第31話 元年季冬 鵲始めて巣くう 4

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 このひと月ほどの間、前向きな出来事ばかりあったわけではない。

 有るまじき出来事が起こっていた。

 皇城にある牢に収監されていた長古利が逃亡したのだ。



 新王の即位に伴い、恩赦が施されたが、くだんの出来事に関係した者へは適用されなかった。

 古利は相変わらず何も語らなかった。刑罰の確定もできず、皇城の牢に留められたままだった。

 昊尚は、朱国第三皇子の范雲起が古利を取り返しに来ることを警戒していた。

 仕掛けてくるとしたら、即位の儀もしくは祝賀の儀の際の、諸々への注意が逸れる時だろうと予測した。故に、即位の儀に蒼泰山へ向かう王たちの護衛には、右羽林将軍と数名のみが従い、王都の留守は曹左羽林将軍に守らせることとした。


 懸念した通り、古利を逃がそうと動きがあった。

 即位の儀で王と青公らが都に不在の夜、何者かが古利のいる牢に忍び込み、牢番を襲った。しかし、左羽林軍の兵士が待機していたため、忍び込んだ者が古利のいる牢に手を伸ばしたところで取り囲んだ。

 しかし、牢に忍び込んだ者は、待機していた兵達に囲まれ、逃れられないと見るや、自ら命を絶ってしまった。


 

 即位の儀を終えて王たちが蒼泰山から都に帰ると、祝賀の儀が執り行われた。

 祝賀の儀は、蒼翠殿において百官を前に即位の宣言を行った後、国の民にお披露目するために、王と青公が市中を練り歩く。

 このお披露目のお祭り騒ぎの中、前日の牢番襲撃事件の真相がまだ分からないうちに、再び騒動が起こった。



 この日も古利は相変わらず何も語らず、ただじっと独房に座っていた。

 古利が人の心を操る力が使えないように、手は厚い革の手袋をつけさせられ、取ることができないように手首のあたりが留め具で締められている。

 その様子を確認し、その日の担当の牢番は詰所に戻った。

 お披露目の隊列が近づいてきたのか、外が賑わしくなってきた頃、突然、爆発音が牢内に響き渡った。外でお披露目の祝賀で鳴らされている爆竹の音にしては近い。

 牢番が慌てて古利の独房を覗くと、中は煙が充満しており、古利が倒れていた。古利の体の側には血だまりが見えた。


「おい!」


 牢番が声をかけても古利に反応はない。

 何があっても牢を開けるなときつく言い渡されている。しかし、今、独房の中では煙どころか、火の手が上がっている。罪人といえど、その中で血を流して倒れているのをそのまま放置することはできない。

 大声で他の牢番を呼んだが、外の爆竹の音で聞こえないのか、誰もやってこない。

 そうする内にも火は勢いを増す。

 牢番は迷った挙句、牢の錠前の鍵をあけて中に入り、再び古利に声をかけた。

 すると、倒れていた古利は、むくりと起き上がった。厚い革の手袋がつけられていたはずの手は、血だらけの素手となっていた。その血だらけの手で牢番の腕を掴み、もう片方の手に握る刃物で牢番を切りつけた。


「ひっ……」


 牢番は一つ声をあげると崩れ落ちた。

 それを無造作に踏みつけると、古利は出口から屈んで牢から一歩踏み出した。

 しかし、踏み出した古利の首筋に冷たい刃が当たった。


「ダメですよ」


 音もなく近づいた佑崔が、牢から出ようと屈む古利の上から静かに言う。


「っ!」


 古利が手にしていた刃物を振り回すが、佑崔は僅かに肩をずらして避けると、古利の腕を掴み、動きを封じた。


「大丈夫か? 牢番が皆倒れているが」


 羽林軍の兵士が数人駆けてきた。


「うわっ! 燃えてるぞ」


 古利のいた独房の中では勢いよく炎が上がっていた。駆けつけた兵士たちが牢の中の火を消す。

 その間に佑崔が古利を後ろ手にしっかりと縛り、更に足も縛る。

 革の手袋をはめられていたはずの手は、血だらけで、手首の留め金だけが残っていた。刃物で無理やり切り裂いたようだ。


「大胆なことしますね」


 佑崔が眉を顰め、古利に言う。

 祝賀の儀の最中にも何かあるかもしれない、との昊尚の言により、何人かが牢近くに配置されていた。即位のお披露目の隊列には、流石に羽林軍の両将軍が揃っていないと形にならない。故に隊列に組まれてない佑崔ら数人が寄越されていた。

