第60話 愚者
「エリスティーナ! エリスティーナ、いるのであろう!? 姿を現す良い!」
呼吸を荒くしながら、ローデンスクールの門前に辿り着いたアンガル王は、必死の顔で謙虚のない声を響かせる。
3万人以上のクロフテリアの住人が鉄城の縁沿いを埋め尽くし、それがテルストロイのリーダーだと知ると、今にも飛び掛かりそうな形相でアンガル王を睨みつけていた。
「ぶっ殺していいか? いいのカ? ナニかのワナか? カミコロしたイ……アノ、クソヤロう……」
「待て頭領。奴は王女を呼んでやがる」
アメルダは野獣化し、噴火しそうな火口のように赤い目をギラつかせる。モーガンが止めているが、理性を保って居られるのも少しの間だけかもしれない。
抗争が止まって半月。復旧作業は殆ど終わったとはいえ、住民の怒りは燻ってる。こんな場所にのこのこ現れたらどうらなるか、分からないはずも無いのに、一体何しに来たのか。
「おお! やっと顔を出しおったか。この私を待たせえるなど万死に値するが、今は特別に許してやろう。有り難く思うがよい」
エリス様が縁沿いに近づくと、自然と人混みが割れる。崇高なる者に敬意を示すように、軽く頭を下げる住人もいた。エリス様は過去に与えられた恐怖と共に、此処までに至る愚昧の王に対する怒りを織り交ぜた、荘厳なオーラを身に纏っている。
だが、そんなエリス様を見てアンガル王が発した一声は、なんとも厚かましい言葉だった。
「……あ、ああ……なんと……。……よくぞ……よくぞご無事で……」
アンガル王に捕らえられたセバスは、壁の上に立つエリス様の姿を見て、恥じらいなく大粒の涙を流し、言い知れぬ感嘆の声を漏らした。
セバスの姿は見窄らしく、頬はこけ、手足は痩せ細って、とても健康的な生活を送って来たようには思えなかった。
エリス様は口に力を入れて、警戒心を怠らぬよう溢れ出そうになる感情を抑えていた。マディスカルでは腹に槍が突き刺さったセバスの姿を見ている。別れて以来、心の何処かではもう諦めていたからこそ、セバスの生存はかなりの動揺と嬉しさを運んだ。
「門を開けろ! 此処は一つ話し合いをしようではないか! 私の言うことは素直に聞いた方がいいぞ! でなければ、この者がどうなるか、分からない筈はあるまい!?」
アンガル王はセバスに剣を近づけ脅迫する。その目は視点が散乱しており、まともな精神状態とは思えない。日差しが強い干魃地帯だからということを差し引いても、尋常じゃない汗だ。流石の迂愚な王でも、こんな事をして安全に帰れるとは考えないだろうに。一体、何があったのか、ますます気掛かりになる。
ともあれ、今はセバスの安全を確保することが最優先。なのだが、横で髪の毛を立たせて鋭い牙を見せるアメルダが、問答無用で襲いかかってしまわないか、心配になる。
「コロシテイイカ?」
「待て。お座り。お手」
「ワン!」
まさか知性が犬並みになっているのか、それとも冗談なのか、モーガンの馬鹿げた指示にアメルダは素直に従っている。最低限の理性を保つ、一つの方法なのかもしれない。
「あれは、お前の知り合いか?」
問いかけたのは猫の顔を持つ獣人、クエスト班のリーダー「ワモン」。
普段は男たちを鍛え上げるため、剣術指南をしている。ローデンスクールの警備を担当するのも彼で、普段は突発的に樹海から出てきた魔物の処理もこなしている。アンガル王への対処もセバスを助けるのか否かも、彼の指示次第だった。
「はい。セバスは私の執事です」
「……そうか。なら、事を荒立てないようにしないとな」
ワモンは部下に言伝を回すよう指示し、捕まっているのがエリス様の執事であることを周りに諭すことで、冷静になるよう促した。
