第9話 二日目下午 喜招堂 2



 その後、壮哲と佑崔は共に出かけて行った。

 出かける先については範玲たちには教えてくれなかった。

 理淑は自分だけ何もさせてもらえないのが非常に不満げである。二人について行こうとしたが、止められて宥められ、ふてくされている。

 彰高も出かけてくると言って出て行った。去り際に「大人しくしてるように」と釘を刺すのを忘れなかった。

 しかし、残されたのが範玲と理淑の二人だけになると、理淑は自分の剣を上衣の下に隠して明らかに出かける用意をしはじめた。


「何処へいくの?」


 範玲が声をかけると理淑がきゅっと眉間に皺を寄せて言った。


夏邸うちの様子を見てくる」


 決意をした目は、止めるな、と言っていた。


「ここで大人しくしていれば状況は伝える、って彰高殿は言うけど、夏家うちのことは自分でなんとかしたい。何もしないでいるなんて嫌」

「理淑……」

「見てくるだけだから。止めても無駄だよ」


 引くつもりが毛頭ない表情かおだ。自分だけ何もさせてもらえず、相当不満が溜まっているのが伝わってくる。

 範玲はそんな理淑の、自分よりも少し明るい碧色の瞳を見て首を傾げた。


「……それなら私を連れて行ったほうがいいわ」


 反対されるのを予想していた理淑の目が丸くなる。


「兄上も士信も帰ってこないし、私たちはいなくなるし、家の皆不安だと思う。……それに何か手掛かりになるようなものが家にあるかもしれないしね」


 そう続けた範玲に理淑が申し訳なさそうに言う。


「うん。……でも、危ないから姉上は留守番してて」

「何を言っているの。私の耳が諜報に役に立つことは彰高殿と壮哲殿も認めたでしょう?」


 範玲がにこりと微笑むと、理淑は口を尖らせて眉間に皺を寄せ、むうう、と唸り、渋々頷いた。




 

 人目を避けるため、日が入るのを待ってから出かけることにした。幸い彰高も壮哲もまだ帰って来ていない。

 喜招堂から外に出ると、薄暗くなった往来には昼間と比べてかなり人通りは少なくなっていた。


「大丈夫?」


 理淑が心配そうに振り向くと、範玲が頷く。


「このくらいなら平気よ」


 まだ明るいうちに出かけようとしたのだが、人の多さに途中で範玲の気分が悪くなって引き返して来たのだ。

 やはり今朝、宮城へは彰高がわざわざ人通りの少ない道を選んでくれたのだと改めて思い知る。

 範玲と理淑は、前日の夜に歩いた道を今度は逆に向かって歩いた。


 角を曲がれば夏家の屋敷が見えるところまでくると、範玲が「待って」と理淑を止めた。


「……屋敷いえの門のところに誰かいるみたい」


 建物の影からそうっと覗くと、門の前に兵士がいた。


「……あれは、羽林軍……右羽林の人だ。見たことある」


 理淑が目をすがめて見ながら呟く。理淑が鍛錬に混ぜてもらっているのは壮哲のいる左羽林軍なので、見たことはあるが面識はないと言う。

 しかし同じように向こうも理淑のことを知っている可能性は大いにある。


「……まさか、夏邸うちを警備してくれている……訳じゃないわよね……」


 範玲が言うと、理淑が、うん、多分、と嫌そうに同意する。

 壮哲を捕縛にやってきたのは呂将軍率いる右羽林軍だと言っていた。

 だとしたら、右羽林軍の兵士が屋敷の門の前にいるのは、監視のためなのだろう。そこへのこのこ顔を見せても決して良いことはなさそうだ。


「裏口に行ってみようか」


 理淑の提案に範玲が頷く。


 しかし、裏口に回ったところで、予想はしていたが状況は同じだった。兵士が二人立っていた。


「どうしようか」


 険しい顔をして理淑が言う。


「中の様子が知りたいわね……」


 そう言いながら建物の影から覗く。立っていた兵士は裏口だから正門にいた兵士よりも緊張感がゆるいのか、何やら立ち話をしているようだった。

 範玲は少し考えると、耳飾りに手をやった。


「ちょっと聞いてみようかな」

「……平気? 倒れたりしない?」


 理淑が心配そうに聞く。


「今朝のは加減がわからなかったからいけなかったのよ。今度は気をつける」


 そう言うと、範玲は大きく深呼吸をして、耳飾りを外した。

 耳飾りを取った途端、音の波が襲う。息を詰めてそれをやり過ごすと、建物の影に隠れながらも、兵士たちに意識を向ける。遮るものがない分、宮城での会話よりも聞きやすかった。


--俺ら、まだここにいないといけないのか。

--将軍がまだ出ていらっしゃらないからな。

--何を探していらっしゃるんだ?

