第37話 聖女の過去
これはエヴァンが冒険者になる少し前のお話――。
孤児院から巣立ったソフィア・セラーズは王都に住んでいた。
司祭になるために神学校で学んでいるのである。
ソフィアは幼少期にはすでに教典の矛盾点を多数見つけていた。
そしてそれを誰にも話さなかった。
そんな彼女が司祭を目指しているのは、富や権力や名声のためではない。
教会の改革を考えているわけでもない。
ソフィア・セラーズが司祭を目指す理由、それは――孤児院の管理人になるためである。
彼女が育った孤児院は教会のものだから、その管理人になるためには司祭の地位が必要なのだ。
そう――実家にも等しい孤児院への“愛”のためなのである。
*
――学校生活にソフィアは退屈していた。
彼女は極めて賢いので学校の講義はすべて受ける前から内容を理解していた。
最も重要とされる教義に関する講義には特に興味がなかった。
興味がなくても憶えて理解できるのがソフィアなのだ。
そんな王都生活でも興味を惹かれるものが2つあった。
ひとつは学校内にある立派な図書館である。
高価な書籍で本棚が埋め尽くされおり、まさに宝の山である。
もうひとつは学校の外、つまりは王都そのものだ。
そういうことで、講義が終わった後に特にはっきりとした目的もなく市街地を歩いて回っているのである。
――その日もソフィアは街に繰り出していた。
(エヴァンくん、大丈夫かな~。働きたくないって言ってたけど孤児院からはもうすぐ追放されるし……。スキル的には騎士とかが良さそうだけど、アレは家柄が重視されんだよね。残念だけど冒険者かな~)
そんなことを考えながら散策していると――。
「頼むっ!! 妻が! 妻が大変なんだ!!」
何やら男の悲痛な声が聞こえてきた。
「だ~か~ら~、即金でないと売れないって言ってるだろうが!」
どうやら会話は薬屋で行われているようだ。
ソフィアは興味を持って話しかけた。
「揉めておられるようですが、どうかされましたか?」
「「…………!?」」
二人の男は一瞬言葉を失った。
声の主が眩いばかりの美少女だからである。
「……ああ、神学校の学生さんか。なに、大したことじゃねぇ。この男が高価な薬をツケ払いで売ってくれと寝言抜かしやがるんでな。困っていたところだ」
店主らしき男が答えた。
「カネは後で必ず払う! だけど妻は今大変なんだ!」
客の男は言う。
もっとも、店主は客とは思っていないかもしれないが……。
「だったら借金でもすればいいんじゃないか?」
「それは……」
客は言い淀む。
「つまりはそういうことだ。おまえさんには支払い能力がないとみなされている」
「お話はわかりました。患者さん――つまりあなたの奥さんに会わせていただけませんか? もしかしたら安価な方法で治療が可能かもしれません」
客の表情が少し和らいだ。
「確かに
こうして、ソフィアは客の男に案内されて彼の自宅に向かった。
……………………。
…………。
道すがら互いに自己紹介した。
男の名前はダリル・リントンというらしい。
伝説の聖人ダリルの名はしばしば使われる。
「笑っちゃうだろ? ダリルなのにダリルが足りなくて困っているなんて」
「い、いえ……」
さすがのソフィアも言葉に困った。
……………………。
…………。
「さて、ここだ」
(確かにお金を持っている人の家には見えないね……)
男が扉を開ける。
「帰ったぞ、アニー。大丈夫か?」
ベッドには女が寝ていた。
彼女がダリルの妻、アニーなのだろう。
彼女は身体を起こすが、酷く咳き込む。
「ごほ……あら、お客さん? それも神学校の学生さんじゃないの……ごほごほ」
アニーは困惑している。
「ああ、さっきたまたま知り合ってね。君の病気を診てくれるらしいんだ」
「ソフィア・セラーズと申します。私にアニーさんの身体を診させてもらえないないでしょうか?」
「ええ、よろしくお願いします」
(とはいえ、書籍の知識は大量の憶えているけど、実践経験がそれほどないのよね……)
……………………。
…………。
(この異常な呼吸音……!? アゼイン病ね……。それもかなり酷い)
「お医者様が書かれた処方箋を見せていただけますか?」
ソフィアはダリルに言った。
「あ、ああ、これだ」
ダリルから渡された処方箋を見て、ソフィアはため息をついた。
「残念ながら、私も同じ考えです。ここまで酷くなってしまっては安価な薬では対処できません」
「そ、そんなぁ……」
ダリルはあからさまに落ち込む。
「もう一度、お薬屋さんへ行きましょう」
「え!? でも……」
「私に考えがあります……」
……………………。
…………。
「おう、学生さん。結局どうなった?」
再び現れたソフィアとダリルに店主は尋ねる。
「おそらく処方箋は正しいと思います」
ソフィアは答えた。
「そうか。じゃあどうする? その男には払えないだろう。諦めるか、それとも――学生さんが払ってくれるのか?」
「私は――あなたに決闘を申し込みます!」
