第58話 鬱積
ローデンスクールの頂上に立ち、遠く樹海の深緑を覗く。東雲の空、南から強く吹く向かい風にも瞬きをすることは無い。
「少しは寝たらどうだ?」
「僕は大丈夫ですよ」
あれから14日経つ。何度か樹海に入って、テルストロイの動向を探ったが、強く目を凝らして150キロ圏内を索敵してもアンガル王の姿は無かった。完全に撤退したと思いたいが、長遠距離魔法の射程限界が分からない以上、警戒を緩めるわけにはいかなかった。
「……チッ。こうなったのはテメェのせいじゃねぇ。王女様がそう伝えて欲しいだとよ」
「その言葉、そのままエリス様に返してもらえませんか?」
「自分で言いやがれ。クソが」
モーガンは髪を掻きながら、いやいや言伝を届けた。
エリス様は3日間の昏睡状態から目覚め、ゆっくりと魔力を取り戻す為に療養に入っている。本当なら一番近くで看病するのが従者の務めなんだろうけど、僕は監視塔である事を徹底すると決め、寝る時も食事を取る時も、日差しが強くなろうと風が強く吹こうと、頂上から離れることはしなかった。
一秒たりとも隙を作りたくなかった。僕がもっと早くに気づいていれば、あんな悲惨な攻撃も喰らうことは無かったはずだから。
「矢の追加だよ」
「ありがとう、ロッカさん」
「……さんはいらねぇよ」
「ふふ。僕の癖なので……すみません」
「ふん! あんま無理すんなよ!?」
「無理はしてません。こうしてる方が気が休まるんです」
復興を見せていたローデンスクールの外装は、再び荒れ果てた。瓦礫撤去は進められているが、復旧を目的としておらず、製鉄所では溶かした鉄を矢に成形し直している。
通路の各地に矢の束が置かれ、僕がいつ何処にいても、直ぐに補充できるように配慮されている。クロフテリアの住人は、敵からの迎撃処置に僕という射撃装置を採用した。
住居を分けていた鉄板は矢だけではなく、剣や盾にも形を変えた。元の生活に戻るためのものじゃ無い。戦うため、守るため、前に進むための武力強化。仲間を傷つけられた住人達の心の中では、復讐の火が燻っていた。
争いは何も生み出さない。そんな事は分かってる。
だけど僕には彼らを諭すことはできない。弱き者を守るという理念を掲げた彼らじゃなくても、顔見知りが傷つけられて冷静でいられるほど僕は大人じゃ無い。
「ケイル……」
「エ、エリス様!?」
病弱なエリス様が毛布を羽織り、おぼつかない足で頂上まで登ってきた。ここは風が強いし、太陽がない今の時間はよく冷える。心休まるところじゃ無い。一体何しにきたのか。心配を通り越して、御自愛下さらない事に多少の不満が来る。
モーガンはロッカをぐいと引いて連れ去る。気を遣って二人きりの時間を作ってくれたんだろうか。
「ここは冷えます。中に戻って下さい」
「少しだけ、お話しさせて下さい」
エリス様は座る。温める事は出来なくても、せめて吹き上がる風くらいは止めてしまおう。【
「ケイルは風の流れを操ることが出来るのですね。流石です」
「エリス様、お体に障ります。今はしっかり休まないと……」
「どうぞ」
「えっ!?」
エリス様は毛布を広げ、その中に入るように促す。もう、人の話を聞いてるんだろうか。
「ここは冷えてしまいますから、暖まるなら寄り添うのが一番です」
綺麗な顔を微笑ませ、意地悪なことを言うエリス様。僕は軽くため息を吐いて隣に座ると、同じ毛布の中に包まった。肩が密着し、体温の熱が共有される。確かに、こっちの方がエリス様が冷えることはないだろう。
「体調はどうですか?」
「もう随分、楽になりましたよ」
「本当ですか?」
「本当ですよ」
僕が疑わしく目を向けると、エリス様は笑みをこぼす。
命が枯れる寸前まで陥った枯渇症は、寛解に時間がかかる。
魔力の源、それは母親のお腹の中で授かる最初の魔力であり、それが機軸となって成長と共に量が増幅していくものだ。つまり、魔力を生み出すのは魔力であって、根源が奪われると回復していく割合も極端に減っていく。
【
自力で少しずつ回復を待つしかない状況では、食事と睡眠だけが最善策だった。
「あの炎の落石は、テルストロイの軍から放たれたもの聞きました。それは事実なのですか?」
