第62話 二年季春 鳴く鳩其羽を払う 3


 佑崔が咄嗟に理淑の前に立ち身構えた。

 雲起は部屋に入ると、後ろ手で扉をしっかり閉めた。すると、そのすぐ後にガラガラと重いものが動く音がした。


「申し訳ありませんが、今県主ひめ様がお休みになっています。出て行っていただけませんか」


 佑崔が雲起を睨む。


「お前は侍女? 随分勇ましいね」


 そう言うと、ながいすに横になっている理淑に目をやり、部屋の中へゆっくりと歩みを進める。出て行く意志など全くなさそうな雲起に、佑崔が舌打ちをする。理淑を起こして抱えると、雲起と距離を取りながら扉へと向かう。


「せっかく来たのだから、まだ居たらいいよ。具合が悪いのは県主ひめだけ?」


 佑崔が雲起の問いを無視し、扉に手をかけるが開かない。


「開けてください」


 雲起は佑崔の言葉を聞き流し、理淑を観察するように見ている。理淑が白い顔で雲起を睨むのを見て、雲起が澄季に似た美しい顔で満足げに微笑む。


「藍公には、先に帰ったって言っておくよ」

「そんな嘘は藍公に通用しません」

「でも、探してもこの部屋はわからないと思うよ。この部屋の扉は二重になっていてね、外側の扉を閉めると、見た目は壁なんだ。いわゆる隠し部屋だね」


 雲起が首を傾げて言う。


「こんなことをしてこのまま済むと思うのですか?」

「夏家の県主ひめ自ら望んだことなら問題なくない?」

「言っている意味がわかりません」


 佑崔の怪訝な顔に雲起が上機嫌で答える。


県主ひめと私は運命的な出会いをしてしまった。そこで、藍公を裏切ることになった県主ひめが、もう蒼国へは帰れない、と言い出したことにすれば良いんじゃないかな」


 あまりに馬鹿馬鹿しい言い分が本気なのか、佑崔には測りかねた。


「開けてください」


 再び言うと、佑崔は袖の中から匕首ひしゅを取り出し、理淑を片手で支えたまま構えた。


「へぇ。これはまた凛々しいね」


 雲起が口の端をあげる。


「いいね。本当はお前の方が好みなんだけどなぁ。まあいいや。耳がいいっていう面白いところもあるみたいだし、青公の血を引く子を作るにはこっちの夏家の県主ひめじゃないとね」


 その言葉に佑崔の背筋がぞわりと寒くなる。

 こいつは絶対に尋常な神経じゃない。

 匕首を握る手に力が入る。

 その佑崔の様子を愉快そうに見て雲起が合図をすると、別の扉から数人の兵士が入って来た。手には剣が握られている。


「その物騒なものをこっちに渡して? 手荒なことはしたくないからね」


 雲起が子どもに言い聞かせるように手を差し出して微笑む。

 佑崔に抱えられて白い顔をした理淑が、佑崔の手を押しのけると、裙の下から短剣を取り出す。


「大丈夫ですか?」


 佑崔がちらりと目線を向けると、理淑は左手でばしばしと自分の頬を叩き、ぎゅっと目を瞑って額を手のひらで押さえたまま低い声で「大丈夫」と呟いた。相当自分に苛ついているようだ。


「おや。県主ひめ君も勇ましいんだね」


 雲起が笑いながら、剣を構えている兵士に合図をすると、佑崔らを囲む。

 佑崔が理淑を背にかばい、向かって来た兵士の相手をしている間に、理淑が隙を見て雲起の懐に入り、剣を首元に突きつけた。


「ここから出して」


 相変わらず白い顔で理淑が睨む。

 その時、廊下側の扉の外を叩く音がした。


「あれ、おかしいな。見つかったのか」


 雲起が理淑に剣を突きつけられたまま舌打ちをする。

 そして、間も無く、ガラガラと重い物を引きずる音の後、金属をガンガンと打ちつける音がして、扉が開いた。


「範玲殿!」


 入って来たのは昊尚と葛将軍だった。


「大丈夫か」


 理淑と佑崔の無事を確認すると、昊尚はいつもよりも青味を増した冷たい目で雲起を見る。

 佑崔が理淑を素早く雲起から離して昊尚と葛将軍の元へ移動する。


「これはどういうことだ」

「誰かが間違って外側の扉を閉めてしまったんでしょう。私は気分の悪そうな県主ひめ君と偶然会ったから、話をしていただけですよ。なのに、そちらの侍女が刃物を私に向けたので、私の護衛たちが慌ててしまって」


 笑っていない目には苛立ちをわずかに滲ませ、妖艶な笑顔のまま返す。


「こいつ、斬っていいですか」


 佑崔が昊尚に小さく言う。


「ここではまずいだろう。ひとまず耐えろ」


 昊尚の言葉に佑崔が舌打ちをする。

 昊尚の後から文陽が静かに入って来た。文陽は未だ白い顔をしている理淑に、囁いた。


「玄亀の石は持っていませんか?」


 聞かれて、理淑は範玲に借りた耳飾りをつけていないことを思い出し、首を振る。文陽が小さな青い石を握らせてくれた。すると、それまでぐるぐる回っていた理淑の視界が、徐々に定まってきた。