しかし、事実を知って住民たちの眉間のシワはさらに深くなる。エリス様の仲間は自分たちの仲間という意識が高まってしまったようだ。
「うぐっ!?」
セバスは背中でアンガル王を押し倒す。
「もはや、私に思い残すことなどない。殺すなら殺すがいい、アンガル王よ! エリス様のご迷惑となるくらいなら、お前に殺された方がマシだ!」
「な、なんだと……!?」
エリス様の生存に執事としての威厳を取り戻したセバスは、堂々と胸を張り宣言する。自ら死を受け入れる者に人質の価値は無い。交渉の切り札を失いそうになったアンガル王は狼狽える。
「漢だぜ、あの爺さん」
「ああ……」
萎れた老人の漢気に、認識を改めるクロフテリアの男たち。それほどまでにセバスの言葉は、真に迫って決死だった。
「ケイル! お嬢様を助けて貰ったこと、礼を言う! 齢75年! 人生でこれほど嬉しかったことはない! 願わくば、これから死にゆく老ぼれの頼みを聞いてほしい!」
セバスは声高らかに、空に吠える。
「これからも、お嬢様の事を宜しくお頼み申し上げる!」
錯乱に身を任せた王が剣を振り
辞世の言葉を残したつもりなのだろうが、今死ぬと決めつけるのは時期尚早だよセバス。
アンガル王の体勢、剣の長さ、眼球の動きから一秒先の未来を予測、振り下ろされる剣の軌道上に、極小さな力で【
剣の胴中が砕け散り、当たるはずだった剣先を失ったことで、アンガル王は空振りして転がった。
「いいか? 殺すなよ? 一発だけだ」
「ワン!」
「よし、行け!」
モーガンの許しを得て狂気の笑みを浮かべたアメルダは、鉄板を歪ませる一歩の跳躍で近づき、起き上がろうとしたアンガル王の顔面目掛け、拳を振り抜いた。
前歯を全損した王が気絶すると、これまでの鬱憤を晴らすかの如く、ローデンスクールから歓声が上がる。
危機が去った途端、エリス様は気丈に振る舞っていた姿勢を崩し、外に出るために下に駆け降りる。僕も直ぐに後を追いかけた。
100人以上の男たちが、力を合わせて鉄門を押す。人一人やっと通れる隙間から、無理やり擦り抜けたエリス様は真っ先にセバスの元へ駆け寄り、強く抱きしめた。
「良かった……生きていたのですね、セバス」
「お嬢様……」
二人は力が抜けたようにへたり込み、再会に頬を濡らした。
「ケイル……」
セバスが僕を見る。敬意を宿した目を見れば、言葉を並べなくてもセバスの心は伝わって来る。出会った時には僕を疑うばかりだったが、そんな気持ちはもう微塵もなかった。
「僕は……エリス様を助けるので精一杯で、貴方を連れ出すことができませんでした。すみませんでした」
「何を言う。私の命などどうでも良い。お前は正しいことをした。私が国王陛下なら、迷わず勲章を授けているところだ」
軽快な冗談に僕とセバスは微笑み合う。【
残った鉄の輪っかは、手首を痛めてしまいそうなので矢では破壊できない。後でオルバーの所に行って、外してもらうよう頼みに行こう。
「エリス、執事は我々に任せろ。直ぐに医療班に連れて行く」
「わ、分かりました。よろしくお願い致します」
ワモンが指示を出し、クエスト班の屈強な男たちは片足に違和感があるセバスの体を支えながら、先に門の中へ入って行く。折角の再会が遠ざかるようで、少し寂しいがセバスが早く本調子に戻ることを願うしか無い。
目覚めたアンガル王は後ろ手に縄で縛られ、ローデンスクールに連れ込まれていく。
報復の熱は完全に冷めたわけでは無く、壁の上にいる住人たちは、アンガル王に食べ残した魔物の残骸を投げつけていた。
なぜ単身でこんな無謀な交渉をして来たのか、まだ理由はハッキリしていない。これからじっくりと事情を聞いてみることにしよう。
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