第44話 勇気
問題が発生すれば直ぐに主要者たちが呼び出され会議が執り行われる。
そして、その輪の中にエリス様が含まれているのは、もはや自然の事のようになっていた。
我の強い主要者たちに任せておくと、話が脱線するどころか、いつも喧嘩腰になる。モーガン、メリダ、アメルダが主な要注意人物だが、意外なことに口下手なバーベルも一度自分の方針を決めてしまうと意固地になって絶対に首を縦に振らなくなるので、厄介なのである。
エリス様が呼ばれるのは、第三者であるが故の話しやすさと、客観的な意見を持って来てくれるから。体の良い緩衝材、話の流れが氾濫しないように設けられた防波堤のような役割をさせられている感じだ。
「エリス様……会議へ向かわれないのですか?」
いつもなら直ぐにでも駆けつけるのに、今日はどうしてか足取りが重い。新しい生活に慣れて、ようやく緊張の糸が切れた時に隠していた疲労がドッと押し寄せてくる事はよくある事だ。
持ち前の観察眼で、瞳孔の収縮具合、肌の色艶、呼吸の回数と深さ、鼓動の気配を感じ取り、僕なりにエリス様の健康に気を遣っているつもりだが、エリス様は枯渇症で倒れるまで魔力放出をやめない、我慢の幅が広過ぎる人だ。気づかない所で、体調の不良があるのではと心配になってしまう。
「……ケイル。テルストロイの偵察兵は、最近見かけておりますでしょうか?」
質問を質問で返され少し戸惑ったが、伝えるべき答えを探るため過去を振り返る。ここ7日間、20キロ圏内の樹海で動く不穏な人影は見ていない。ハッキリ言って、僕は見張り役としても暇な時間を過ごしていて、いよいよ、また役立たずの弓使いに戻りつつあるなと危惧する程だった。
「いえ、7日前からは見ていません」
「テルストロイは、もはやクロフテリアを狙うことを諦めたのかもしれません。復興も順調なようですし、私が此処に留まる理由も無くなっていきます。」
助けられた恩を返す為というのはもちろん、退かせたテルストロイが再度攻めてくる可能性を考慮して、僕とエリス様はここに留まった。それが、火種を持ち込んだ者の責任だと感じたからだ。
「今なら皆様に迷惑を掛けることなく、この場から離れることが出来るような気がするのです。亡命してきた王族など抱え込んでも、問題を引き寄せるばかりで、クロフテリアの皆様に利益が有るとは到底思えないのです」
瓦礫撤去がほぼ完了した外側の通路を歩きながら、エリス様の真剣な声を聞く。
確かに、と言えばエリス様に失礼になってしまうかもしれないが、未だリングリッド騎士団がエリス様の捕縛を諦めていなかったとしたら、いずれは此処にもやって来るかもしれない。大国が指名手配中の王女を置くには計り知れないリスクを伴っていた。
リングリッドもテルストロイも、クロフテリアを正式には国として認めていない。ならず者たちの吹き溜まりくらいにしか思っていないのだ。侵攻すると決めたなら、毫末の遠慮も無く搾取しに来るだろう。
流石の屈強なクロフテリアの男たちも、リングリッドの騎士団相手には奮闘することも叶わないはずだ。エリス様がこの場を去れば、そんな最悪は避けられるかもしれない。
「ケイル、前に話したことを覚えておりますか? 私がどうしたいのか、質問された日のことを」
「はい。覚えております」
「私は、答えを見つけました」
足を止め、遠くを見つめるエリス様の目に力が宿る。それは、王宮で過ごしていたエリス様には決して持つことの出来なかった目。冒険を通して様々な経験を経てたどり着いた意志を宿していた。どうやら、自分の人生の在り方を決断したみたいだ。
「私は第四王女アルテミーナを討ち、その野望を砕きます。本当の反逆者として汚名を着せられたとしても、それが国の為になると、私は私の決断を信じて妹に挑みます」
樹海から吹く強い向かい風が、エリス様の銀色の髪を靡かせる。
隠れることもせず、過去を捨てる事もしない。元凶と戦い、国の腐敗を是正する。それがエリス様の決断だった。
「ケイル。ついて来て下さいますか?」
憂色を漂わせ、エリス様は僕を見る。まだ僕の同行を疑っているのかと思うと、途端に寂しくなる。聞かずとも分かっていること、僕にはもう他に行く道など無いのだとエリス様には確信して頂きたかった。
「如何なる困難が待ち受けようとも、私はエリス様と共に行きます。私が側にいることを、もう決して疑わないでください」
「……ありがとう、ケイル」
暗躍する第四王女を討つ。言葉にすれば簡単だが、その道は遥か遠く険しい。たった二人で騎士団を、リングリッド王国を相手にすることなど不可能とさえ思える。
でも、仕える主人がそれを成し遂げると決意したなら、是が非でも不可能を可能にしなくてはならない。それが、僕に居場所を与えてくれたエリス様への最大の恩返しになるなら。
「何してんだ?」
声を掛けて来たのは樹海から帰還したモーガンだった。
「招集されたろ。んなとこで何してやがる」
「モーガン様……。私は……近いうちに此処を離れようと思っております。どうか、会議は私を入れずに執り行って下さい」
「あぁ? そんな勝手、俺たちが許すとでも思ってんのか?」
「私はリングリッド王国に追われる身。万が一、騎士団が此処にやって来たら、今度は対抗することも出来ません。これ以上、クロフテリアの皆様に迷惑をかける前に……」
「迷惑だと? はっ! テメェはやっぱり温室育ちの甘ったれたクソガキだ!」
「え。あ、あの、ちょっと⁉︎」
