第83話 二年孟夏 苦菜秀でる 2



 翠国には、購入した材木が使用途中に折れた、という事実のみを伝えた。すると、数日後書簡での連絡ではなく、翠国から直接の訪問があった。


「わざわざご足労いただき、ありがとうございます」


 昊尚と英賢が出迎えると、青みの入った緑色の襦裙を纏ったほっそりとした女性が先に立ち、丁寧に頭を下げた。三司の柳奏薫副使だ。


「ご無沙汰をしております」


 にこりともせず美しい礼を披露すると、その整った顔を上げた。青灰色の瞳の切れ長の目元と薄い唇が少し冷たい印象を与える。


「こちらこそ。柳副使もお変わりなさそうで何よりです」


 昊尚は奏薫の無表情を気にした様子もなく微笑む。


「碧公とは初対面ですね」


 昊尚が言うと、奏薫は変わらぬ表情で英賢に向かって静かに頭を下げた。


「初めてお目にかかります。翠国三司塩樹副使の柳奏薫と申します」 


 塩樹副使とは、翠国の財政の統括をする三司の中でも、専売品の塩、それに主な財源である樹木を担当をする部署の長官である。まだ若い身でありながら塩樹部の長官の職にあるということで、有能な人物であることは想像がつく。

 しかし、訪問の目的が目的なだけに楽しくはないだろうが、初対面の相手に、少しでも良い印象を与えようという気はまるでないようだ。その無頓着さに、この人も笑うことがあるのだろうか、と逆に興味を抱きながら、英賢はいつものとおり柔らかく微笑んだ。


「はじめまして。夏英賢です」


 これまで多くの女官たちの心を掴んできた英賢の極上の笑みにも、奏薫はつられることもない。静かに頭を下げると、直ぐに昊尚に向き直って言った。


「では早速で申し訳ないのですが、本題に入らせていただいてよろしいでしょうか」


 昊尚は奏薫に椅子に掛けるように勧め、英賢と共に向かいの席についた。双方が席に落ち着くと、奏薫が静かな声で切り出した。


「当国からお送りしたものが使用途中に折れた、とお伺いしたのですが」

「事実だけを申し上げると、そうなります」


 昊尚の言葉に、奏薫がその切れ長の目を真っ直ぐに昊尚に向ける。そして視線を外すと頭を下げる。


「……そうですか。それはご迷惑をおかけいたしました」


 奏薫は詫びの言葉を口にしたが、直ぐに自分の発する声を逐一点検するように慎重に言葉を続けた。


「しかし、材木は貴国の記念事業用とのことでしたので、特に細心の注意を払いました。皇太子の立ち会いのもと、僭越ながら私が選木させていただき、伐採を指示しました。それに加工済みの用材をご希望いただいたので、製材の際も私が監督いたしました」


 蒼国に送ったものは、奏薫自身がその品質を保証する証人ということだ。


「そうですね。確かに、送っていただいた木自体は良いものでした」


 昊尚が卓の上で指を組んで奏薫を真っ直ぐに見ながら、ゆっくりと言った。


「しかし、折れた角材は継いでありました」


 奏薫が昊尚を真っ直ぐに見返す。柳のような眉がほんの僅かに上がる。


「それは、おかしいですね。……木を継いで使用するということはよくあることです。しかし、今回お送りしたものは全て一木からそのまま製材したものです。継ぐ必要はありません」


 奏薫が静かではあるがきっぱりと言い、少し躊躇った後に聞いた。


「失礼を承知でお伺いいたします。貴国での輸送や保管の体制に、何か問題があったということはないでしょうか」


 昊尚と英賢を順に見る。蒼国へ納品後に、何らかの過失で折れたため修復した可能性はないのか、と言いたいのだろう。


「もちろんその可能性も、現在調査しております」


 官吏の不正を取り締まる監察役として、受入や建築の現場の担当を調べている英賢がにこやかに言う。


「私にもその折れたものを見せていただけないでしょうか」


 奏薫が言うと、昊尚が日の傾きを確認するように格子窓の方向へ顔を向けた。これから出発しても蒼泰山に着くのは夜になってしまうだろう。


「よろしいですよ。ただ、建築現場にありまして、ここからは少し離れています。もう遅いので、明日、ご案内いたします」

「ありがとうございます。お手数をおかけして申し訳ありません」


 翠国から来た一行は、鴻臚客館に一泊し、翌朝事故の起こった現場へ向かうことになった。





 翌朝早くに首都采陽を出発し、昊尚、英賢と奏薫らの一行は、昼頃に蒼泰山の麓の宗廟の建設現場へと着いた。

 事故が起こった現場はすでに片付けられており、その原因となった折れた材木は別のところに保管されていた。


「こちらが、件の材木です」


 奏薫が示された角材の山へと進み出て、確認をする。


「……これは……」


 しゃがみこんで折れた角材を目にした途端、奏薫が言葉を失った。


にかわで削ぎ継ぎをしてある……」


 角材の真っ二つに折れた箇所をなぞりながらぼそりと言った。それは、わざわざ切ってから膠で接合してあったように見えた。


「そうです。一見それとわからないように見事に継いであったようです」


 昊尚が奏薫の隣にしゃがみ説明をする。


「……こうした方法で木を接合することはありますが、でも、これは……」


 "そうする必要が全くない"、と続くであろう言葉を言い切らず、奏薫が唇に指を当てたまま沈黙し考え込む。

 その様子を英賢が無言で見つめる。


「……こちらでの運搬、保管がどのようになっていたのかお聞きしてもよろしいでしょうか」

「もちろんです」


 昊尚が立ち上がる。


「貴国から海上経由で運ばれた材木は、港で検品され、この現場に直接運ばれてきました。今回は宗廟用の特別な資材ですので、工部の担当が直接港から運ぶのを指揮しています。運ばれた材木は、仮設ですが専用の倉庫に保管しています」