--さあ……。我々には手伝わなくていいっておっしゃるからわからん。碧公の書斎をひっくり返してるみたいだぞ。

--ふうん。謀反の証拠を探してるってことか。


 そこまで聞くと、範玲は耳飾りを元に戻した。

 すぐに耳飾りをつけたからか、まだ大丈夫だ。


「どう?」


 理淑が範玲を覗き込む。


「……右羽林の将軍って、呂将軍よね?」


 範玲が聞くと、理淑が、そうだよ、と頷く。


「呂将軍が来てるみたい」

「何しに?」

「兄上のお部屋で何かを探してるらしいわ」


 範玲は少し考えると、言った。


「兄上のお部屋の方に移動しよう」

「え? どうするの?」


 理淑が目をまたたかせる。


「呂将軍が何をしてるのか探るの」


 そう言うと範玲は英賢の書斎が位置する北側へと歩き出した。

 

「この辺りよね」


 範玲は屋敷の塀をとんとんと叩く。兵士のいる裏口からは見えない場所なのは幸いだった。

 外から見たことはないが、位置的に考えてこの塀の向こうの少し奥にいったところに正房おもやがあるはずだ。正房の東側に英賢の部屋がある。


「本当に大丈夫?」


 理淑が心配そうに聞く。範玲が宮城から倒れて帰って来たことに敏感になっているのだ。


「ええ。宮城の時よりも距離は近いはずよ。それに家の造りがわかっている分、探しやすいと思うし」


 範玲は改めて大きく息を吸い込むと、気遣わしげに見つめる明るめの碧色の瞳に微笑んでから耳飾りを外した。

 耳飾りを外した途端、やはり再び音の波に呑まれそうになる。

 ぎゅっと目を瞑ってそれに慣れるまで待つと、意識を集中した。

 家の造りを思い出しながら音を探る。


--範玲様達は何処へ行かれたのでしょう……。ご無事なのでしょうか……。


 使用人が自分達を案じている声が聞こえた。


--英賢様も……一体何がどうなっているのか……。


 途方に暮れている様子に胸が痛む。

 しかし、とりあえず家の皆が無事そうなのを感じ取り安堵する。

 そして英賢の部屋へと意識を進めた。


 この辺り……。


 当たりをつけて音を拾おうとさらに耳を澄ませると、がたん、という何かが落ちる音でびくりと肩をすくめる。

 さらにがさがさと乱暴に紙の束を落とすような音も聞こえた。


--……くそっ。……無いな……。


 苛立ったように何かを叩きつける音とともに吐き捨てる声。

 今朝、宮城で聞いた声と同じものだ。

 呂将軍で間違いないだろう。

 範玲はその声に意識を集める。


--きっと何処かに隠してあるんだろうね。


 呂将軍のすぐそばで若い男の声がした。

 聞いたことのないものだ。


--もしかしたら碧公の妹が持っているのかもしれません。

--……ああ、行方がわからないんだっけ?


 突然自分たちの話になって範玲の心臓がどきりと脈打つ。


--はい。一人は引きこもって屋敷から出たことがないと聞いていたんですが……。

--ふうん。


 興味なさそうに若い男が適当に返事をする。


--まあ、ただの虚勢かもしれないし、本当にあったとしても、こっちのの方が新しいのだから大丈夫でしょ。

--そうですか……。

--馬鹿だよねぇ。本当にそんなものを用意していたんであればさっさと辞めさせちゃえばよかったのに。あんなんになるまで放っておくんだから、蒼国の奴らって本当に甘いよねぇ。


 明らかに声に馬鹿にしたような雰囲気が混じる。

 そこでがたがたと音がし、部屋を出るような気配がしたので、範玲は耳飾りを戻した。

 気をつけていたつもりだが、目が回りそうになり思わずしゃがみ込む。


「……姉上……大丈夫?」


 理淑が心配そうに覗き込む。


「大丈夫。少し休めば平気」


 若干震える指で汗の浮いた額を押さえる。


「どうしました?」


 不意に声をかけられてびくりとする。

 振り向くと先ほど裏門のところで見た兵士の一人がこちらを見ていた。見回りに来たのか、角を曲がってやってくるところだった。


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