 牢内での爆発音を聞いて、佑崔が駆けつけた時には、数人いた牢番たちは床に倒れていた。



 祝賀の儀の最中に牢の小火ぼやと脱獄の未遂があったが、儀式自体は滞りなく終わった。

 その夜、ようやく体が空いた壮哲に、裁判や牢獄を所管する大理寺の長官である張大理卿が脱獄未遂の顛末を報告をした。その報告を壮哲の脇で聞いていた昊尚が張氏の報告を遮った。


「それで、今古利は何処にいるんです?」


 元々古利がいた独房は、火事による損傷がひどく、そのまま使用することができなくなっていた。


「別の独房に移しました」

「……古利がいるか確認をしてくれませんか。今すぐ」


 昊尚が難しい顔をして言った。



 急いで大理寺の長官自らが確認に行ったところ、古利は移された独房にはいなかった。代わりに牢番が古利の服を着せられ、猿ぐつわを咬まされ牢に押し込まれていた。


「……も、申し訳ありませんっ……!」


 張氏がダラダラ汗をかきながら真っ青な顔で詫びる。

 古利がいなくなった牢は、鍵が壊されたような形跡はなく、それどころか丁寧に錠前の鍵がかけ直されていた。


「……どうしてその独房を選んで古利を入れたのですか?」


 英賢が腕を組んで考え込みながら張氏に聞く。


「……今回、恩赦で減刑される者を選別した際に空いた独房に、と聞いています……」

「他に空いていた独房はなかったのですか?」

「あった、とは思うのですが……」


 張氏は更に汗をかきながらしどろもどろに説明する。自身で采配したわけではないのだろう。


「まんまとやられたな……」


 壮哲が眉間に深い皺を寄せて溜息をついた。


「この城の中に手引きした者がいるということか……」


 昊尚が呟いた。


 



 即位の儀で壮哲らが留守中に牢に忍び込み、自ら命を絶った者は、銀山で採掘をする朱国出身の労働者であるということがわかった。

 同僚たちの話によると、その者には朱国に年老いた母親がいた。父親が残した借金を抱えて、賃金の良い朱国の銀山の採掘に来ていたようだった。

 どうしてそのような者が古利を逃がすために牢に忍び込んだのか。

 それにしても一介の労働者が牢に忍び込むことができたというのは、不自然この上ない。

 誰か手引きしている者がいると考えるのが妥当だ。

 また、祝賀の儀の時の騒動についても、牢のある建物の外には佑崔たちがいたにもかかわらず、中の牢番たちが倒されていた。おそらくその倒れていた者の中に、牢番たちを昏倒させた者自身が潜んでいたのだろう、と結論づけられた。それに牢の中で火の手が上がったのも、古利が刃物を持っていたのも腑に落ちない。

 そして極め付けが、古利が逃げた独房の鍵の件である。

 古利を逃してしまった今、考えられるのは、三段構えで計画がされていたということだ。

 即位の儀の際もしくは祝賀の儀の際に古利を逃がすことができなかった場合に備えて、あらかじめ鍵を手に入れておいた独房に古利を移させるように仕向けていたということだ。

 そんなことができるのは、大理寺で牢内の調整のできる内部の人間だろう。

 大理寺の者の中に、事件直後姿を消した牢番がいた。

 それが段取りを整えた者なのだろうか。





 即位の儀の前から王都の城門の通行は制限されていたが、更に厳しく取り締まることとなった。王都内の見回りも強化され、兵士たちが古利と行方をくらました牢番を探した。

 しかし、二人の行方はようとしてしれなかった。

 姿を消した牢番はまだ若者で、周りの者達は、真面目でそのようなことをするような者とは思えない、と口を揃えて言った。あの日、仕事に出てからは家にも帰っておらず、彼の両親と妹たちは全く心当たりがないと泣くばかりだった。



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