モーガンはエリス様の手を取り、頭領の部屋へと無理やり連れ込んだ。部屋には既に他の主要者6名が揃っており、アメルダの「遅いぞ!」という声が挨拶となった。
「全員聞け! このクソ甘ったれた王女様の話だ!」
モーガンは皆んなが左右に並んで座っている真ん中に、エリス様を押し倒した。
「エリス様⁉︎」
僕がエリス様に近どこうとすると、モーガンが手の甲を見せて静止させる。とうとう狂ったのかと思ったが、振り返る視線は冷静な思慮の余地がある事を僕に伝えていた。
「な、何してるモーガン⁉︎」
「聖女様に向かって失礼でしょ⁉︎」
主要者たちの当然の動揺が見えたあと、少し間を置いてモーガンは話し始める。
「此処にいる王女様は、もう暫くしたらクロフテリアを離れるらしい。だから、この会議には参加できねぇんだとよ!」
主要者の視線がエリス様に集まる。エリス様は言葉を持たず、ただ下を見つめるばかりだった。
「自分は騎士団様に追われてるから、此処を離れた方が俺たちの安全になるんだとよ。俺たちに迷惑をかけたく無いんだとよ。はっ……ふざけんじゃねぇ!」
モーガンは大きく息を吸って怒号を響かせた。
「騎士団がくる? 上等じゃねぇか。誰が来ようと俺たちは受けて立ってやる!」
「あ、貴方は騎士団の強さを知らないのです! 彼らが本気を出せば、成す術もなく、この街は破壊されてしまいます。あなた方が勝てる相手では無いのです!」
「誰が勝つなんつったよ」
「え……」
モーガンはしゃがみ込み、エリス様に正面切って向かい合う。
「勝てない相手が現れたら、俺たちがテメェを見捨てるとでも思ってんのか⁉︎ 自分たちの安全のために、仲間を売り払うとでも思ってんのか⁉︎ 俺たちを舐めんのもいい加減にしろ! お前はただ、目の前の責任から逃げようとしてるだけだ! 俺たちと一緒に戦う勇気が無くて、ビビってるだけだ! 勝手に俺たちを心配して、勝手に諦めてんじゃねぇよ!」
モーガンの声は耳を塞ぎたくなるくらい煩かったが、その言葉の一つ一つには嫌味の要素が一切なく、脳に蔓延る雑念を貫いて、全ての熱が心臓のど真ん中に直接送り届けられているようだった。
エリス様は、一度テルストロイの王に裏切られ怖い思いをしている。もしかしたら、迷惑をかけたくないという建前の奥には、裏切られる恐怖からの逃げがあったのかもしれない。モーガンがエリス様を睨む目は、その弱さを正確に捉えているように思えた。
「お前が何処にいようが、何をしようが、俺たちの行動は変わらねぇ。仲間を傷つける奴は全員が敵だ! お前の敵がいるなら、俺たちは勝手にそいつらと戦ってやる! お前が出て行こうが行くまいが、関係ねぇんだよ! 何時まで全てが自分の思い通りになると勘違いしてやがる⁉︎ 人はテメェが思うようには動かねぇ! 俺たちの行動をお前が勝手に決めるなよ! 俺たちの心をテメェが勝手に決めるなよ! 俺たちがテメェを助けないなんて、勝手に思い込んでんじゃねぇ!」
エリス様は大粒の涙を流しながら、モーガンの声に耳を傾けていた。それは大きな声に驚いてしまったせいか、はたまた自分の奥深くにある弱さを見抜かれてしまったせいなのかは誰にも分からない。
誰だって、助けを求めるのは怖い。「助けて」という簡単な一言にどれだけの勇気が必要なのか、ときおり忘れそうになる。困った時に助けを求めないのは、一種の弱さなのだとモーガンの声は訴えかけていた。
「エリス。俺たちは既に、同じ窯の飯を食った仲間だ」
「王女様、いなくなる、みんな、寂しい」
「患者さんも、皆んな聖女様をお待ちしております」
「……本当に、此処にいてよろしいのですか?」
「その馬鹿の言葉を要約するとね、エリス。なにか目的があったり、悩みがあるんなら相談して欲しいってことさ。何を決断するにしろ、話を聞かせて欲しいのさ。私たちが迷惑に思っているなんて、そんなことは一切ないよ。アンタはもう、私たちの仲間なんだからね」
「わ、私はいずれリングリッドを相手に……戦いを挑むつもりです。そうなれば必ず、あなた方にも被害が……」
「はっ! そんな上等な野望を持ってんなら、尚のこと手放す訳にはいかねぇな。やる時は一緒だ。抜け駆けは許さねぇ」
「そんなことで俺たちが臆するとでも思っていたのか? 俺たちをそんじょそこらの柔い奴らと、一緒にして貰っては困る」
「しかし……もし、騎士団が来たら……」
「言ってなかったかエリス? 弱ぇ奴を助けねぇ奴は俺が10発ぶん殴る。強ぇ奴から逃げる奴は俺が100発ぶん殴る。仲間を裏切るような奴は、俺がこの手で捻り殺す。それが此処のルールだ。だから、お前の為なら俺たちはいつだって戦ってやる。俺たちは馬鹿だ。正解なんてわからねぇ。でも、明日死ぬと分かっていても、この信念だけは曲げねぇって決めてんだ」
エリス様は肩を震わせながら小さく「ありがとうございます」とだけ言った。それ以上の言葉を発するには、胸が一杯になり過ぎて、肺の中の酸素が不十分だった。
主要者たちはエリス様が落ち着くまで、穏やかにその時間を待った。この厳しい環境で生きてきた彼らは、人の涙を見守り続けることに慣れている。そうやって互いに曝け出して得た結束こそが、クロフテリアの強さであり、エリス様が手に入れなければならない、自分を飾らないクロフテリアの勇気だった。
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