、これみよがしに筋肉を誇示している。口論を止めに来てくれたのかなと思ったけど、しつこいくらいに様々なポーズを取るから、もしかしたら視線の集まる場所で筋肉を自慢したかっただけなのかも知れない。


「モーガン! 俺はこの通りピンピンしている! 足が無くなろうが、俺は最強だ! なんの問題もない! お前の怒りは尤もだが、しかし、弱き者を見捨てることは関心しないぞ!」


「問題がねぇのはテメェだけだ、脳筋野郎。何しにきやがった。用がねぇなら、とっとと失せろ」


「モーガン。問題がないのは俺だけじゃない」


「あ?」


 指を失った者、片腕を失った者、片足を失った者。先の奇襲で体の一部を損失した者たちが、アンガル王を隠すようにロイの側に集まる。


「モーガン。お前が俺たちの為に怒りをぶつけているのは分かっている。だが、俺たちはまだ戦える。まだ、やれる」


「……ふっ。何が言いてぇんだ?」


 ロイは急に真面目な顔をして言う。


「俺はクロフテリアが好きだ。弱き者を救う、強いお前たちが好きだ。どんな目にあっても、どんな損があっても、弱い奴の為に戦うのが俺たちだっただろう。俺だってそんなルールに救われた。もしも俺たちの事を考えて、大切なルールを変えようとしてるなら、俺は猛反対だ」


 勢い任せの大声じゃない、ロイの普通の声を初めて聞いた気がした。ロイの信念が込められた言葉は、大きな声じゃ無くても広場にいる全員の心に届いているようだった。


「ん〜」


 間の抜けたアメルダの声が、視線を集める。


「何か、良く分かんなくなって来たな。ちょっと考えさせてくれ。エリス、お前が言い出しっぺだ。ソイツはお前が見張ってろよ」


「……はい」


「おら! 解散だ! 解散! 全員自分の仕事に戻れ! 頭領命令だぞ! コノヤロー!」


 獣を引っ込めたアメルダは、飄々ひょうひょうとして住民を持ち場に戻らせる。

 モヤモヤが残る中でも、主要者も含め住民全員が素直に移動していくのは、心のどこかで冷静に考える時間を欲していたからだろう。

 どうなることかと思ったが、一先ず大事にならなくて良かった。アメルダは面倒くさがっていただけなのかもしれないが、結果として良いタイミングの解散だった。本当に肝が冷えた。


「【聖霊の祈りアテナス】」


 エリス様はアンガル王を回復させる。暖かい光の中でアンガル王は蹲り、涙を流しながら何度も何度も「ありがとう」と「まない」を繰り返し言い続けていた。

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