悲劇の元凶は、遠くまで見渡すことが出来た僕だけが知っていた。主要者には既に話したが、病床に伏せ心労の絶えなかったエリス様には、まだ説明していなかった。
怒りが膨れ上がるクロフテリアの住人を見て、事の顛末をそれとなく知ったのだろう。
「……やはりこれは、私が原因で起きた事なのですね」
「それは違います、エリス様」
「私が此処に逃げ込まなければ、こんな事には」
「直接的な紛争の始まりは、アメルダさんの暴走にも要因があります。これは主観ですが、クロフテリアに潜んでいた劣等感や疎外感は、私たちに関係なくいずれは暴発していたように感じます。この場にあった鬱屈は、獣人や亜人、弱い人間を蔑ろにしてきた世界の因果のような気がするのです。エリス様はキッカケに過ぎません。全ての責任を背負うのは、お門違いかと。それに、エリス様のせいと言うなら、僕のせいでもあります。」
「……ふふ。ありがとう、ケイル」
エリス様は物悲しく遠くを見つめている。慌てながらも自分なりに分析して説明したつもりだが、僕の言葉が届いているようには思えなかった。
「私は悔しいのです。……何も出来ない自分が、非力な自分が嫌でたまらない。以前、モーガン様に言われた通り、私は何をするにしても他人任せで、自分では何も変えることが出来ない。自分で動かなければ、後悔ばかりしか残らない」
「……そ、それは僕だって同じです。予想した通りのことなんて全く起きないし、その度に自分の不甲斐なさを感じています」
エリス様の鬱積は、今回の騒動で十分な治療を施せなかった人がいるためだろう。幸いにも命を落とす者は居なかったものの、指や腕や足といった部位を潰され、回復薬では治療しきれなかった後遺症を抱えた者が数十人いる。エリス様の【|聖霊の祈り(アテナス)】が四肢損失に効果が有るかは分からないが、手助けできる術があった分、それが出来なかったことが悔しいのだろう。
しかし、それは運が悪かった事もある。水を浄化するために力を使わなければ、皆んなを回復させる事だって軽度の枯渇で済んだはずで、此処までエリス様が落ち込む事もなかったのだから。
「後悔は誰もが持っているものです。でも、ああすれば良かった、こうすれば良かったと思った所で現実は変わらないし、今を精一杯に生きていくしか無いんです」
一市民が誰にものを言っているのか。自分でも分不相応だとは承知しつつも、僕はどうしてもエリス様と悲しみを共有してみたかった。それで少しでも、エリス様の肩の荷が軽くなればと。
「私は、初めて人を射抜きました。アンガル王の手足を……」
「それは……」
「ご心配いりません。近くにいた兵士が治療していましたから、命には別状ないと思います」
不安が過ぎったエリス様は、自分に酷い仕打ちをした男にも心配しているようで、重い空気を吐いて安堵の顔を見せた。
「……その時は必死で、怒りもあって何の違和感も持ちませんでしたが、でも、後になって自分のした行動が信じられなくなりました。撤退させるだけなら、電撃でもなんでも、他に方法があったはずなのに、私はそれを考えようともしなかったんです。恐怖が無いと言えば嘘になります。人を射抜く事に慣れたくなんか有りません。でも、それは仕方のない事だったと今は思うようにしています。エリス様を守るために、いつか誰かを殺さなくちゃいけない時が来る。僕は早く、その覚悟を持たなくちゃいけないんだって……」
エリス様は僕と目を合わせ、沈黙のまま手を握る。顔を出した太陽が、鉄の山の頂上に座る2人を温め始めた。
「私のために、無理に誰かを殺める必要は有りません。その結果がどうであれ、人に優しくなれる貴方が従者として側に居てくれた事を、私は誇りに想います」
溜め込んでいた悩みを話すと心が軽くなり、思わず泣きそうになってしまった。全く、僕が相談に乗ってもらってどうする。
「カン、カン」と鉄を突く金属音が近づいてくる。また誰かが、ローデンスクールの頂上にやって来たようだ。
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