「どうして?」

「後で」


 文陽が小さな声で言う。

 昊尚が理淑の顔色が戻ってきたのを確認すると、雲起を冷たく見る。


「今後一切、蒼国への立ち入りを遠慮願おう。この件は、追って正式に抗議させていただく」


 そう言うと、理淑と佑崔を促し、雲起に背を向けた。が、昊尚がふと足を止めて雲起を振り返った。


「そういえば、馬広然はどうした?」


 不意に尋ねた昊尚の言葉に雲起の眉がぴくりと動いた気がしたが、「さあ」と素っ気ない答えが返ってきた。





 理淑の気分が悪くなったのは、ずっと流されていた音のせいだろうと文陽が教えてくれた。

 通常の人間は気付かない小さな金属を引っ掻いたような音だが、範玲ほどではないにしろ耳の良い理淑はそれを無意識に聞いてしまっていた。しかもそれに呪文もついていたらしい。呪文は雲起の元にいる呪禁師の古利によるものだろう。本来は文陽にも聞こえる音だが、彼は玄亀の石を身につけていたので、聞かずに済んでいたのだ。

 理淑は朝、髪を結う時に邪魔になったため、範玲から借りた玄亀の耳飾りを外してそのままにしてしまっていた。

 耳飾りさえつけていれば、こんな目にあうことはなかったのに。これでは自分が代わりに来た意味がない。むしろ自分が来ない方が良かった、と理淑が深く反省する。


「こんな手段で来るとは思わなかったから。それに私ももっと気をつけるべきだった」


 溜息をつき、とにかく無事でよかった、と昊尚が言う。

 しかし、これで雲起の目的はやはり範玲だということがはっきりした。そして、ゆくゆくは蒼国を手に入れるつもりであることも。


「あいつ、気持ち悪い!」


 理淑はぐるぐる回る視界の中で笑う雲起を思い出して身震いした。それには佑崔も激しく同意する。

 その佑崔を理淑が改めてまじまじと見た。


「佑崔殿の方が好みみたいだね」


 理淑が言うと佑崔は不味いものを食べたような顔をした後、思い切り冷たい目で理淑を睨む。

 そうしながらも、いつもどおりに戻った理淑に安堵すると、佑崔が昊尚に疑問を投げた。


「そういえば、どうしてあの部屋がわかったんですか?」


 宴の会場から別室に移った理淑らを見失った後、どうして隠し部屋にたどり着くことができたのか。


「範玲殿がくれた不撓の梅の花弁が教えてくれた」


 昊尚が帯につけた結び飾りを見せ、佑崔と理淑の腰紐についている同じ物を指差した。それらはよく見ると細い光で繋がっていた。




 理淑と佑崔が出て行くとすぐに昊尚が後を追ったが、元の控えの間にはいない。部屋を出たところにいた女官は、二人は先に帰ったようだ、と言うが、そんなはずはない。

 何かあったことを察し、葛将軍と合流し探すことにした。

 佑崔がついているとはいえ、具合の悪そうな理淑を思い出し、昊尚が舌打ちをする。範玲にもくれぐれもと頼まれていたのに、と帯につけた結び飾りを見た。

 と、帯から下がる結び飾りが不自然に三本の細い光を発しているのに気づいた。昊尚の持つ結び飾りから伸びる光は、一本は葛将軍の帯につけたそれと繋がっていた。そしてもう一本は西の方へ、三本目の少し他より太く見える光は、廊下の奥へ吸い込まれていた。葛将軍の帯についた結び飾りも、一本は昊尚のものに、一本はやはり西の方角へ、そして三本目は昊尚のものと同じく廊下の奥へと向かっていた。

 昊尚はもしや、と廊下へ伸びる光の方へと急いだ。


 光が吸い込まれた先は壁だった。その壁を叩くと、他の壁とは明らかに音が違う。

 仔細に観察をすると、壁は動きそうだということがわかった。

 壁を力一杯押すと、奥へとずれた。押し込まれた壁に横方向へ力をかけてみると、案の定、壁は動いた。そして動いた壁の後ろには、扉があった。

 昊尚と葛将軍の結び飾りの光はともにその扉へと伸びていた。

 そこで、葛将軍が剣の柄で鍵を壊し、隠し部屋の扉を開けたというわけだ。

 不撓の梅の花弁は、それぞれが光で結ばれており、光を辿れば、他の花弁へと辿り着くことができるものだったのだ。



**



 翌日の早朝、理淑らは念のため紅国と行動を共に、大雅らと城門を通り蒼国へとの帰路に着いた。

 昊尚は一人朱国に残ることにし、理淑らを見送ると、喜招堂に戻った。


「もういつでも店は閉められます」


 明遠がいつもと変わらない穏やかな顔で言う。

 朱国が喜招堂をはじめとする蒼国の店の財産を没収しようとしている、と密かに聞いてから、先手を打って宝飾品などの商品は別のところに移した。食料類は全て景成に渡して朱国の民に配布してもらった。喜招堂は店頭に少しの商品がある以外、もうほぼ空だ。

 朱国の民を蒼国が不当に労働させている対価として、喜招堂らの財産を没収するという無茶な言い分は、朱国からの返書によると解消したはずである。しかし、財産の没収が、澄季の要望により喜招堂などの持つ宝飾品を手に入れるためのものであるのならば、そのまま諦めることはないだろう。理由をつけて取り上げる算段はすでに整っているはずだ。だから店は一旦引き上げておいた方がよいとの判断だ。


「それにしても、残念です。折角ここまで大きくしたのに店を畳まないといけないなんて」


 明遠が呟く。滅多に不平を口にしない明遠が、不服そうに鼻を鳴らすさまに昊尚が笑う。


「まあ、いずれまた再開する機会もあるさ。……それより、他の蒼国籍の店は大丈夫か」


 昊尚は喜招堂だけではなく、朱国に店を出している蒼国の他の店にも情報を伝えさせている。


「はい。どこも規模を縮小しています」

「すまないな。任せてしまって。役人が来たら、明遠もすぐに撤退するように」

「大丈夫ですよ。ご心配なさらず」


 昊尚は、にやりと笑う頼もしい代理の肩を叩いてねぎらった。


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