「検品の際に問題はなかったのでしょうか」


 奏薫が折れた継ぎ目に付着している膠を細い指で刮げながら聞く。


「工部の担当は気づかなかったと言っています」


 奏薫も立ち上がり、角材の端に移動し、再びしゃがみこむ。そして、木に触れる。


「……翠国からの材木には検品の印があります。それは貴女の印ですね?」


 奏薫が触れている場所には、「三司塩樹副使」と印が押されていた。目線を角材の端に押された印から離さずに答えた。


「……はい。そうです。これは私の印です」


 「三司塩樹副使」は奏薫が腰に下げている印綬に刻まれている文字で、奏薫の官職名である。印綬は官吏の身分証代わりでもあり、普段から身につけている。通常は材木にその印を押すことはないが、特別に奏薫が検品したことを示すために押したのだろう。


「その印が本物なのであれば、すり替えられたということは考えにくいですね」


 昊尚の言葉に、奏薫がじっと押された印を見詰めて頷くと、印綬を握りしめる。


「これは、確かにこの印綬で私が押したものです」


 奏薫は立ち上がると、ほっそりとした指を口元に当てて考え込んだ。形の良い眉がわずかに顰められている。

 直接柳副使自身が遥々蒼国まで足を運んだのは、この印を確認するためだったようだな、と昊尚が察する。


「保管中に細工をしたということは」


 伏せていた目線を上げて昊尚に向き直る。


「不可能ではないと思います。それについては、現在碧公が調査しています」

「他のものを見せていただいてもよろしいでしょうか」


 昊尚は頷くと、奏薫を倉庫へ案内した。



 倉庫には角材などの材木が積まれていた。昊尚は手前の山を奏薫に示した。


「これらが翠国から送られたものです」


 予め、昊尚が再度確認し、細工がされていると思われる角材を分けておいた。奏薫は同行した部下に手伝わせ、材木の山を一本ずつ念入りに確認していった。


「……確かに、一見しただけでは継いであるとわかりませんね。見事な仕上がりです」


 確認を終えた奏薫が疲労を顔に表しながら、削ぎ継ぎの技術を場違いに褒めた。ただし、声の温度は極めて低い。


「細工がされているのは、分けておいていただいたもので間違いないようです……。……ところで、最初の検品はどのようにされたのでしょうか」

「受入を担当した工部の職員に確認をしましたところ、詳細な検査は、本数が多いので港では無作為に何本かを抽出して行ったとのことでした」

「そうですか……」


 工部の担当の言うことが本当ならば、たまたま無作為に選んだ角材には異常がなかったということになる。

 奏薫がそれを疑わしいと考えていることを英賢が覚る。何かを言いたげに顔を上げた奏薫と目が合うと、英賢がこっそりと人差し指を自分の唇に当てた。それを見て奏薫が一つ瞬きをすると長い睫毛を再び伏せた。

 担当した職員について調査中であるため、誰が聞いているかもわからないここでは触れてくれるな、という英賢の意図が奏薫に伝わったようだ。奏薫はその場ではそれ以上聞いてこなかった。





 現場での聞き取りを終えると、奏薫は代わりの材木を用意して送ることを約し、折れた材木の件については一旦持ち帰らせてほしい、と翠国へと急ぎ帰って行った。


「どう思いますか?」


 奏薫が去った後、昊尚が英賢に聞いた。


「嘘を吐いたり誤魔化そうとしているようには見えなかったよ」


 奏薫への対応の際に英賢にも同席してもらったのは、奏薫に不審な部分がないか見極めてもらうためでもあった。昊尚も英賢と同意見だ。

 実際に見せるまで、折れた材木の情報を奏薫にあらかじめ極力伝えなかったのは、英賢の指示だ。詳細を知らないはずの状況下で材木を目にした奏薫の様子を見たい、ということで敢えて情報を小出しにした。


「誰かが彼女に失点を負わせようとしてるのかな。……柳副使には何らかの心当たりがありそうだったけど……」


 奏薫を注意深く観察していた英賢が物憂げに溜息をつく。


「と、言っても、表情が変わらないから分かり辛かったけど」


 英賢が苦笑して付け加えると、昊尚が、ええ、と同意して頷く。


「あまりに表情の変化がないことを揶揄して、”石柳”と呼び名がついているようです。まあ、若くして出世したやっかみもあってでしょうけど」

「ふうん」


 色々と苦労しているのだろうな、と英賢がそれでも最後まで感情をほとんど見せなかった、奏薫の落ち着いた青灰色の瞳を思い出す。


「……柳副使はどういう人なの?」


 以前から奏薫のことを知る昊尚に聞く。


「……皇太子の生母の一族で、三司長官の柳計相の長女だそうです」

「そうなんだ。じゃあ、父親に副使へ引き上げられたの?」


 昊尚は少し複雑な顔をして答えた。


「いえ、その逆のようですよ。柳副使が登用試験に受かって官吏になってから、父君が台頭してきたようです。彼女が父君を出世させたんじゃないか、という噂もあります」

「それはまた凄い話だね」


 英賢が驚く。


「色々とあるみたいです」


 言葉を濁すと、昊尚はそれ以上のことは言わなかった。


 

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