第30話 余話 1 佑崔と曹将軍


「それにしても、佑崔がそれ程までに腕が立つとは知らなかった。何故これまで仕官しなかったのだ?」


 組織上、佑崔の上官となった曹将軍が佑崔に尋ねた。

 佑崔はキョトンとして曹将軍を見返す。何言ってんですか、という顔だ。


「いえ、だって、私がお仕えしたいのは壮哲様だけですので」


 事も無げに言う。

 壮哲が王となった今でなら全く問題ない台詞だが、そうでなかったら、聞きようによっては王に対する不敬と捉えられかねない言い方だ。

 禁軍に入ってしまったら、王があるじとなる。流石に口には出さないが、佑崔は壮哲より王を優先させるつもりはなかった。


 佑崔があるじとするのは壮哲一人なのだ。


**


 佑崔は斉家の長男として生まれた。

 佑崔には姉が四人いる。斉家にとっては待望の男子だった。

 しかし佑崔は生まれる時に死にかけ、生まれてからもしばらくは病気がちだった。かろうじて生きながらえた佑崔は、斉家の中で大事に大事に育てられた。

 まるで女の子のような愛らしい容姿もそれを手伝い、特に母や姉たちは佑崔を過剰に保護したがった。

 佑崔は他の男児たちと外で遊ぶ事もなく、姉たちに囲まれて、静かに過ごした。



 佑崔が七つの頃だったか。

 いつものように、佑崔は部屋の中で姉たちと遊んでいた。その時は姉たちがお気に入りのお弾き遊びをしていた。

 ふと、自分より少し年上くらいの少年が、部屋の入り口あたりでこちらを見ているのに気づいた。

 ちょうど斉家に来ていた壮哲だった。

 佑崔と目があうと、壮哲が首を傾げて言った。


「お前、それ好きなの? 楽しい?」


 そう聞かれ、佑崔はとっさに答えられなかった。


 好き? 楽しい?


 自分は体が弱い。だから皆が自分に気を使ってくれる。こうして家の中で過ごさせるのも、自分を心配してのことだ。

 姉たちは好きだが、こうして家の中で女の子の遊びをするのが好きかどうかは考えたことがなかった。姉たちが喜ぶのは嬉しいが、楽しいのかはよくわからない。ただ、ずっとこう過ごしてきた。

 どう答えたら良いのかわからず、ぼんやりと壮哲を見上げる。


「何か全然楽しそうな顔してない」


 壮哲はそう言うと、小さな丸いお弾きを一つ拾い上げる。

 片手で投げ上げながら、戸口まで歩いて行ってしまった。

 すると突然、壮哲がそれを佑崔に向かって勢いよく投げつけた。

 姉たちの悲鳴が上がる。

 佑崔はとっさに手を伸ばして、飛んできた硝子のお弾きを掴まえた。

 お弾きの衝撃に、佑崔のまだ小さな手がじんじんと痛む。


「すごいな、お前!」


 壮哲がそれを見て、悪びれた様子もなく笑って言った。


 何がすごいと言われたのか、佑崔にはわからなかった。


「剣とかやったら絶対強くなるんじゃないか?」


 "強い"、なんて自分には全く関係ないと思っていた言葉が投げかけられる。


「え……?」


 ぽかんとして壮哲を見返す。


「目がいいんだろうな。動いている物でもよく見えるだろ」


 そう言われればそうかもしれない。

 佑崔がぼんやりと思い返す。


「外に行って私と手合わせしてみないか?」


 壮哲が言った。



 壮哲はその場にいた佑崔の姉たちの抗議を聞き流し、佑崔を外に連れ出した。

 剣の構え方も知らない佑崔に、壮哲は剣の持ち方から教えた。

 壮哲と初めてした手合わせは散々だった。

 しかし、佑崔は今まで感じたことのなかった程、胸が踊った。

 息は切れるし、咳き込むし、苦しかった。


 でも、楽しかった。


 今までこんなに気持ちが弾んだことはなかった。


「体力無さすぎだぞ。でも思った通り。佑崔、お前、才能あるぞ!」


 こんなにぐだぐだで、どの辺りに才能があるのかさっぱりわからなかったが、壮哲が嬉しそうに言うので、そうなのか、と佑崔は思った。


「大丈夫か?」


 地面にへたり込んで咳き込みながら肩で息をしている佑崔が顔を上げると、笑いながら壮哲が手を差し出した。

 陽の光を背に受けて笑う壮哲は、とても眩しかった。

 太陽だ。と、佑崔は思った。

 瞬間。


 この人は王になる。


 佑崔は予感した。




 その日の夜、佑崔は久しぶりに高熱を出して寝込んだ。

 母や姉たちは、いくら壮哲様でもあんまりだ、と憤慨していた。

 父の公謹は、そんな彼女たちをなだめて、佑崔の枕元に来ると、笑いながら佑崔に聞いた。


「楽しかったか?」


 佑崔は熱でぼんやりする視界の中、その日壮哲に聞かれた時は答えられなかった問いに、今度ははっきり頷いた。

 公謹は、そうか、と楽しげに言って、佑崔の頭を撫でた。



**



 その日から、佑崔にとって壮哲は特別な存在になった。


 将来王になる壮哲のために力を尽くしたい。

 王になった壮哲を守ることができるように、強くなりたい。


 そんな思いが芽生えていた。

 佑崔は壮哲の後をついて回った。

 体力もなく、直ぐに熱を出すような佑崔に、壮哲は嫌な顔一つせず、面倒を見、剣の稽古にもいつまででも付き合ってくれた。

 長ずると、病弱だった身体が嘘のように調子が良くなった。幾ら鍛えても細身の身体が大きくなることはなかったが、剣の腕は確かに上がった。

 佑崔は良家の子息であるにもかかわらず、壮哲の侍従となった。母や姉たちは、佑崔を壮哲様に取られてしまった、と愚痴をこぼしていたが、父の公謹は佑崔の好きなようにさせてくれた。


 この度壮哲が王になったのは、佑崔にとっては当然の成り行きだった。

 壮哲が王になったのならば、禁軍に入るのもやぶさかではなかった。



**



 普段多くは語らない佑崔が珍しく饒舌だった。すると、曹将軍が佑崔の手をがっちりと掴んだ。


「わかるぞ!」


 曹将軍が佑崔に向かって力強く頷いた。


「わかってくださいますか」


 佑崔が曹将軍の手を握り返す。


「壮哲様はなるべくして王になられたお方。お仕えできるのは我が身の誉れです」

「同意だ。壮哲様をお守りする羽林軍の将軍を拝命して、身に余る光栄」


 頷き、わかり合う二人は、更に壮哲のことを褒め称え始めた。


「壮哲様の剣筋はいつ見ても惚れ惚れする。何というか、お人柄が出るというか、伸びやかでかつ鋭く美しい」

「わかります。わかりますよ、曹将軍。あと、剣を鞘にしまう際、ほんの一瞬、ほんの一瞬ですが、間を溜めるのも良くないですか?」

「ああ、あれか。絶妙な間だな」

「そうなんです。さすが曹将軍、わかっていらっしゃる」

「いやいや、佑崔も見ているところが通だな」


 随分盛り上がっている。

 その横で壮哲が両手で顔を覆って固まっている。


「……頼むから……二人ともやめてくれ……。恥ずかしい……」


 悶えた後、壮哲が昊尚と英賢に助けを求めるように顔を上げる。

 しかし、昊尚と英賢は妙に楽しそうに笑うだけで何も言わない。

 壮哲はいたたまれなくなり、その場を逃げ出した。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る