「は?」「え?」
店主とダリルの驚きの声がハモった。
「私が勝ったらツケ払いで売ってください。私が負けたら私が保証人になります」
ソフィアは言った。
「確かにこの男より神学校の学生さんの方が信用できる、が……。俺にメリットがない」
「メリットはあります。高価な賞品ですから利益も大きいはずです」
「なるほど。だが、俺はそこそこ強いぞ。そうだな……」
店主は100ダリル硬貨を取り出すと、軽々とそれを折り曲げてしまった。
(〈身体強化〉ね……)
「すまないなぁ……。俺はこの店を開くまではAランク冒険者をやっていたんだ。これくらいは軽くできるんだよ」
店主はニヤリと笑いながら言った。
だが、ソフィアも同じ様に100ダリル硬貨を取り出して曲げてみせたのだ。
それを見て二人の男は目を丸くした。
「えーっと、私は冒険者はやったことはありませんが、これくらいはできます」
ソフィアは無表情で言った。
「ほぉ~、学生さんも“スキル持ち”かぁ。いいぜ! このバーナード・ラッシュ、その決闘を受けてやるよ!」
「ありがとうございます!」
ソフィアは頭を下げながら密かにほくそ笑んだ。
彼女は一か八かでこの申し出をしたのではない。
ラッシュの性格を見抜き、こうなるとわかっていたのだ。
その日の内に3人で役所に行き、決闘の届け出を行った。
*
そして決闘当日――。
アリーナでソフィアとラッシュは向かい合っていた。
互いに木剣を握っている。
今回はそういうルールだ。
客入りはそこそこ。
片方がとてつもない美少女という話が出回り、客を呼び込んだらしい。
「それでは――はじめぇ~~~~~~~ッ!!」
審判が開始の合図を出した。
「とりあえず打ち込んできなッ!」
ラッシュは余裕の表情で煽る。
「では、遠慮なく……」
――嘘である。
ソフィアはラッシュが対応できるであろうギリギリのレベルで〈身体強化〉を使用した。
つまりはものすごく遠慮している。
――ガコーーーーーン!!
「ぐっ!?」
凄まじい衝撃にラッシュの表情から一瞬余裕が消えたが、すぐにニヤリと笑い、
「やるじゃねぇかァ。そうでないとただの弱い者イジメになってしまうからな!」
「私は弱くありませんよ」
「それじゃあ、“遠慮なく”やらせてもらうぜ! おりゃあああああっ!!」
(えーっと、確か剣術の教本には……)
ソフィアは図書館で読んだ剣術の教本の内容を思い出しながら身体を動かす。
――カンカンカンカン!!
「まるで騎士様みたいな立派な剣術じゃねぇか……。どこで習った?」
「図書館で剣術教本を読みました」
「独学ってか!? すげぇな」
ラッシュは勘違いをしている。
彼はソフィアが教本に従って猛特訓をしたと思い込んでいるが、本当に読んだだけである。
とはいえ、教本など読まなくてもソフィアの能力なら短時間で最適な剣術へと到達しただろう。
激しい剣術戦に観客も大興奮である。
(決闘に勝利するためには、相手の負けを認めさせるか、気絶させるか、なのよね……。勢い余って殺してしまわないようにしたいよね)
決闘はうっかり殺してしまっても罪に問われないことが多いが、恨みでもなければ人を殺めることは避けたいと考えるものだろう。
(とりあえず、武器を折っておこうかな)
「えいっ♪」
――ザシュッ!!
ソフィアの鋭い斬撃がラッシュの木刀を叩き折った!
もはや折ったというより切ったというべきだろう。
それほど切断面が滑らかなのである。
あまりのことにラッシュは呆然とする。
ソフィアは剣先をラッシュの鼻先に突きつけた。
「まだ、続けますか?」
ソフィアは問うた。
「いや、俺の負けだ……」
ラッシュは敗北を認めた。
「ラッシュ選手が敗北を認めたことにより決着ぅううううう!! 勝者、ソフィア・セラーズ!」
審判が宣言したことで、勝敗が確定した。
「それでは約束通り、お薬をツケ払いで売っていただきます」
「まぁ、おそらくあの男にツケを払うことはできないだろう。あの薬はくれてやる」
「まぁ、ありがとうございます!」
もちろん、これもソフィアの予想通りである。
*
その後もソフィアは人助けの手段として決闘を用いるようになった。
それは合理性よりも彼女の退屈とホームシックを埋めるためであった。
そうして決闘を繰り返していく内に、ついにソフィアと戦おうという者がいなくなった。
だが、そうなってから間もなく彼女は司祭となり、エスティアへ帰ったのである。
エスティアへ帰ったソフィアは孤児院の副管理人となった。
そして彼女自身が管理人になるのに時間が掛からなかった。
これがエスティアの聖女と呼ばれる女の実像の一端である。
元Sランク冒険者の俺、レストラン経営の片手間に人々の平和を守ってしまう ~ご注文はモンスター討伐だって!? メニューにないものを注文しないでくれ!~ 森野コウイチ @koichiworks
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